教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

5/18 NHK 新プロジェクトX~挑戦者たち~「友とつないだ自動車革命~世界初!5人乗り量産EV~」

初の実用EV・日産リーフ開発の物語

 現在、世界的にEVシフトが進行しているが、その先駆けとなったという日産リーフの開発物語。

初代日産リーフ

 1991年、空前の好景気を謳歌している自動車業界の中で日産も至って好調であった。その一方でアメリカのカリフォルニアで大気汚染規制が強化されるとの情報に、日産も対応を準備しておく必要があると50人のEV開発チームが編成された。主力車の開発部門から移籍してきた門田英稔は、アメリカでわずかに売るためだけの車の開発部門に左遷だと肩を落としていた。電池開発担当の宮本丈司も他の部署から日陰部署と冷ややかな目で見られていた。しかしそこに自ら志願したのが電池担当の枚田典彦だった。車体の銹の研究をしていた彼は、いつか自分が開発した車で両親をドライブに連れて行くことを夢としており、EVでもなんでも良いという考えだった。

 

 

守銭奴が乗り込んできて開発は中止されるが、そこから予想外の展開

 EV開発部は9年かけて技術開発を行ったが、ようやくメドが見えかけた時に日産が2.9兆円の負債を抱えて経営危機に陥り、守銭奴カルロス・ゴーンがやってきてコストカットの一環でEV開発部は問答無用で解散させられる。宮本と枚田の電池開発部は行き場を失うが、今までの開発を無駄にしたくないと各部署を転々としながら細々と開発を続けていた。

日産をかき回した挙げ句に、大金を持ち逃げした守銭奴カルロス・ゴーン

 2人はリチウムイオン電池に目をつけていた。しかし発火しやすいリチウムイオン電池は車には無理だと言われていて、トヨタのプリウスでも採用が見送られていた。しかし彼らはこれに成功したら画期的だと考えていた。そして8年後、門田に役員から新EVプロジェクトを立ち上げるとの命が下る。カルロス・ゴーンがEVを量産化することを決定したのだったが、開発期間はわずか3年(一般的な車の半分)しか与えられなかった。ゴーンの方針転換だった。門田はプリウスとの真っ向勝負とかつてのメンバーを招集する。そして5人乗り車で1回の充電で160キロ以上走破という目標を掲げる。

 

 

製造現場との衝突、しかしそこから新たな協力体制が

 枚田達はバッテリーのセルの最適な製造条件のために実験を繰り返す。半年後、そこに1人の男が電池の開発状況を訊ねに訪れる。生産技術部の岸田郁夫だった。電池量産の工場ラインの責任者だった。しかしまだ電池の使用が定まっていないことを聞いて激怒、しかも量産とはほど遠い手仕事での生産状況は量産担当の岸田には呆れるようなものだった。納期を間に合わせるために技術開発と工場のラインの建設を平行することになるが、これは岸田にとっても初めてのことだった。彼は独自に製造工程表を作って枚田に押し付けるが、それは枚田にとっては無茶そのもののもので、枚田は開発を無駄にするのかと激怒する。量産の立場の岸田と開発の立場の枚田は真っ向から意見が対立して険悪な雰囲気となる。板挟みとなったのが電池を保護するパックの担当の平井敏郎。一触即発で睨み合っている2人に戸惑うことになる。しかも開発中の電池パックが発火する事件が頻発し、発売までに1年半しかない中で、彼らは窮地に陥ることになる。

 2009年、リーフと名付けられた開発中の車が発表され、ゴーンがその性能を高らかに謳い上げるが、実はまだこの時は開発は難航中だった。いよいよ退くにも退けなくなっていた。内輪もめをしている場合ではないと枚田は岸田と平井に「今後はこの3人ですべてのことを決定しよう」と呼びかけ、役員会で「責任はとるから自分達にすべて任せてくれ」と言い切る。これで3人は一心同体で動くことになる。毎日部下を帰した後に集まって徹底的に議論をしてアイディアを出し合った。

