教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

6/29 NHK-BS 英雄たちの選択「民衆による民衆のための美~柳宗悦と民藝運動~」

今回のポイント

・今回は日常の中に美を見出し、民藝運動を創始した美術批評家柳宗悦について。
・柳は白樺の最年少創刊メンバーとして22歳で参加、西洋近代美術の紹介について執筆していた。これは西洋を発展の目標とする政府の方針とも合致していた。
・しかしその柳が35歳で山梨を訪れた際、そこで目にした木喰仏に強烈に魅入られ、木喰上人の足跡を追って全国を回るうちに、各地の名もなき職人の手仕事による日常品に美を強く感じることになる。
・京に住まいを移していた柳は、若き陶芸家である濱田庄司、河井寛次郎らと蚤の市に通い、多くの日用品を買い求め、その作為のない美に魅せられる。
・ありふれた安物という意味で下手物と呼ばれていたそれらを、柳は「民衆的工藝(民藝)」という新たな名をつけて世間に一石を投じる。

 

・帝展で評判になった杉田禾堂のモダンな工芸品を「近代人の錯覚」と批判した柳は、北大路魯山人などから猛烈な反発を受ける。そこで柳は民藝を理解してもらうべく日本民藝館を設立する。
・柳が考えていた民藝の美とは、作為のない無心や自然から生まれた美しさであると考えていた。
・柳は朝鮮の工芸品にも美を見出しており、朝鮮陶磁器の調査も行っていたが、当時の日本は朝鮮人を強引に日本と同化させる政策を取っており、柳はそれを憂いたが、朝鮮は皇民化教育の徹底によってさらに固有文化を否定する方向に向かっていく。

 

・昭和13年、新たな民藝を求めて訪問した沖縄はまさに民藝の宝庫であり、柳はそれらに魅了されたが、日中戦争下で各地の固有の文化を否定する日本政府は、沖縄で方言の使用を禁止するなどの文化抑圧を進めていた。
・これに違和感を持った柳は標準語励行運動を批判するが、標準語を話せないことで差別を受けていた沖縄人たちの反発を受けることになる。
・ここで柳の選択である。やはり方言を守ることを主張し続けるか、本土の人に沖縄の文化を伝えることで間接的に文化を尊重することを訴えるか。
・これについての番組ゲストの意見は分かれたが、柳の取ったのはより直接的に方言を守ることを主張し続けるであった。
・柳の思想は国家から危険視され、警察に連行されて検事に取り調べを受けることになる。
・戦時下で柳の思想も忘れられる中、柳はアイヌの伝統文化に注目して、それを紹介することも行っていた。世相に反逆するようにアイヌ文化について、互いの文化を尊敬しあうことを訴え続けた。

 

 

日常生活の中に美を見出した柳宗悦

 柳の活動を見ていたら本人的には美という一貫した感覚が貫かれているが、単純な芸術の世界だけの話でなく、地域の固有の文化を守れと言う思想がかなり強く表れているのが分かる。近代日本(あの歪み切った明治政府)の思想は脱亜入欧で、とにかくアジア的な文化を廃して西欧の物真似をしろってことだったから、柳が反発を感じたのは当然と言えば当然である。元々は西洋芸術の凄さを紹介していた柳が、木喰仏の衝撃でそっちに振り切ったというのは興味深いことではある。まあ自分の感覚に対して正直な人だったんだろうとは思う。

 

 この柳の感覚は、自分も実際に日本各地を回った者として理解はできるんですよね。私が回った時には柳の頃よりもさらに地方が衰退して、多くの固有文化が滅亡した後だったが、まださらに現在進行形で地域社会の破壊が進んでいるのを目の当たりにしたら。柳が言っていることは単なる美の話だけでなく、地方の職人を尊重しろということでもあり、それってまともに地方社会を守れってことでもあるから。この頃に強烈かつ強引に進行していた中央集権化に対する疑問もあったんだろう。中央集権化すなわち個性の消失で画一化だから。

 

 

よく処刑されなかったもんだと思う

 柳は政治的な人ではなかったということを番組では何度も言っていたが、確かにだからこそ検事の取り調べまで受けながらも無事だったんだろう。実際に小林多喜二なんかは社会主義者として拷問で殺されている。柳も政治的な思想家だと思われたらその道をたどっていた可能性はある。そこは彼が政治的ではなかったことと、既にそれなりの社会的影響力を持っていた人物なので、大っぴらに拷問で殺してしまうということも憚られたと推測する。

 

 ただ柳の思想を突き詰めたら、最終的にはどうしても当時の政府に異を唱えることにたどり着かざるを得ないわけで、かなり危ない線を渡っていたとは思う。朝鮮の文化を尊重しろ、沖縄の固有文化を尊重しろ、アイヌの文化に敬意を払えなんて、全部を日本人として無理矢理に一色に塗りこめて戦争に全て投入しようと考えていた当時の政府にとっては危険極まりない思想でもある。本当に、よく処刑されなかったなと思うわ。

 

 

杉田禾堂とのかみ合っていなかった論争

 杉田禾堂と柳宗悦が衝突したということを言っていたが、彼らの論争ってかみ合っているようで論点がかみ合っていないという印象を受けた。杉田禾堂は新しい工芸のデザインを目指していて、欧米の最新流行のアール・デコなどの工業社会に対応した大量生産品のセンスを持ち込むためにあえて機能を捨ててデザインの見本を示すということをしたようだが、柳にしたら「機能を捨ててしまったら工芸でなくて単なる彫刻じゃねえか」ってところだったんではと思う。実際に私の目から見ても「それただの現代彫刻」って思ったし。

 

 柳はまず実用が第一にあって、そのために作られたものは必然的に美しいということだったが、杉田禾堂はそこに新しい大量生産にむけた工業デザインを導入しようとしていたのだから、柳の職人の手仕事を重視する立場とは正反対なので、前提が違い過ぎてそもそも議論がかみ合いそうな様子がなかった。多分お互いに「こいつは一体何言ってんだ?」って感じだったのではと推測できるところ。私はどちらかと言えば柳の方が感覚が近いけど、アール・デコなんかのデザインも結構好きな人間なんで、杉田禾堂の作品については「うーん、現代彫刻として見るならかなりカッコいいんだけどね」というのが本音。

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