教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

4/13 NHK 新プロジェクトX~挑戦者たち~「弱小タッグが世界を変えた~カメラ付き携帯 反骨の逆転劇~」

追い詰められていた後発の携帯電話会社

 令和版プロジェクトX、第2回目はカメラ付き携帯の開発物語。

世界初のカメラ付き携帯J-SH04

 24年前に世界初のカメラ付き携帯電話を作り出したのは日本の弱小メーカー連合であった。1990年代、日本で携帯電話の市場争いはNTTを筆頭に熾烈を極めていた。そんな中で後発の会社が東京デジタルホン(後のJ-フォン)だった。急成長する携帯電話市場に乗っかるべくJRや鉄鋼会社が出資して設立した会社だが、急作りで社員は各社の出向社員の寄せ集め、電話がつながらないという苦情が殺到するなど対応に振り回されていた。矢面に立たされたのは端末調達担当の端末課の面々、仕事は謝罪行脚という羽目になった。しかし3人のメンバーはそもそも畑違いの人間ばかり、新日鉄から出向した太田洋は工事現場で地盤調査の担当、トヨタから出向の北村敏和は部署が解体されてここに来ていた。携帯電話については全くの素人だった。その中でマツダから出向した高尾慶二は、今まで大企業の歯車だった自分も誇れる仕事ができるのではという希望を持っていた。

 しかし後発故につながりにくい電波帯しか割り当てられず、つながりにくいという悪評が定着してしまった。また市場も大手に握られており、端末メーカーは押さえられており、新しい端末の開発を持ち掛けても断られ、大手の型落ち機種を勧められる羽目だった。八方塞がりの状況だったが、高尾は自らに物作りを教えてくれた父のことを思うとここで諦めたくはなかった。

 

 

弱小連合で新端末開発に挑む

 そんな高尾の依頼に乗ったのが後発で携帯電話事業が存亡の危機に瀕していたシャープだった。携帯電話開発に携わる植松丈夫と山下晃司は大手との契約が切れて開発費用が捻出出来ないという事態に焦っていた。勝負を賭けるには新型端末の開発しかない。部下達のことも考えてJ-フォンの誘いに乗る。液晶技術を活かしてポケベルよりも長いメールを送れる携帯電話を開発することを目指した。こうして弱小メーカー連合が成立する。

 翌年、メールを送れる電話機の第一作を発表するが、基板から部品がはがれる故障が起こり生産ラインがストップした。さらに翌年、NTTドコモがiモードを発表、たちまち評判となってJ-フォンは解約が殺到することになる。焦った上層部から高尾には大手を真似た端末の開発命令が出る。しかし高尾はそれは違うと考えていた。そんな時、出かけた先で風景をメールで伝えている観光客を見て、カメラを携帯電話に付けることを思いつく。しかしこの提案は役員会で猛反対を受ける。既に他社がカメラをつけた電話を出していたが、カメラが大きいために外付けになり全く売れていなかった。高尾は「必ず小さくする」と啖呵を切る。マツダに辞表を出して退路を断っての挑戦だった。

 

 

技術的難題に挑んだ「変人」技術者

 サイズを変えずに携帯にカメラを入れることを依頼された山下は驚く。それは不可能な考えだと思われた。その無茶な設計を託せる人物として山下の脳裏に浮かんだのは変わった技術者だった宮内裕正。彼は工業高校出身で独学で技術を学び、15年かけて事務職から技術職に異動を果たした男だった。昼休みにも廃材で実験をし、上の言うことも聞かない変人として知られていたが、山下はその独創性を買っていた。山下から開発を命じられた宮内は面白いと感じた。宮内は研究室に泊まり込んで開発に従事する。宮内のアイディアは奈良工場が開発した超小型カメラに柔軟性のあるフレキシブル基板を組み合わせるというものだった。しかし配線は極めて複雑なので設計の難易度は高かった。2ヶ月後、試作品が出来上がるがカメラを起動すると通信が切れてしまうなど50以上の不具合が発生する。年末商戦まで3ヶ月を切る中、課題が山積みだった。

