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5/20 にっぽん!歴史鑑定「五・一五事件 24時」

 戦前に海軍士官らによって起こされたテロ事件五・一五事件。当時の総理大臣である犬養毅を暗殺するという凶行だったが、日本政府を転覆してクーデターを図るという大胆な犯行だった割には、その実行に関しては意外なお粗末さも目立つという。

 事件の首謀者の一人、三上卓海軍中尉は事件当日、忌引きを装って呉から上京していた。彼は黒岩勇海軍予備少尉と共に事件の準備に奔走していた。国民に呼びかけるためのビラの製作をしていたのだという。三上は文が立つことから檄文の作成を担当したらしい。

 彼らが決起に及んだ理由には、海軍軍縮会議で軍縮条約を締結した政府に対する不満、さらに二大政党の対立で政治がうまく回らない上に汚職事件も発生していた。またこの時に総理になっていた犬養毅は満州軍の暴走によって建国された満州国に対して反対の立場を取っていた。さらにこの時は大恐慌の影響で経済は混乱、日本でも庶民は困窮にあえいでいた。しかしその一方で財閥は自分たちだけ利益を独占という状況であった。そんな中彼らは、日本を救うには財閥や政党政治を打破して新たな国家を作るしかないと考えたのだった。

 なお計画実行がこの日となったのは、ヒストリアにも出てきたようにチャップリンの歓迎会が催されるのでそこを襲撃しようと考えたからだという。しかしその後、本当に歓迎会が首相官邸で開催されるのかという疑問が出、結局は計画は変更されたが日程だけはそのままということになったらしい。

 彼らの計画は三上、黒岩らの第1組が首相官邸を襲撃、古賀清志海軍中尉らの第2組が内大臣官邸を、中村義雄海軍中尉らの第3組は政友会本部を襲撃した後に、合流して警視庁を襲撃するということになっていたという。さらになぜか一人、明治大学学生の奥田秀夫が第4組として三菱銀行本社を襲撃し、また農民らが6カ所の変電所を襲撃して首都に大規模な停電を起こすということになっていたという。

 事件当日に各組は拳銃や手榴弾などの武器を受け取って、それぞれの集合場所に集まる。そこからの移動は目立たないように車を使うことになっていたという。

 まず最初に動いたのは2組。予定より早く内大臣官邸に到着した彼らは、予定よりも早く襲撃を開始。まずは古賀が手榴弾を投げ込むが、30mも手前で爆発、続いて同行した陸軍士官候補生が手榴弾を投げるが使い方をよく分かっていなかったせいもあって不発。お粗末な襲撃だったが、彼らはビラを撒いてから次の襲撃先である警視庁に向かう。

 政友会本部を襲撃した3組は時間通りの5時半に中村が手榴弾2発を投げ込むが不発。そこで警視庁で使用するつもりだった手榴弾を1つ投げ込み、その爆発を確認してから警視庁に向かった。

 首相官邸に向かった1組は表門と裏門に分かれて侵入、犬養首相を発見する。銃を突きつけられた犬養は動揺する様子もなく彼らに話し合いを持ちかけたという。立場は違っても国を憂う心は同じと考えていた犬養は、彼らとも話し合えば理解できるはずと考えていたのだという。しかし頭に血が上っている彼らは犬養に対して銃を発砲する。なお彼らは犬養は即死したと考えていたらしいが、銃弾7発の内で命中は2発で、犬養はまだこの段階では生存していたという。

 その後はバラバラに警視庁に向かったのだが、手榴弾がまた不発だったりなどで結局はガラスを割った程度で彼らはそれぞれ自首のために憲兵隊本部に出頭する。一方、最後まで犯行を躊躇っていた奥田秀夫は7時頃に三菱本社に手榴弾を投げ込むがこれははるか手前で爆発、日を改めるべく潜伏した彼は、翌日下宿に一時戻ったところで逮捕されたという。

 なお変電所を襲撃した農民達だが、変電所の機械のことが全く分からず、手当たり次第にスイッチを切ったり機械を壊したりしたものの大した被害は与えられなかったという。

 とこのように、犬養首相の暗殺は実行したが、意外なほどにそれ以外はグダグダな展開になっている。どうも暗殺までしなくても脅しをかける程度でよいと考えていた者もいたのではという雰囲気である。一番の驚きは、この後の彼らの軍事裁判。主犯格の三上らは死刑を求刑されたのだが、判決は禁固10年という超甘々判決。軍隊という内部での処置ならではである。また犬養首相の死後、政党政治は崩壊して軍部の暴走は制御不能になってくるのだから、彼らの暴発を利用した本当の悪が上層部に潜んでいたのではと思われる。

 結局はこの後、軍部の暴走の結果孤立した日本は戦争に突入、その挙げ句に亡国の淵にまで追い込まれてしまうのである。憂国で決起したはずの若者達の浅慮の結果は、あわやこの国を滅ぼすところにつながったのだから皮肉ではある

 

忙しい方のための今回の要点

・五・一五事件は複数組に分かれて要所を襲撃、この国の政府の転覆を謀る壮大なクーデター計画であった。
・しかし計画の割には手榴弾の不発など実行面での不手際も多く、現実には計画は完全に成功したといいにくいところがある。
・事件の首謀者達は軍事法廷の結果、かなり甘い処分に終わることになった。
・この事件が後の軍部暴走による戦争突入の一つの契機にはなっている。

忙しくない方のためのどうでもよい点

・若い奴をけしかけて、結局は自分たちの思惑通りに暴走させるというのは、今も昔も実は腹黒いジジイの常套手段です。どうもこの事件も背後にそういう奴が潜んでいるような気がする。
・手榴弾の不発がやけに多すぎるように思うのですが、三上がくすねた手榴弾が粗悪だったのか、根本的に使い方を間違っていたのか(ピンを抜いてないとか)どちらなんでしょうね。まあ手榴弾の不発は実はそう珍しくはないと聞いた覚えがありますが。