教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

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番組リスト

5/27 にっぽん!歴史鑑定「万葉集に隠された本当の古代史」

 今回のテーマは万葉集。4000首以上の歌を集めた20巻に及ぶ歌集である。ただこの歌集については分かっていないことも多いという。

 これを編纂したのは大伴家持と言われている。それは彼の歌が400首以上も含まれていることなどによる。ただ彼が一人で編纂したと言うよりも、それまでにあちこちで編纂されていた歌集を彼が集めたのではないかとのこと。歌の中には天皇や貴族達の歌もあるが、一方で庶民の歌も含まれている。また防人の歌(「海は死にますか、山は死にますか」ではない)なども含まれている。

 なお家持が歌を集めた理由については、当時の貴族にとっては歌のスキルというのは不可欠のものだったので、そのスキルアップのための資料だったのではというのが番組での解説。

 ところでこの万葉集、実際に読もうと思うとかなり難解である。と言うのは当時の日本には漢字しかなかったので、日本語の音にそのまま漢字を適当に嵌めている「万葉仮名」という形式のために非常に読みにくい(珍走団の「夜露死苦」などの珍走仮名と同じ)。しかも「十六」と書いて四×四=十六から「しし」と読むなど、ほとんどトンチとしか思えないような読み方まであるとか。万葉集が編纂されたのは平城京の時代だが、平安時代以降になると既にもう読めなくなっていたらしい。そこで平安時代中期には村上天皇が万葉集の解読を五人の歌人に命じたなんてこともあったらしい。そして鎌倉時代中期に万葉集研究に生涯をかけたという学問僧・仙覚が全文を解読して注釈を加えた「万葉集注釈」を執筆、これが今日の万葉集研究の基礎となっているとのこと。

 万葉集の歌の歌風は年代で変わり、主に4つの時代に区分できるという。最初が629~672年の初期万葉時代でこの時代には素朴で大らかな歌が多いという。この時代の代表的歌人と言えば額田王になるが、彼女は大海人皇子の妻だったのだが、兄の天智天皇に見初められて彼とも関係を持っている。兄が弟の妻を略奪した形であり、これが壬申の乱の遠因の一つではとの分析もあるのだが、番組ではこの時代の恋愛の形はかなり開放的で大らかだったので、現在イメージするような泥沼の三角関係ではなくもっと公然のものであり、これは乱とは無関係だろうとのこと。

 次の時代は672~710年の白鳳万葉時代で力強い歌が多いという。この時代を代表する歌人は柿本人麻呂であるが、彼は平安時代には歌聖と呼ばれ、鎌倉時代になると歌の神として神社に祀られるようにまでなったという。

 次の710~730年の平城万葉時代は個性的な歌が多く、貧窮問答歌で知られる社会派歌人・山上憶良が登場する。彼の歌は当時の庶民の生活を描いたドキュメンタリーのようなものである。

 最後の730~759年の天平万葉時代は優美な歌が多く、大伴家持の歌もここで多数登場することになる。ここで結びの歌は大伴家持の作品なのであるが、実は大伴家持の歌はこれが最後で、この後の25年の彼の歌は全く残っていないのだとか。それは大伴一族がこの頃に台頭してきた藤原氏と争って反逆を起こしており、家持も死後にその事件に連座されられたためだろうという。恐らくその際に彼の歌はすべて処分されたと考えられるとか。朝廷内の権力闘争までもが影を落としているらしい。

 以上、新元号「令和」の出典になったと言うことでにわかに注目を集めた万葉集について。確かに万葉集は後の官選歌集である古今和歌集なんかと比べるとかなり性格が異なるものであり、その辺りが興味深いところであります。当時は庶民レベルでもこれだけ歌が残っているということは、歌がかなり生活に密着していたということでしょう。そう言えば今でもオカンとかは家事をしながら怪しい歌を口ずさんでいることがありますが、もしかしたらそういうのと同類かも(笑)。

 


忙しい方のための今回の要点

・万葉集を編纂した大伴家持は自身の歌のスキルアップの資料として歌を集めたと推測される。
・万葉仮名で書かれた万葉集は、既に平安時代には読めなくなっており、鎌倉中期に仙覚が全文を解読した「万葉集注釈」のおかげで今日でも読める。
・万葉集の歌はその性質が年代として4つの時代に分けることが出来る。
・万葉集の結びの歌を残した大伴家持だが、彼のその後の歌は全く残っておらず、これは死後に権力闘争から起こった事件に連座で処分されたせいであると考えられる。

 

忙しくない方のためのどうでもよい点

・最近、万葉仮名は実は単なる当て文字ではなく、実はその漢字にも意味があるのだという趣旨の本が出た記憶がありますが、実際は万葉仮名の漢字をそのまま読むのはかなり無理があったりします。そういう「裏読み系」が流行するのは時代とも関係があるかもしれませんが。
・平安時代になると万葉仮名ではなく、日常の記述は漢文でなされていたといいます。だから公式歴史書である日本書紀も漢文で表記されている。ただ漢文だと面倒臭くて書きにくいと言うことで後にひらがなとカタカナが発明されますが、これは文化的に非常に大きい発明だと言えます。日本語が漢字という表意文字とひらがななどの表音文字を併用していることは、現代においても非常に有利に働いていると思います(漢字しかなかった中国はPCを導入する時にキーボードに四苦八苦している)。