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5/13 にっぽん!歴史鑑定「吉原誕生のひみつ」

 最盛期には1日1000両が動くと言われた大歓楽街・吉原。その吉原がどうやって成立して発展したかが今回のテーマ。

江戸の建設と遊女屋

 吉原の成立は江戸の町の成立と関係している。豊臣秀吉に関東への国替えを命じられた家康は湿地帯の江戸に一大城下町の建設を始める・・・とここからはしばし先週の復習になるのだが、要はそのような作業に大勢の職人などの男達が集まってくる。となるとそれを当て込んだ遊女屋が各地に出来たのだという。一時期には50軒もの遊女屋が各地に林立したという。

 これに慌てたのは幕府。遊女屋は風呂があって火を使うために火事を起こす危険がある。もしそうなれば建設中の江戸の町が灰。そこで遊女屋を強制的に移転させたり、遠くに追っ払ったりしたそうだ。

幕府公認遊郭の成立

 その時にこんなことをしょっちゅうやられたらたまらないと考えた遊女屋の楼主の一人である庄司甚右衛門が、幕府公認の遊郭の建設許可をもらいたいとして嘆願書を提出する。一度は拒絶されるが、再度嘆願書を提出。1.遊女屋に入り浸る者が出ないように一晩以上は止めないようにする 2.貧しい家から娘を養女とし、後に遊女に売るような悪質な輩が横行していたが、幕府公認の遊郭ができるとこのような娘を救うことが出来る。 3.不逞の輩は遊女屋などに集まりやすいので、これを一カ所にまとめるとこのような連中を見つけやすくなる の3点のメリットを訴える。彼がここまで遊郭の設置に拘ったのには、新興の遊女屋に利益を取られるのを防ぐのと、トラブル発生で遊女屋自体が禁止されることを防ぐことが目的にあったという。これに対して幕府は、この時代にはキリシタン商人に奴隷として海外に売られる娘たちがいたことなどから、彼女たちを保護するという意味で遊郭の設置を認める。

 遊郭の設置場所は風紀の問題もあり、江戸の外れの人形町の場所に決定される。当時はここは湿地の葦原であり、これを埋め立てて東京ドームぐらいの広さの土地が作られてここが遊郭となる。そして葦原から吉原になったのだとのこと。ただ当時の吉原は後の時代と違い、遊女の服装や店を質素にすることを幕府から命じられたので、一般にイメージするような華やかな吉原とは違ってかなり地味なものだったという。また大夫、格子、端とランクがあった遊女達の指名料は一番下の端でも2~4万円と、当時の大工の日給が2000~6000円程度だったので庶民には無縁で高級武士などが客だったという。だからその相手をするために和歌、茶道、琴などの芸事が要求され、これが吉原の遊女の伝統ともなる。

銭湯がライバル?!

 こうやって成立した吉原だが、やがて強力なライバルにその存在を脅かされるようになる。そのライバルとは何と銭湯。当時の銭湯には湯女という体を洗ってくれる女性がいたのだが、彼女たちが性サービスも行うようになったのだという(つまりは銭湯がソープランドになったということ)。吉原よりも安いと言うことで庶民を中心に大人気になる。そこで吉原の楼主の中には銭湯に遊女を派遣して稼がせる者まで出てくるが、これは吉原以外での商売を禁止するという幕府の定めに反しており、これらの楼主達は磔にされ、さらに吉原には夜間営業の禁止の沙汰が下される。これは歓楽街には致命的であり、吉原はさらに劣勢となっていく。

 さらには勝山というアイドル並みの人気を誇るカリスマ湯女まで現れ、庶民どころか武士までもが銭湯に行く始末。とうとう吉原は閑古鳥が鳴くことになってしまう。そこで吉原では幕府に銭湯の取りつぶしを要請する。吉原は幕府に運上金という税金(賄賂?)を収めていたので、要求を呑んでもらえるだろうという計算。実際に幕府はその通りに動き、これで吉原が救われることに。なおカリスマ湯女の勝山は吉原にヘッドハントされて人気大夫となったとか。後の花魁道中のスタイルを確立したのは彼女らしい。

吉原の移転・・・新吉原へ

 権力によってライバルを排除してこれで安泰と思われた吉原だが、ここにまた権力の方から一方的に立ち退きを迫られることになる。これは江戸の人口増加と共に町の領域が広がり、吉原は今や江戸の外れではなく町の中になってしまったことが原因だという。またこの時代には浪人が多く、世の中に不満を持った浪人による叛乱(由井正雪の倒幕計画など)が目論まれたことなどもあり、治安の観点からも吉原を江戸の中心から遠ざけたかったらしい。

 この移転作業を命じられたのは北町奉行の石谷貞清。彼が移転先に選定したのは浅草日本堤。遠くへの移転を渋る楼主達に、面積を現在の1.5倍することや移転の補償金を出すことを示して移転を認めさせる。

 しかしそこに起こったのが明暦の大火。江戸の町は丸焼けとなり、職人も資材も不足する状態。移転作業どころでなくなってしまう。そこで石谷は陰陽師のネットワークを使用して全国から職人を動員すると共に、火事の瓦礫を移転先の埋め立てに使用することにする。こうして4ヶ月で吉原の移転に成功する。

 移転後の吉原は新吉原と呼ばれ、これがよく我々がイメージする華やかな吉原となったのだという。

 

 いつの時代にも風俗街はあるのだが、幕府はこれを一カ所に固めることで管理しやすくしようと考えたということ。まあ今ではあちこちの町に風俗店はありますが、これも大体エリアは固まっています。これは今日でも法律的に諸々の規制があるということがあるでしょう。どちらにしても「歩く道徳教科書」と言われている私には関係ない世界です(笑)。

 なおキリシタン商人が日本の女性を奴隷として売っていたと言う話ですが、実際にこれがキリシタン禁教令の原因になったとも言われています。当時のヨーロッパ人は世界中で奴隷をかき集めていたということです。これもヨーロッパの負の歴史であります。


忙しい方のための今回の要点

・治安対策や貧困家庭の娘の救済という意味で幕府は吉原の遊郭の設置を認める。
・初期の吉原は幕府の命によって質素なものだった。
・やがてソープランド化した銭湯が吉原の商売敵となり、吉原は権力によってこれを取りつぶさせる。
・江戸の町の拡大によって吉原は人形町から浅草日本堤に移転を命じられる。

 

忙しくない方のためのどうでもよい点

・運上金云々って話がありますが、もろに利権と賄賂の臭いがしますね。この界隈にはそういった汚い話がつきまとうのは今も昔も変わらないということで。
・この時代の大夫と言えば、今で言う芸能人に匹敵します。実際に芸事をしていたわけですから。最先端の流行モードなんかもここから発信されたとか。もっとも最近は芸能人ではなくて芸NO人が多すぎますが。