教養ドキュメントファンクラブ

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3/25 BS-TBS にっぽん!歴史鑑定「徳川家康はなぜ天下を取れたのか?」

 三英傑などと言われているが、織田信長豊臣秀吉に比べるとどうにもイメージが地味な徳川家康。その家康がどうやって天下を取ったかを分析するという。番組では5つのポイントを挙げている

 1つは逆境をチャンスに変えるしぶとさ。今川配下の際に桶狭間今川義元が亡くなった時は、下手すると巻き込まれかねないところを逆に独立につなげた。また信長から長男と正室を殺害するように命じられた時も苦渋の決断でそれを呑んでいる。結局はこのことが信長からの信頼を得ることにつながり、領地の拡大につながっている。また本能寺の変では神君伊賀越えの危機があったが、岡崎に戻った後に織田領だった甲斐と信濃を併合して力をつけることに成功している。

 2つ目は人質経験などで培われた慎重さ。秀吉に上洛を求められた時は散々抵抗して、最後は秀吉が実母を人質に送るということまでしてから上洛している。これは自分の存在価値を高めることにもなった。また関ヶ原の合戦では江戸に戻ってから各大名に実利を説いて味方につくように勧誘し、さらに豊臣恩顧の大名が確実に自分に従うことを確認してから戦に臨んでいる。

 3つ目は家臣。機動武士ホンダムこと本多忠勝を始めとする譜代の三河衆のみならず、外様である井伊直政まで重用している。また独断の信長、丸投げの秀吉と違い、家臣の意見を聞くということを実践している。

 4つ目は健康。家康は麦飯を食べて贅沢をせず、また鷹狩りなどの運動をしていた。これらは自らの健康を保ち多くの子孫を残すため。

この辺りは以前に歴史科学捜査班でもやってましたね。

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 結局は家康が多くの子供を残したことで御三家などのサポート体制を確立している。

 5つ目は天下泰平向けての数々の施策。家康は外様大名に対しては石高増などを口実にして江戸から遠い位置に国替えさせ、譜代の家臣を要所に配置している。また外様大名には江戸城普請などで費用を負担させて弱体化させることを行った。この時期に家康は大名を官僚に変化させるという改革を行っている

 そして総仕上げが自分が生きている内に豊臣家を滅ぼしたこと。これはまさに念押し。しかしここでのあまりにえげつない因縁の付け方が、未だに家康のダークイメージとしてつきまとっていて、これが冒頭での人気がイマイチの最大の理由だと思うのですが・・・。

 まあなんだかんだで家康がやったことを振り返っているわけだが、正直なところ目新しい話は何もないし、切り口を変えたというほどのものでもないし、何か中身がありませんな。今回の内容は・・・。