 カメラ付き携帯を使用するには回線が不安定だと問題が発生する。J-フォンでは高尾らが回線の整備に奔走しながら、シャープの開発状況を息を呑んで見守っていた。

 宮内は不具合の原因は電磁波による干渉だと目をつけた。部品の位置の再調整という細かい作業を始めることになる。山下と植松は宮内を信じて待つしか無かった。そして生産開始前日、宮内はエラーを解消した端末を完成させる。2000年11月1日発売開始。カメラ付き携帯は若者を中心に大評判となり、わずか1年で300万台を販売する大ヒット商品となり、J-フォンは業界第2位に躍進する。携帯部門はシャープの稼ぎ頭となり、山下は部下達を守り抜くことに成功した。

 

 

 という根性の開発物語なんだが、実際はここまでで話を切ると「めでたしめでたし」なんだが、実際は番組でもサラッと触れられているようにこの後日談が惨憺たるものである。今や携帯にカメラは常識となったが、開発の翌年にJ-フォンはボーダフォンに買収され、新製品開発は差し止められて高尾は会社を離れて起業、今は家族と共に日本酒造りに挑んでいるという。またシャープは逆風の中で中国企業に買収された。宮内はそんな中で携帯事業を支え続け、昨年の12月に定年退職した・・・とのこと。

 つまりは今回の主人公だった二社はどちらも今や外資のものとなり、主人公達は既に一線を離れている。そして今やスマートフォンでは日本メーカーの存在感は皆無という体たらくである。あまりにその後が悲惨すぎて冷水を浴びせられる状況。これはいかにもこの間の衰退する日本を象徴しており、技術者がいくらがんばっていても上層部が馬鹿すぎるせいで会社自体がダメになるという経過をたどったわけである。

 こういうのが見えているから、令和のプロジェクトXなんて無理だと言ってたんだが・・・。いっそのことプロジェクトXでなくプロジェクト×(バツ)にするか。それなら候補はいくらでもある。「日本の翼よ再び大空へ~MRJ開発~」「甦れ電子立国の夢~エルピーダメモリの挑戦~」「世界に冠たる古代日本文明を証明せよ~古代石器発掘に挑んだゴッドハンド~」とか。

 

 

忙しい方のための今回の要点

・携帯ブームの中、後発のJ-フォンは苦戦を強いられていた。そんな中、端末課の高尾は新端末の投入での業務拡大を目指すが、なかなか協力メーカーが見つからなかった。
・一方、携帯端末後発のシャープでは部署の存続をかけて、高尾の提案に乗る。こうして新端末開発を目指す弱小連合が結成された。
・高尾は新端末としてカメラ付き携帯を提案、上層部の反対を押しきって強行する。
・しかしこれは技術的にはかなり困難なものだった。シャープの山下は、変人として知られる技術者の宮内にこの難題を託す。
・宮内は作業室に泊まり込んで試作に挑む。彼は超小型カメラにフレキシブル基板を組み合わせた試作機を作り上げる。
・しかし試作機は50もの不具合を出す。宮内は不具合の原因が電磁波の干渉と見て、パーツの位置を細かく見直す膨大な作業に挑み、製造開始の前日にエラーを解消した端末を完成させる。
・カメラ付き携帯は市場を席巻、300万台を売り上げてJ-フォンは一躍業界第2位に躍進、シャープの携帯部門も稼ぎ頭となる。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・上でも書きましたが、結局はここまでは良かったのだがそれからの展開がダメダメで、結果としては一夜の栄華みたいな儚さで終わっちゃうんですよね。
・昭和ならともかく、平成・令和となったらネタにはすぐ詰まると思うな。いきなり第2回で今回のような内容だと、後が続かないのが見えている。

前回の新プロジェクトX

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