ヨーロッパを飢饉から救ったジャガイモ
ネタがそろそろ尽きてきたか、世界を変えたシリーズというのを打ち出してきた。第1弾は植物だという。
まず最初に登場するのはジャガイモ。ジャガイモのルーツは南米のアンデスである。高地のチチカカ湖の周辺が原産地だという。この辺りにはジャガイモ畑の遺跡があり、7000年前に栽培が始まっていた。今では品種改良で4000種も栽培されている。
ジャガイモはペルーで見つかった女性のミイラの副葬品にもあったという。貴重な保存食だったのだという。またマチュピチュでも段々畑でジャガイモが植えられていた。ジャガイモは寒さに強いので人々の命綱となっていた。しかしインカ帝国はスペインに滅ぼされる。そしてスペインは銀を送ると共にジャガイモもヨーロッパにもたらした。ジャガイモの栽培をヨーロッパで大々的に行ったのはドイツの北部。立役者はプロイセン国王フリードリヒ2世である。世界遺産のサンスーシ宮殿の一角にある彼の墓にはジャガイモが供えられている。彼がドイツに食糧難を防ぐ作物として栽培を勧めたのだという。そしてドイツではジャガイモは国民食となった。
フランスでは変わった普及策が取られた。仕掛け人は薬剤師で農学者でもあるアントワーヌ=オーギュスタン・パルマンティエ男爵。彼はプロイセンで捕虜となった時にジャガイモを食べて生き延びたのだという。小麦の不作で飢饉が問題となった時、彼は見栄えの悪いジャガイモを普及させるために、ジャガイモの花を王や王妃に飾りとしてつけてもらったという。すると王侯貴族の間で庭で花を育てるのが大流行し、やがて庶民の間にもジャガイモを食べる習慣は広がったのだとか。そしてフランスの定番作物となる。
世界を変えたゴムノキに産業革命の元となった綿花
イギリスの世界遺産のキュー王立植物園には世界中の植物が育てられている。これらの珍しい植物はプラントハンターと言われる人たちが集めた。一攫千金を目指して彼らは世界中の秘境に足を運んだ。アフリカの南端のケープ植物保護区は彼らにとっては夢の花園だった。特にゴクラクチョウカはイギリスにもたらされた最も珍しく、最も華麗な花と言われた。また見て楽しむ花だけでなく、マラリアの特効薬であるキナノキなどの暮らしに役立つ植物も重要だった。
その中で世界を大きく変えた植物がゴムノキ。アマゾン川の流域でゴムノキは生まれた。その樹液がゴムの原料となった。ヨーロッパはこれを求めて押しかけた。特に車のタイヤとしての需要が高かった。アマゾンにはゴム成金が豪華な屋敷を建てた。そしてイギリスは密かに種を持ち出して自分達で栽培を試みた。植物園で育てた苗木をシンガポールに運んで大量に育てた。そのモニュメントはシンガポールの植物園にある。東南アジア中にゴム栽培は広がることになる。
トルコの世界遺産ヒエラポリスとパムッカレ。パムッカレは綿の城と言う意味である。これはこの近くで栽培されていた綿花に由来している。この地では今でも綿製品が作られている。そしてこの綿が産業革命を起こす。綿花はインドなどで古くから栽培されており、インドの更紗はヨーロッパにまで運ばれた。イギリスはインドから大量に綿を買い入れて、水力を利用した紡績機で綿布の大量生産を始める。これが産業革命の開始となる。さらに動力が蒸気に変わって発展したイギリスはインドに巨大な駅を建設する。
忙しい方のための今回の要点
・南米原産のジャガイモは、インカ帝国を滅ぼしたスペインによって銀と共にヨーロッパに持ち込まれた。
・ジャガイモはドイツではフリードリヒ2世が栽培を奨励し、フランスではパルマンティエ男爵が普及させたことで、両国の代表的農作物となって飢饉を救うことになる。
・かつてプラントハンターと呼ばれる人々が一攫千金を目指して世界を回って珍しい植物を集めて回った。そんな中で見つかったゴムノキは世界を大きく変えることになる。
・また綿花も世界に大きな影響を与えた。インド周辺で栽培されていた綿花はイギリスの産業革命を促す原動力となった。
忙しくない方のためのどうでもよい点
・切り口としては面白いんで良いですが、ただ世界遺産との結びつけ方が無理くり過ぎて、この番組としてはどうなのってところはありますね。
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