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4/1 BS-TBS にっぽん!歴史鑑定「古代史ミステリー・卑弥呼とは何者だったのか?」

 日本古代史の有名人といえば邪馬台国卑弥呼だが、彼女が登場するのは三国志の中の魏志倭人伝の2000文字ほどの文章の中である。それによると倭国が乱れたので、各国が卑弥呼を女王として共立したとある。ここで番組は「卑弥呼邪馬台国の女王とよく言われるが、それは間違い」と言っている。倭国の各国が卑弥呼を共立したのだから、卑弥呼倭国の女王であり、住んでいたのが邪馬台国というのが正解とのこと。これは確かに言われてみたらその通りだ。で、卑弥呼が女王に立てられたわけだが、彼女は鬼道に通じていたからだという。鬼道とはいわゆる祖先崇拝で死者の声を聞くこと。つまりは「いたこ」のようなものである。

 では卑弥呼とは一体誰なんだと言うことで、江戸時代辺りから日本書紀古事記から卑弥呼に当たると思われる人物を引っ張ってくるというのがさかんに行われていたらしい。新井白石卑弥呼神功皇后だったという説を唱え、本居宣長卑弥呼神功皇后だったが、魏に使者を送ったのは卑弥呼を名乗った熊襲の女首であって偽物という説を唱えているそうな。これ以外にも天照大神説なんかもあるらしいが、最近有力視されているのは第7代孝霊天皇の皇女である倭迹迹日百襲姫(やまとととひももつひめ)という舌を噛みそうな名前の女性。彼女はまさに御先祖の声を聞くという能力を持っていたらしい。

 また卑弥呼が女王だったという考えに対する異論もあるという。学習院大学講師の遠山美都男氏によると、卑弥呼の時代に女王が立っていた痕跡がないという。そもそも卑弥呼という名前はヒメミコから来ていると考えられ、ヒメミコとは特殊な能力を持つ皇族の子供という意味になるので、女王であればおかしいというのである。だから実際は男の王が立っていて、彼女はそれを補佐する立場だったのではというのが彼の説である。

 最後は卑弥呼の死因とその墓のことだが、奈良女子大学副学長の小野田泰直氏は戦死説を唱える。卑弥呼は狗奴国との戦いにおいて、自らが祖先崇拝において重要な偉大なる始祖の立場になるために戦死したのだという。そしてその墓が箸墓古墳であり、近くの纒向遺跡邪馬台国という畿内である。

 一方、神戸市外国語大学の若井敏明氏は狗奴国に邪馬台国が戦勝した時にもまだ卑弥呼は生存しており、結局は高齢で自然死したのではとしている。そして邪馬台国吉野ヶ里遺跡卑弥呼の墓は祇園山古墳であるという九州説を唱えている。

 要はまだ畿内説と九州説の両方の決着はついておらず、今のところは両者ともにそれなりの説得力があるという状態である。ちなみに私は邪馬台国九州説を採っている。つまりこの頃に中国史に登場する倭という国は、九州から朝鮮半島にかけての辺りに存在した勢力であり、この時代の畿内は中国の認識には入っていないというのが私の考え。それがやがて畿内の勢力が強くなり、ついには九州にまで進出して併合するようになったと考えている。実際に九州の辺りには源平の時代になっても独立性の強い大勢力があったようであり、昔からこの地域は中国と結びついた一つの勢力だったのではとの認識である。いずれ何かの大発見でこの問題に決着がつくのかもしれないが、その時にはまだ私がこの世にいるんだろうか?

 今回は古代史と言うことで不明な点が多いので番組もあれやこれやと推論を立てやすくて番組を作りやすそうだというのを感じた(笑)。やはり先週の三英傑なんかよりも、こういういろいろと憶測をしやすい時代の方が番組向きか。どんな突飛なことを言っても否定はしにくいんだから。