カンボジアの水道を再建せよ
今回は内戦でグチャグチャになった国の社会インフラの整備に尽くした男たちの物語。
内戦後のカンボジアでは7割以上の世帯に水道が届いておらず、子供や女性は水汲み作業に忙殺されていた。しかもその水は安全性が保障されていないものだった。
北九州水道局の久保田和也。彼はこの不本意な配属に10年間異動願を出し続けていたが叶わず、やむなく諦めて水道仕事に打ち込むことに腹をくくっていた。そんな彼に上司から「カンボジアに行ってくれないか」との声がかかる。当時のカンボジアは何十年もの内戦が終結した直後で、銃犯罪なども多かった。復興を支援するジャイカは水道技術者の派遣を要請し、久保田の上司の森一政がそれに応えるために職員の派遣を決めて久保田に白羽の矢を立てたのだった。久保田は森に押し切られるようにしてカンボジアに飛ぶ。
カンボジアの状況は劣悪だった。久保田がホテルで蛇口をひねると出がらしのお茶のような色のついた水が出た。シャワーを浴びるのさえ、目に入らないように目を閉じて浴びないといけない状況だった。ジャイカやフランスの支援で水道の整備は進行していたが、それを維持管理する人員の育成が北九州水道局に託されたミッションだった。かつて独裁体制を築いたポル・ポトは知識人を徹底的に弾圧・虐殺したため、カンボジアの国内には技術者が残っていなかった。
現地の技術者たちの熱さに影響されて必死の作業が始まる
久保田は半年の任期を適当に終えてさっさと帰国するつもりだった。しかしその久保田の元に水道公社総裁のエク・ソンチャンが訪ねてくる。高校の物理教師だったが家族全員をポル・ポト政権に虐殺され、身分を隠して生き延びてきたという壮絶な人生を送った人物だった。内戦終結後に祖国復興のために官僚となった彼は、久保田にカンボジアの窮状を訴えた。子供たちは水汲み労働で遊ぶ暇もなく、安全な水が確保できないために病気も蔓延していた。エク・ソンチャンは腐敗した水道局の改革に乗り出していた。彼の熱意に久保田は何かをしないといけないという気持ちが呼び起こされる。
久保田はカンボジアの技術者たちに漏水の場所を探る技術などを伝える。彼らは片言の英語で久保田の指導に食らいついてくる。その熱心さに久保田は圧倒される(「巨人の星」の世界だったと久保田は語っている)。
一刻も早く安全な水を届けたいという思いはあったが、実際は浄水場からの水の半分が家庭に届いていないという実態があった。水道網の全長は400キロ以上あり、漏水箇所を見つけることは困難だった。久保田は半年の任期を終えて帰国するが、森に北九州の水道管理のテレメーターシステムを導入したいと直訴する。これで水道漏れの箇所の発見が可能となるが、それは予算も手間もかかるものだった。上司の森は無謀だと思ったが、久保田の熱意に本気であることを察する。さらにエク・ソンチャンも来日、久保田からシステムのことを聞いた彼は自ら学ぶために来日したのだ。二人の熱意に森は水道局を挙げて支援することを決定、中古のテレメーター42器を提供して、水道局の技術者を交代で派遣することにする。
盗水との戦い
いやいやカンボジアに行った木山聡は現地で技術者たちの熱意に驚く。彼らは現地の技術者たちを交代で指導して、テレメーターのメンテナンスの技術を伝える。5人目の菊地克俊はタイとの抗争でホテルが暴徒に襲撃される中、命がけで脱出する羽目になる。しかし窮地に一生を得て帰国した菊地は再度のカンボジア行を願い出る。カンボジアでの仕事を何としてもやり遂げるつもりだった。そして2004年、テレメーター設置は完了する。
水道管の水漏れ箇所の調査が開始される。その結果、なぜか新しい水道管で水漏れが発生していることが分かる。調べてみると原因が判明した。水道管から勝手に分岐をつけての盗水が頻発していた。住民達は犯罪という自覚もなく、「お得な方法」とばかりに勝手に盗水を行っていた。せっかくの水道が破壊されてしまう。メンバーは愕然とする。
盗水を止めるには犯罪の証拠をつかんで警察に摘発を頼むしかない。しかし内戦で家庭に銃が行きわたっている国で、逆恨みでもされたら殺されかねない。エク・ソンチャンは二度目のカンボジア派遣をしていた久保田に「日本人は現場に行くな。命を張るのは我々の仕事だ。」と告げる。カンボジア職員は盗水の摘発に全力を挙げ、犯人に脅迫されても決して退かなかった。また久保田はデータ解析の結果、深夜に消火栓から大規模に盗水がされていることを発見、張込みによって盗水の現場を摘発、犯罪者たちを抑え込む。
