戦艦大和は世界最大の46センチ砲を装備した不沈戦艦として設計される。大和の主砲が46センチだった理由は、仮想敵国であるアメリカの戦艦がパナマ運河通行の関係で40センチの主砲が限界だったこと。つまりアメリカの戦艦の主砲の射程外から攻撃しようという考えだった。大和の主砲は東京から鎌倉まで届く射程を有していた。また大和には最新の防水区画や注排水システムを装備していた。片側に浸水しても反対側に注水することで水平を保てるようになっていたという。
しかしこの大和に対し、航空機決戦の時代が来るということを予想していた山本五十六などは「無用の長物」と批判をしている。そして実際にこの山本の批判が正しかったことは後の戦闘で証明されてしまう。
日本の総力を結集して建造されたこの大和が実戦で活躍することはなかった。初めて出陣したミッドウェー海戦では、日本の暗号がアメリカに筒抜けだったこともあり先行する空母部隊が壊滅、大和は後方500キロでそれをなすすべもなく傍観するしかなかった。
次に作戦に投入されたレイテ沖海戦では、通信状況が悪かったせいで大和は戦況を把握できず、レイテ湾突入を前にしてアメリカ軍の待ち伏せを警戒して引き返すという失態を演じてしまう。
そして最後の戦いが沖縄特攻。最初から無謀な戦いだったのだが、ここで大和は航空機からの激しい爆弾と魚雷にさらされる。アメリカ軍は大和の左舷を徹底して集中攻撃するという戦法をとっており、これに対して大和の注排水システムもついに追いつくことが出来なくなって艦は横転して沈没している。なお最早航行不可能となった時、司令長官の伊藤整一は作戦中止を告げ、生存者の避難を指示してから自らは長官室に籠もって大和と運命を共にしたという。この伊藤の判断のおかげでこの作戦に参加した6000人の内の3000人の命が助かったとのこと。そもそも伊藤は最初からこの無謀な作戦に反対だったのだが、「一億総特攻の魁となって頂きたい」と言われて引き受けたらしい。それにしても一億総特攻とは、全く馬鹿軍部は何を考えてるのやら。国民全員が死んでしまって何が残るというのだ・・・(恐らく自分たちだけは残るつもりだったんだろう)。
以上、不沈戦艦はなぜ沈んだか。それは軍部が馬鹿だったからです・・・。しかしこんな馬鹿な戦争をまたやりたがっている馬鹿が今もいます。人間は本当に学習能力を持っているんだろうかと疑問を感じるのだが、実際にはこんなにひどい戦争でも実は良い思いをしていた者はごく一部にはおり、そしてそういう輩が今も権力に連なっているからということが現実なのですが・・・。