教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

6/3 NHK 歴史探偵「信長最大の敵 大坂本願寺」

今回のポイント

・信長を苦しめた最大の強敵が大坂本願寺。実に信長は攻略に11年を要した。
・本願寺制圧を目指す信長に対し、顕如は自ら兜をかぶって陣頭で戦闘指揮を執った。
・門徒たちは系列寺院下の道場などを通して組織化されており、顕如の指示はこれを通して地方にも伝わっていた。
・顕如の檄文は初期は戦争に関するワードはほとんどなく、仏教関係の用語がほとんどであり、信仰を守るために行動しろという趣旨であったという
・本願寺からの要請に呼応した門徒たちは仏の力で死後に極楽往生できるとして、死をも恐れぬ戦いを行い、信長の弟の信興は包囲されて自害、兄の信広も戦死という大被害を出している。
・当時、信長包囲網が結成されていたが、弱体化していた浅井・朝倉連合軍などは一向宗門徒が協力することで勢力を強化し京に迫った。
・また顕如は妻の実家の三条家を通して実は武田信玄と義兄弟であり、そのコネを活かして信玄の参戦を促した。さらに信玄が動けるように上杉謙信を加賀の一向一揆勢力に攻撃させた。
・さらに信長軍内にも一向宗門徒はおり、彼らは本願寺とは本気で戦わないなど、内部にも敵を抱えていた。
・しかし戦闘が長期化するにつれ、信長の徹底した弾圧などによって門徒たちは徐々に疲弊して弱体化。要衝であった鉢伏城が門徒の逃亡でほぼ空になって織田軍にやすやすとおとされるなど、本願寺側の結束にほころびが生じ始める。
・この頃の文書を調べると、急いで銃を持参で参加しろという要請など、かなり切実な状況が伺える。統制強化のために中央から僧侶を派遣したものの、それが地方の門徒に反発されるなどの不和が生じ始める。
・信長は一向宗門徒を1万人以上殺害したと言われている。
・孤立した大坂本願寺は1580年、顕如が信長と和睦して大坂本願寺を退去したことで、ようやく戦いは終わることになる。

 

 

ジハードはやはり最強かつ最凶

 今日ではイスラム教徒の過激派のテロなどが国際的問題になっているが、まさに神の意思による聖戦(ジハード)というのは戦闘員が命を惜しまない死兵になるので一番たちが悪い。なんせ神の意思に叶っているのだから、戦闘で死んでも天国に行けることは約束されているので、熱心な信者はむしろ苦しい現世よりも死後の安楽を求めるようになる。さらにこの構図は現在の生活が苦しければ苦しいほどご利益が強化されてしまうという質の悪さを持っている。この石山合戦はまさに一向宗門徒にとってのジハードであったので、圧倒的な武力を持つアメリカ軍がイスラム過激の自爆テロに翻弄されるように、合理主義者の信長も狂信的門徒の攻撃に翻弄されることになったというわけである。

 しかしこのジハードもやはり限界がある。何よりも一番信仰の厚い連中から率先して命を落としていくので、最終的には組織が徐々に求心力を失って統制が崩れていくことになる。そしてそれを埋めるために中央が統制強化を進めると、元々中央から精神的に距離の合った連中はついには離反するということになる。結局は一向宗門徒たちもまさにその過程をたどったと言える。

 

 

信長の兄・信広の存在

 番組中に信長の兄・信広が亡くなったという話が出てくるが、ここでなぜ信長に兄がいるのに家督を継いだのが信長なんだという疑問を持った方もいると思う。この信広という人物、信長よりも5才ほど年長だったようであるが、母の身分が低いために跡継ぎにされなかったようである。この時代、長子相続というのは絶対ルールではなかったし、母親の身分によって長幼の順序を越えて後継者が決まるというのは普通にあったことである。そのために織田家の後継者は信長となったらしい。ちなみに信広は信長に弟の信行が反旗を翻した時、美濃の斎藤義龍に通じて清州城の乗っ取りを画策した模様であるが、その計画は完全に不発に終わり、信広は後に信長に赦免されているという(信長も信行側についた者を残らず処分というわけにも行かなかったのだろう)。

 その後、信広は信長に背くことなく仕えたとのことであるが、伊勢長島攻めに参加した際に、開城して退去する一揆勢に織田軍が攻撃(信長が開城を受け入れたのは偽りだったという、流石にやることがえげつない)した際、一揆勢の思わぬ反撃を受けて織田家の親族衆が多く討ち死にした中の一人だという。つまりは信広は一向一揆勢との戦いの中で戦死しているが、大坂本願寺の攻略戦で戦死したわけではないということである。

 

 

神聖日本帝国の誕生の可能性?

 歴史にはifが付き物だが、この時に本願寺が信長に勝利して、結果として織田家が滅亡するようなことになっていたら、その後の歴史はどうなっていただろうか。様々考えられる歴史のifの中で一番想像しにくいものの一つがこの展開なのだが、ここで本願寺が勝利したとしても織田以外の各地の大名は健在で、基本的には彼らの中から第二第三の信長が登場するだろうから、一向一揆勢が天下を取るのはかなり困難な道のりとなったであろう。もっとももしそれを成し遂げたとしたら、顕如がかなり政治的な人物であったことを考えても、顕如を中心とした祭政一致国家である神聖日本帝国が誕生することになった可能性がある。

 もっともそうなったらなったで、それまでの日本の信仰的頂点の一つである天皇とどう折り合いをつけるのかとか難しいことがある。そういうわけでその後の展開は読みにくいところがあるが、一向宗組織の方が封建的大名家よりも末端の意見が上がりやすい土壌はあるので、意外と早くに祭政一致国家を経て民主主義国家に行ったというシナリオもあり得なくはないなどと妄想するところでもある。もしそうなったら欧米の一般的ルートである王政→ブルジョアの台頭→市民革命→民主化というルートとは全く異なるルートで民主主義国家が生まれていた可能性を考えてしまったりするのである。さて、この私の妄想、皆さまはどうお考えになりますか。

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