最後のミッション
盗水の問題が解決し始めたところで、久保田は最後のミッションとしてそのまま飲める水に処理することに挑む。上司の森は人脈を生かして横浜市水道局に援軍を要請する。水源の水質や微生物の調査され、投入薬剤の選択など水質改善の方法が検討される。2004年7月、プノンペンから送られた水が横浜の試験場に運ばれ、日本の水質基準50項目すべてをクリアしたことが確認される。胸を張って飲める水と断言できる水質となった。
そしてプロジェクト開始から25年、プノンペンの水道普及率は95%となった。子供たちは水汲み労働から解放され、清潔な水によって衛生状況も劇的に改善。プノンペンの奇跡と言われることになる。そして北九州水道局は世界中に水道技術を伝える活躍をしており、エク・ソンチャンはアジア版ノーベル賞と言われるラモン・マグサイサイ賞を受賞したという。なお久保田らの元で学んだカンボジアの技術者が、次の世代の技術者を育成している。
水道がいかに大事かということで、蛇口の水をそのまま飲めると言うことは貴重なのであるが、何でもかんでも外国に売り払ってキックバックを受け取ることしか考えていない自民党は、日本の水道まで外国に売り払おうと目論んでいる。そうなるとコスト優先で安全性なんか考えない状況になるだろう。まさに亡国の政策である。
カンボジアはポル・ポトの独裁下で知的階級が根絶やしにされ、その後遺症は未だに残っている。独裁者にとっては自分の頭で考える知的階級は反対者になる可能性があるので短絡的に排除しようということはよくある。長い目で見れば回復不能なまでに国力を落とすのだが、アホな独裁者はそういう先のことは考えないもの。同じことはかつて中国でも毛沢東が実施した。なお日本でも自民党政権は、虐殺こそしなかったが庶民から高等教育を奪う(この間の国立大学授業料の異常な高騰を見れば明らか)ことで愚民化政策を一貫して進めてきた。近年になってそれが結実して、目論見通りに政府に従順な何も考えない愚民が増加したが、その一方で著しく国力が低下するという当たり前の現象が現れている。このまま行けば、その内にノーベル賞の受賞などは皆無となろう。
忙しい方のための今回の要点
・内戦終了後のカンボジアでは水道の普及が課題となっていたが、ポル・ポトによる虐殺で水道メンテナンスの技術者が存在しないことが問題となっていた。
・ジャイカの要請を受けた北九州水道局の森一政は部下の久保田和也をカンボジアに派遣、最初は適当に任期を終えて帰国するつもりだった久保田だが、現地の技術者たちの熱心さに打たれて真剣に使命に取り組む。
・プノンペンの水道網は浄水場から送られた水のうちの半分が漏水していた。この漏水を把握するために北九州のシステムを導入することを久保田は帰国して上司の森に訴える。久保田の熱意に動かされた森は、水道局をあげて支援することを決断する。
・交代で派遣された技術者たちは、システム導入を行いながら現地の技術者を育成する。そしてシステムが稼働したことで漏水箇所が特定されるが、それらの漏水は勝手に水道管に分岐を付けての盗水が原因であることが分かる。
・水道を守るには盗水を摘発する必要があるが、銃が大量に普及しているカンボジアでは命の危険があった。水道公社総裁のエク・ソンチャンは、摘発はカンボジア人が行うことを決断。彼らは脅しにも屈せずに盗水を摘発していく。
・盗水の問題が解決したことで、久保田は水質を直接飲めるものにすることに挑戦する。森が水質管理に長けた横浜市水道局に援軍要請、2004年7月に日本の水質基準をクリア、晴れてそのまま飲める水と認定される。
忙しくない方のためのどうでもよい点
・熱い現場の男達の物語でした。しかしいつもそうなんですが、現場ではこうやって頑張る者もいるのに、いつもその努力を上の方の政治家とかが自分達の目の前の利権のためにフイにしたりするんですよね。それだけは絶対許してはならない。
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