教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

4/18 BS-TBS にっぽん!歴史鑑定「高松塚古墳とキトラ古墳の謎」

壁画に彩られた兄弟古墳

 極彩色の壁画が見つかったことで話題となった高松塚古墳であるが、そこから1.2キロという近くのキトラ古墳でも壁画が見つかった。この2つは建設年代も近いことから兄弟古墳と言われているらしいが、今でも謎が多いという。

 この2つの古墳の壁画は同じ画家が描いたと考えられるという。というのも、白虎の絵を反転させるとそっくりになるのだという。描いたのは唐で15年修行した黄文連本実という人物でないかと推測できるという。

 

 

埋葬されているのは誰か?

 一番の謎は誰の墓かということ。高松塚古墳の壁画の男子群像に描かれている傘の色から、一位の役人か天皇の皇子だと推測されるとのことだが、高松塚古墳の位置は皇室の陵墓地であることから、皇子の可能性が高いと推測している。

 さらに高松塚古墳の北700メートルに天武天皇と持統天皇の墓があることから天武天皇の皇子でははないかと推測されるという。ただ問題は天武天皇の皇子で記録に残っている人物は9人いるのだが、その中の誰かということになる。

 そこで高松塚古墳から絞り込んでいくと、まずわずかに残されていた遺骨から40~60代の体格の良い男性だったという。各皇子の亡くなった年齢を考えると、天武天皇と持統天皇の子であった草壁皇子は28才で亡くなっているので除外され、残る候補は6人に絞り込めるという。さらに副葬品として唐から遣唐使によって持ち込まれたと考えられる海獣葡萄鏡が見つかっていることから、704年の遣唐使帰国以降だと考えられ、これで高市皇子が候補から省かれて5人になるという。さらに壁画の女性の服装が左前になっていることから、右前に変えるよう法令が出された719年よりも前だと考えられるという。その結果、忍壁皇子、長皇子、穂積皇子の3人に絞られるという。

 ではキトラ古墳だが、こちらも皇子の墓と考えるのが妥当だろうという。そして遺骨だが、こちらも40~60代の男性だという。さらに古墳を作られた時期がキトラ古墳の方が先だと考えられるという。それは同じ絵を描く時に高松塚古墳の方が簡素化されていることからの推測とのこと。このことからキトラ古墳に埋葬されているのは高松塚が704年以降築造なので、キトラ古墳に埋葬されているのはそれ以前に亡くなっている高市皇子の可能性が高いとしている。しかし高松塚古墳の建設年代は704年から719年ということなので、高松塚古墳の建設年が715年ぐらいだったとしたら、キトラ古墳に埋葬されているのは高松塚の3人に高市皇子を加えた4人になるのではと思うのだが。

 

 

壁画に込められた思い

 番組ではさらにデジタル復元で高松塚の壁画の復元を実施したところ、描かれている人物は死者を悼んでいるのではなく、例えば野外でホッケーに出かけていたりなど楽しげに生活している風景であり、埋葬者が寂しい思いをしないようにという意味があるのではと言う。また天上には星宿図が描かれ四方に四神図が描かれていることから、これらは宇宙と一体化するような意味があったのではとも言う。


 以上、高松塚とキトラ古墳についてだったのだが、キトラ古墳の説明だけが上に書いているように納得しにくいものだった。なお高松塚の壁画、保存していたはずなのにその間に大幅に劣化していたという馬鹿をしでかしたんですよね。これって本当に日本考古学会の大恥なんですが。古墳などの保護について考えさせる事件でもありました。

 

 

忙しい方のための今回の要点

・高松塚古墳で極彩色の壁画が発見されて話題となったが、そこから1.2キロしか離れていないキトラ古墳でも同じく壁画が見つかった。どちらの古墳も建設年代が7世紀頃と接近しており、壁画を描いたのが同じ絵師と推測できることから兄弟古墳と言われているという。
・これらの古墳に埋葬されている人物は不明なのだが、番組では皇室の陵墓地であることから天皇の皇子、それも天武天皇の皇子ではないかと推測している。
・さらに高松塚古墳は遺骨や副葬品、壁画などから忍壁皇子、長皇子、穂積皇子の誰か、キトラ古墳は同じく高市皇子ではないかと推測している。ただしキトラ古墳の説明は少々おかしく、あの論理だと忍壁皇子、長皇子、穂積皇子、高市皇子の4人の内の誰かが正解に感じられる。
・なお高松塚古墳に描かれている壁画は、埋葬者が寂しい思いをせずに暮らせるようにという思いが籠もっているという。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・今回の内容はあくまで一研究者の仮説ですから、全く根本的に違う説を唱えている人も少なくないと思います。実際にあそこに埋葬されている人物が今回挙がった人達だとすると、当然もっと豪華に祀られるべき天武天皇と持統天皇の子供の草壁皇子の墓はどこやねんということにもなると思うし。まあそもそも天皇陵の同定自体が極めていい加減だから。例によって宮内庁が全力で考古学の進展を妨害してるので。

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