教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

1/20 NHK-BS 英雄たちの選択「筆一本で乗り越えろ!作家・滝沢馬琴の奮闘」

書物の世界で生きることを目指した馬琴

 全106巻の超大作南総里見八犬伝を28年をかけて書いた滝沢馬琴は、職業作家のパイオニアでもあるという。さらには読本と言われる分野を開拓したことによって江戸文化に大きな影響を与えた。その馬琴の生涯を紹介。

滝沢馬琴

 馬琴は100万都市江戸で、1767年に深川の下級武士の家に生まれる。馬琴は学問や武芸を重んじる父の元で幼い頃から書物や俳句に親しむ。しかし馬琴が9才の時に父が突然に亡くなる。大黒柱を失ったことで滝沢家は危機に瀕する。主家に仕えていた長男は俸禄を半減され、次男は口減らしのために養子に出された。馬琴も武家に奉公に出されるが、そこの子供が暴力を振るったことから14才で出奔、10代で浮浪の身となって自堕落な生活を送る。しかし19才の時に母が病に倒れ、兄弟で滝沢家の再興を願いつつこの世を去る。この時に馬琴は滝沢家の再興を誓った

 しかし馬琴には武家の奉公は性に合わなかった。そんな馬琴が望みを託したのは書物の世界。自分も書物を書いて暮らせないかと考える。当時の日本の識字率は非常に高く、庶民は読み物を求めていた。そしてその風潮に巧みに乗っかったのが希代のプロデューサー蔦屋重三郎だった。蔦重は山東京伝と組んで黄表紙で大ヒットを出していた。馬琴は24才の時に京伝の元に入門を申し込む。京伝は「物書きは他の職業を持つ者が慰みにやるもの」と馬琴の頼みを断る。当時はまだ作家を職業と出来る者はいなかった。しかし京伝は馬琴の才能には眼をかけたという。

 

 

武士としてのこだわり

 翌年、京伝の口利きで馬琴は一冊の黄表紙を出す。しかし売れ行きはさっぱりだった(専門家が「黄表紙としては駄作」とまで言い切っている)。黄表紙作家としてスタートを切った馬琴だが、前途は多難であった。

 しかし1791年3月、京伝の3冊の本が幕府から発禁処分を受ける。寛政の改革による社会引き締めで、遊女の生活や客との駆け引きを描いた好色本が幕閣の逆鱗に触れたのである。蔦屋は財産の半分を没収、京伝は50日の手鎖の刑を受ける。これで京伝は気落ちして創作意欲を失ってしまう。それで京伝の元に居候していた馬琴が京伝の代わりに執筆することになる。それに目をつけた蔦重が馬琴を自分の店で雇うことを提案し、馬琴は蔦重の店である「耕書堂」の番頭となる。馬琴は忙しい仕事の合間に執筆を行う生活を送る。

 そして1年後、馬琴に蔦重から縁談を持ち掛けられる。蔦重の叔父の娘との話で、吉原の茶屋が入り婿を探しているということであった。しかしこれは武士を完全に離れて町人になることだった。ここで馬琴の選択である。この縁談を受けるか否か。

 これについて番組ゲストの意見は分かれたが、金に靡くか武士としてのプライドを通すかの話であった。で、馬琴の選択だが、遊女の上前をはねるような立場に身を落とすことなど出来んと断った。しかしその直後に蔦重の店を辞めて別の商家に婿入りしたという。その妻は馬琴より年上で不美人だったらしいが、20軒の借家の家賃収入があって裕福であったという。これによって馬琴は作家に専念出来るようになる。

 

 

ようやく自身のスタイルを確立して名作を生む

 執筆と読書に明け暮れる馬琴が挑んだのが読本だった。洒落の必要な黄表紙と違い、勧善懲悪や因果応報というようなメッセージを込められる内容が、武家出身の馬琴にむいていた。そして30才の時に最初の読本を出すが、これは売れ行きが良くなかったという。

 読者を引き付ける受ける作品を書くためのヒントを求めていた馬琴は、旅の途中で遠州七不思議の一つである夜泣き石の伝説を聞いて、その展開をベースにした作品を書く。殺された母親から生まれた主人公が僧に助けられ、成長した後に敵討ちを果たすという勧善懲悪の話である。この作品で馬琴は主人公のスタイルを確立したという。このヒーロー像が読者に受けて馬琴は売れっ子になっていく。この頃から馬琴は版元と交渉して事前に原稿料を決め、それで生活出来るようになった。職業作家としての立場を確立したのだった。

 47才となった馬琴が挑んだ生涯の大作が南総里見八犬伝だった。数奇な運命に導かれた8人が里見家再興のために悪と戦う波瀾万丈の大活劇は庶民の大喝采を浴び、大ヒット作となる。しかし馬琴が70才を目前とした時に試練が襲う。兄の死後に滝沢家の家督を継いでいた一人息子の宗伯が38才で死去、当主不在の滝沢家は武士の待遇を失ってしまう。残された唯一の男子である孫の太郎はまだ9才であり、滝沢家存続の危機であった。馬琴が滝沢家を存続させる方法は、御家人株を購入して太郎の成長を待つことであった。折良く鉄砲組同心の株が売りに出されていたが、130両(現在の価値で650万円)という代金を用意するのはベストセラー作家である馬琴にとってさえ容易ではなかった。馬琴はこの時に蔵書を売り払い、版元から借金までして資金を調達した。

