教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

4/22 BS-TBS にっぽん!歴史鑑定「不良将軍!?名君・吉宗の女性スキャンダル」

 今回の主人公は、享保の改革で幕府の財政を立て直し、さらには庶民のために小石川養生所を開設した名君として名高い徳川吉宗。「暴れん坊将軍」なんてあだ名もありますが、下半身の方も暴れん坊だった?というお話。

 吉宗の女性スキャンダルといえば隠し子騒動がまず上がる。ご落胤騒動の「天一坊事件」が有名だが、これはあくまで講談であって、歌舞伎などでのお話。ただこの件に関しては実際に元ネタがあるのだという。源氏坊改行事件というその事件は徳川家の歴史にも記録されており、要は源氏坊改行という男が吉宗のご落胤だとして方々から金を集めたりしていたらしい。この件は関東代官の伊奈半左衛門忠逵という人物が裁いており、改行は打ち首獄門となりその一党も処罰されている。ただこの改行は紀伊出身で、母から源氏の血を引く貴い人物が父親だと聞いており、彼女が妊娠したと思われる時期はちょうど吉宗は紀州にいた時期なので、実際に吉宗のご落胤であった可能性は否定できないという。

 もっとも「徳川の血はスケベの血」と言われるだけあって、隠し子疑惑は吉宗に限った話ではないという。家康の重臣だった土井利勝は家康の隠し子だったと言われているし(子供の頃からあまりに重用されすぎている)、また秀忠は女中のお静に男の子を産ませており、正室の江の嫉妬を恐れて(江はかなり嫉妬深い女性であったと言われている)密かに養子に出している。それが後の保科正之だったという。また徳川綱吉の側近であった柳沢吉保の側室の染子は元々は綱吉が寵愛していた女性だという。そして吉保の嫡男の吉里は綱吉の子であったらしいとのこと。

 とは言うものの、吉宗の女性スキャンダルは桁違いに多いらしい。11歳でおつきの次女に手を出したとか、鷹狩りのついでに山伏の娘だとか農家の娘だとかに手を出したとか、夫のある奥女中が気に入って離婚させただのと諸々のエピソードに事欠かないらしい。

 もっとも吉宗にこの手のスキャンダルが多い理由は、そもそも紀州にいた頃は本来は跡継ぎの立場ではなかったので結構自由に遊び回っていたと言うことと、吉宗の足を引っ張りたい敵もいたからだとしている。

 その敵として考えられるのは、まずは吉宗が将軍になったことで失脚させられた新井白石や間部詮房。そして吉宗と将軍位を争った尾張の徳川宗春がいる。特に宗春は吉宗の質素倹約路線に真っ向から反対し、むしろ消費を拡大して経済を活性化させる積極策をとっている。このおかげで名古屋の町はかなり賑わったらしいが、宗春の行動に危機感を抱いた幕府とつながった重臣達のクーデターで隠居に追い込まれる。

 なお吉宗は大奥をリストラしており、正室が若くして死んだ後は正室も取っておらず、四人の側室も次々と亡くなって最終的には一人だけとなっており、実際には家庭的にかなり寂しい人だったのではとの話。

 以上、吉宗について。英雄色を好むなどと言いますが、吉宗もそうであったのか、それともそれは単に敵対者による誹謗中傷の類いだったのか。まあ真実は中間だと思います。実際に紀州時代の吉宗がかなり遊んでいたのは間違いないですから。

 なお教科書には江戸の三大改革といって、享保の改革、寛政の改革、天保の改革が出てきますが、実際に成功したのは享保の改革だけで後は完全に失敗です。そもそも享保の改革の理念は「家康の時代に戻る」というものであり、重農主義の発想でした。吉宗の時代ならまだ何とかなりましたが、時代が進むにつれて世の中の実態との乖離が大きすぎて失敗してます。また宗春がアンチテーゼを打ち出して結局は失脚に追い込まれていますが、緊縮財政路線は景気を縮小させてしまうので場合によっては積極財政の方が正解の場合があります。まだこの時代の経済学はそこまで進歩していなかったと言うべきか。

 江戸時代が進むと共に商業が発展して世の中が変わってきているのですから、それを織り込んだ政策を実行すべきだったのですが、結局幕府は最後までそれに失敗してます。現実に商業を重視する路線を打ち出したのは田沼意次ぐらいですが、あまりにもドラスティックな改革だったために保守派の反発を食らって彼は失脚させられ、賄賂政治家の汚名を被せられています。私は田沼の路線がそのまま継続されていたら江戸幕府の命脈はもっと保たれたと考えております。と言うわけで、いつか大河ドラマの主人公にと私が考えている人物は「田沼意次」です。明智光秀が実現するそうなので、その次辺りにどうでしょうか(笑)。最近、石田三成は明らかに再評価されてきてますし、明智光秀も再評価が進みつつあるような印象です。となると次は田沼意次をよろしく。

 


忙しい方のための今回の要点

・吉宗にはご落胤騒動を始めとして、数々の女性スキャンダルが記録に残っている。
・しかしこれらの風説は吉宗と敵対する者達が意図的に吉宗の評判を落とすために流した可能性もある。
・実際の吉宗は正室や側室に次々と先立たれ、結構寂しい生活を送っている。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・源氏坊を元ネタに天一坊が登場と、やはりこの時代の歌舞伎は時事ネタにはかなり敏感です。
・徳川宗春の積極財政論も実は一理あるのですが、ただこの間に尾張藩の財政が悪化してしまったのが致命傷でした。景気刺激の収穫を得るにはもう少し時間が必要だったようです。
・「徳川の血はスケベの血」ということは、確か子孫のどなたかが言われていた記憶があるのですが、誰だったかまでは覚えてません。まあ歴史的に見ても、少なくとも家康はかなり子供を残してますし、将軍としてはこれといったことをしていないのに子供だけは53人も残した家斉のような方もいますので・・・。