最初の天下人、三好長慶
第1回はもう忘れたぐらい随分昔に大友宗麟を扱った戦国ご当地大名シリーズの第2回。今回は近畿の大名である三好長慶と松永久秀である。三好長慶は信長の前の天下人として最近になって注目されており、松永久秀は大仏殿に火を付けた極悪人と言われており、最後は平蜘蛛を抱えて自爆したなどと言われているデンジャラス大名である。
まず三好長慶から始まるが、三好長慶はそもそもは阿波の出身である。と言うわけで番組では徳島を訪問。すると現地では甲冑纏った高齢者がお出迎えである(おもてなし武将隊の類いか)。で、県立博物館を訪問して三好長慶に関する資料を調査。三好家はそもそも細川家の家臣であったが、長慶の頃には立場は完全に逆転していた。長慶がそれだけの力をつけた原動力が藍染めに使用される藍だったという。戦国時代、中国から渡ってきた木綿が一気に普及し、それを染めるのに藍の需要が増したのだという。そこで長慶は阿波で産出した藍を近畿で売って経済力を身につけたのだという。
その長慶の前に立ちはだかったのが将軍義輝。落ちたとはいえまだ将軍には権威があったという。この将軍が三好を排除しようとしてきた。しかしここで長慶は逆に将軍を攻撃し、京から追放してしまって近畿一円を支配して天下人となった。なお長慶はキリスト教布教を許したり、鉄砲の導入に力を入れたり、明らかに後の信長が参考にしていると考えられる。またヨーロッパの文書などを見ても、長慶は天下人として認識されていたことを示すものがあるという。
長慶が建てた特徴的な城
この長慶が立てたのが飯盛城。で、番組は大東市にとんでいるのだが、またここでも甲冑高齢者が登場である(本当にどこでもいるな)。で、飯盛城であるが、本格的に石垣を使用しているのが特徴である。こういう点でもやはり信長の手本となっている。この城は京都全域を見渡せる位置にある。
さらに長慶絡みの城として徳島の勝瑞城がある。ここからは豪華な品々や京都を思わせるような庭園の跡なども残っているという。
さして三つ目が奈良の多聞城。高層矢倉の建つかなり豪華な城で、宣教師もその豪壮ぶりを記録に残しているという。この城は多分に見せることを意識しており、それは東大寺や興福寺などの宗教勢力に対してその威厳を見せつけることを目的にしていたという。またそのために寺院のような瓦を用いていたという。
極悪人とは違った松永久秀
次は松永久秀。彼は元々は長慶の家臣であったのだが、戦国の極悪人と言われている。それは主君殺し、将軍殺し、大仏殿焼き討ちの三大悪行をしたためとされている。しかしそれが本当かどうかである。番組では久秀の最近見つかった肖像画から始まるが、それはどことなく柔和で極悪人のイメージとは遠いものである。
まず主君殺しであるが、この頃に三好家の者が次々と亡くなったことから、久秀が裏で糸を引いていたのではということである。しかし足利将軍家に伝わる史料には「何かあった時には三好義興だけでなく久秀にも相談するように」と記されており、久秀は義興を後見する立場であり、長慶や義興を殺害する意味がないという。さらに将軍殺しについては、義輝襲撃については首謀者は三好義継と松永久通(久秀の息子)であり、久秀は現場にはいなかったことが文書に残っており、さらに義昭の久秀にに保護されているという文書もあり、久秀は将軍殺害で三好氏が諸大名から敵視されないように手を回していたという。また大仏殿焼き討ちに関しては、義継を守るための多聞城の戦いにおいての事故であってあくまで意図的なものではなかったのだという。そして久秀は大仏殿再建のために協力しており、大仏殿が焼けてしまったことを後悔していたという。
と言うわけで久秀は極悪人ではなかったということ。ではなぜ極悪人にされてしまったかと言えば、信長を正当化するためであったと考えられるという。まあ普通に考えても、久秀が庶民を虐殺したという話はないが、信長は長島の一向一揆や比叡山で大量虐殺を実行している紛れもない極悪人である。で、その信長を擁護しようとしたら久秀を極悪人にする必要があったということか。もし光秀が後に天下を取っていたら、多分信長は悪逆非道な極悪人にされただろうが、天下を取ったのが信長の敵を討ったことで後継者としてのし上がった秀吉というのは大きいだろう。
以上、近畿代表の三好長慶と松永久秀について。番組では三好長慶の方に時間を割いているが、その割にはいささか切り込みが浅かったような印象もある。三好長慶を紹介するのか城を紹介するのかに焦点を絞りきれなかった印象。無駄に千田氏なんか出したことで余計に構成がグダグダになっている。
歴史ネタとしては松永久秀の方が面白いので、久秀は今までもこの手の番組では度々扱われている。
しかし今回、45分の番組で久秀が扱われたのは最後の15分ほど、これではあまりに不足という印象を受ける。
忙しい方のための今回の要点
・三好氏は阿波出身で管領の細川氏の家臣として勢力を伸ばしたが、長慶の頃には細川家との力関係は逆転していた。
・台頭してきた長慶を将軍の義輝は排除を考えるが、逆に長慶が義輝を京から追放してしまう。機内一円を支配した長慶は最初の天下人となる。
・長慶が築いた飯盛城は総石垣を用いた豪華なものであり、これは後に信長が参考にしたと考えられる。
・松永久秀は三好家の家老であったが、後に主君殺し、将軍殺し、大仏殿焼き討ちで天下の極悪人と評されている。
・しかし現実は、久秀は主君殺しは行っていないし、将軍殺しにも関与していないと推測され、また大仏殿焼き討ちも戦闘中の事故であり、後に再建に協力している。
忙しくない方のためのどうでもよい点
・まあ歴史は勝った者によって記されるので、中国などでも滅んだ王朝の最後の王は「暴虐で無能」とボロクソに書かれているのがお約束ですが、まあ松永久秀もそれに近いようなものだったようです。なにしろ天下人信長に逆らった人物であり、その後の権力者は信長の流れを汲んでいたわけですから。
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