 電池を守るために平井はパックを強化して衝撃試験をくり返し、どんな事故でも発火しないパックを作り上げた。しかしそれでも電池の寿命の問題がまだ解決できなかった。その時に枚田の元上司の宮本が電池メーカー(Panasonicである)出身の新田芳明を助っ人として連れてくる。新田は電池シートの間に電解液が均等に入らないことによる反応のムラが原因と究明する。発売まで半年、何とかしないとと枚田が工場に行くと、開発メンバーが休日返上で議論をしていた。そこでNECから出向していた出向していた雨宮千夏が「あのうどん棒は関係ないでしょうか?」と指摘する。うどん棒とはNECで小型電池を製造する時にうどん棒のようなものを使って人の手で皺を伸ばしていた行程だった。枚田達は藁にもすがる思いで試して見たところ、電極シートの間から泡が出て来た。これで電解液が均等に染み込んで電池の寿命が劇的に上がる。それを聞いた岸田は直ちにこの行程をラインに取り込むべく社内を走り回って14台のしわ伸ばし機をわずか2週間で作り上げて製造ラインに押し込む。

 そして12月リーフは発売される。翌年に世界のカーオブザイヤーを総なめする。

 

 

 と、ここまでは見事な開発物語なんだが、こうやって世界に先駆けて実用的EVを開発した日本の自動車メーカーのその後は・・・。リーフ発売後に続々と参入した他国のメーカーに日本は負けているのが現状で、販売数トップを走るのは中国とアメリカのメーカーというのはこの番組のEDでもサラッと触れられている。発火事故は0で安全性は高く評価されているなどと言っているが・・・。

 しかもその後、日産は電池の開発部門だけを残して生産工場を他社に譲渡との話が出る。そして枚田氏は日産に残っているが、平井氏はベンチャー企業を立ち上げて小型EVを開発、岸田氏は中国で電池生産の会社を立ち上げたとの話で、「なんで外部に流出してるねん!!」という世界である。岸田氏が日本に帰国すると3人で情報交換をするなんて綺麗な話でまとめているが、日産は何しとんねん(結局は守銭奴ゴーンに振り回された挙げ句に、大量の金を持ち逃げされただけである)という毎度の体たらくであり、例によってこの国のダメさだけが浮き彫りになるのである。

 しかも電気自動車自身も、この時に枚田氏らが開発した画期的な電池でも、実用を考えた時にはまだまだ問題山積み(これでも走行距離は不十分だし、冬期に大幅に性能低下するので寒冷地域では使い物にならない)の状況で、これが世界的なEVシフトを頓挫させるのではという状況なっており、結局はプリウスの方がむしろ実用性から再評価が出て来ているという状況。なんかいろいろとダメダメムードがあるのが否定できない。

 

 

忙しい方のための今回の要点

・1991年、アメリカのカリフォルニアでの排ガス規制に対応するために、日産でEV開発のプロジェクトチームが立ち上げられる。
・しかし細々と開発を続けていた9年後、日産の経営危機に乗り込んできたゴーンのコストカットでEV部門は解散させられ、電池開発をしていた宮本と枚田は各部署を転々とさせられながら、密かに開発を続けることになる。
・だがその8年後、ゴーンがEVのグローバル展開をぶち上げ、EV部門が急遽再招集される。しかし開発期限は3年しかなかった。
・枚田は電池の開発を続けるが、そこに生産部門リーダーの岸田が乗り込んでくる。生産ラインを作る必要がある岸田と、開発担当の枚田の間の認識の差は大きく、両者は激しく衝突、電池セル担当の平井が間に挟まれて戸惑うことになる。
・2009年、ゴーンがリーフの開発と販売を高らかに謳い上げる。これで退くにも退けなくなった枚田らは3人で集まってこれからすべてを決定していく体制をぶち上げ、連日夜に議論を重ねることになる。
・セル担当の平井はテストを繰り返して絶対に発火しないセルを作り上げる。しかしまだ電池寿命の問題が解決していなかった。
・電池寿命にはPanasonicから移籍した新田が寿命低下の原因を究明、NECから出向の雨宮のアイディアでその解決策が見つかる。岸田は社内を駆けずり回ってそのシステムを生産ラインにねじ込む。これでようやくリーフの開発は成功する。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・いかにも番組は美しくまとめているんですが、先だってのカメラ付きケータイなどと同じで、その後がダメダメなんですよね。何か技術者の奮闘物語をぶち上げるほど、経営者の無能ップリが際立ってしまう感がある。だから悲しいんだよな、平成のプロジェクトXなんて。

前回のプロジェクトX

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