 借金返済のためにも八犬伝の執筆を続ける必要に迫られた馬琴だが、長年の過酷な執筆生活は確実に馬琴の体をむしばんでいた。67才の時に右目を失明し、その8年後に残された左目も失明する。完結目前となった八犬伝を書き上げるために馬琴は、亡くなった息子の嫁であるお路が口述筆記することで執筆を続ける。そして1842年春、馬琴が76才の時に南総里見八犬伝は大団円を迎える。106冊を数える大長編となった。そして孫の太郎も鉄砲組同心となり、家督問題も決着を見る。そしてすべてを見届けて馬琴は82才でこの世を去る。

 

 

 以上、日本初の職業作家である滝沢馬琴について。黄表紙作家として成功するにはユーモアや洒落っ気が足りなかった馬琴だが、正統派ファンタジー小説で大成功したということになる。どうも放蕩生活をしていた割には、根っこの部分がお堅い人物だった(武士としてのプライドが高かったんだろう)ようである。

 寛政の改革の話が少し出てきたが、陰険な松平定信の抑圧策で社会がかなり停滞したことが覗える。ただ社会を皮肉った山東京伝の黄表紙は幕府にとって好ましくなかったが、勧善懲悪や主君への忠誠を歌っている馬琴の作品は、幕府にとっても問題はなかっただろうなどと想像するところである。そういう意味では時代の空気にマッチしたということでもあり、また馬琴自体の適性が合致していたというのは幸運なことである。

 番組ゲストの作家の高橋源一郎氏が「作家は自分が面白いと感じる話でないと書けない」というようなことや、「大作は書いている内に話が勝手に進んで枝葉の部分の方が膨れ出したりする」という類いのことを語っていたのだが、作家などといった大層な才能のない私でも、これはよく分かるわという話だった。私も自分の興味が持てない分野になるとパッタリと筆が進まない難儀なタイプであり、だからこそライターで生計を立てるという道を断念せざるをえなかったからである。また物語の主人公が勝手に動き出してというのも体験しており、結局はそれで収拾が付かなくなって、小説の企画も頓挫したという中途半端な状態で終わってしまった。当時に「なろう」のような敷居の低いメディアがあったら、とにかく作家として活動を開始していた可能性はあるが、もっとも私程度の才能でそれで食えたかは甚だ疑問ではある(私が企画していたのはファンタジー小説だが、その過程で実は自分には小説家としての才能は欠けていると痛感した)。

 馬琴が確立した物語のスタイルというのは今でも生きており、今日の典型的なファンタジー系作品のパターンになっていると感じるところである。そういう点で馬琴は先進性も有していたと言えるのだろう。

 なお馬琴は晩年に口述筆記で作品を完成させている。今でも忙しい売れっ子作家などは、口述筆記で弟子に書かせることで大量の作品を書き散らかしたりするらしいが(それがついには「こういうプロットで適当に書いといて」になって、実質弟子に書かせて名前だけ貸すに近い状態になる作家もいたりするとか)、今時の平易な文章の作品と違い、馬琴の作品はその膨大な知識を背景にした難解な言葉遣いが多かったため、決して教養レベルが高いとは言えなかった嫁のお路ではかなり苦労したということでもある。馬琴と違って平易な文しか書けない私も、執筆を口述筆記とかにしたいと思ったことはある。なんせ段々と視力は落ちてきているし(目自体が弱っていて、矯正しても視力が上がらないと言われた)、キーボード入力がしんどくなってきているので。

 

 

忙しい方のための今回の要点

・下級武士の家に生まれ、学問を重んじる父の元で幼いころから書物に親しんだ馬琴だが、馬琴が9歳の時に突然死したことで滝沢家の運命は暗転する。
・馬琴は武家に奉公に出るが、そこの息子の暴力に耐えかねて14歳で出奔、浮浪の生活を送ることになる。
・19歳の時に母を亡くすが、その母の願いである滝沢家の再興を誓うことになる。
・しかし武家の奉公が性に合わない馬琴は、書物の世界で身を立てることを考え、蔦谷重三郎とのタッグで黄表紙のヒットを飛ばしていた山東京伝の元に弟子入りすべく押しかける。京伝は「物書きは他の職業を持つ者が慰みにやるもの」と弟子入りは断るが、馬琴に目をかけてくれる。
・馬琴は京伝の口利きで黄表紙を執筆するが、この作品は全く評判にならず失敗する。
・蔦重の店で番頭として働くことになった馬琴は、蔦重から茶屋の入り婿の縁談を紹介されるが、武士へのこだわりのあった馬琴はこれを拒絶する。しかしその後、別の商家に婿入りすることで経済的安定を得て、執筆に専念できる環境を得る。
・馬琴は自身の考えを反映しやすい読本の世界に挑戦することにする。しかしなかなかヒット作に恵まれず苦戦する。そんな時、遠州七不思議の夜泣き石のエピソードから着想を得た作品が大ヒット。ヒット作のスタイルを確立できたことで、職業作家としての自立を果たす。
・47歳になった馬琴が執筆を開始したのが南総里見八犬伝。これは大ヒット作となる。
・晩年の馬琴は失明などの苦境に陥るが、口述筆記で作品を完成させる。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・馬琴は幸運にも自身に適した分野を見つけたということのようです。今回はどうもそれが出来なかった私がそれに触発されてしまって、ダラダラと自分語りをしてしまいましたが失礼いたしました。

次回の英雄たちの選択

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