教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

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5/29 歴史秘話ヒストリア「巨大古墳誕生 世界遺産目前!百舌鳥古市古墳群」

 今回は近いうちに登場するだろうと思っていたら案の定の登場という「百舌鳥古市古墳群」。近日中に世界遺産になることが確実視されている遺跡である。なおこれらの古墳は実査に現地で見ても何のことやら分からないので、番組ではいきなり冒頭で渡邊佐和子がヘリコプターで上空から紹介しているが「趣味、古墳巡り」らしき彼女はやや興奮気味。それにしても最近は、城オタの春風亭昇太とか何やらかなりマニアックな連中が番組に登場している。ちなみに私も古墳オタまでは言いませんが、結構古墳は回っており、つい最近も古市古墳群を回ってきたところです。

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 百舌鳥古市古墳群は大山古墳(仁徳天皇陵)を中心として、巨大な古墳群が市街地の中に散在しているのであるが、これらの古墳が建造されたのは5世紀の古墳時代である。その頃はヤマト政権が全国を掌握すると共に、朝鮮半島では高句麗の台頭によって百済が圧迫を受けていた時代でもある。これらの古墳の建造はそのような朝鮮情勢とも関係しているのではというお話。

大山古墳の全貌

 まず最初に大山古墳の全貌についてだが、実際に現地に行くと宮内庁によって封印されている上に大きすぎて小山としてしか見えないので、よく分からないのが実態。そこで昨年に実施された宮内庁と地元の考古学者による共同調査(と言っても堤の一部をほんのわずか掘っただけというレベルだが)の結果を紹介。それによると一面に石が敷かれ、周囲は高さ1mほどの円筒埴輪で囲われていることが判明したとか。円筒埴輪の数は3万ぐらいになるだろうという話。

 

ヤマト政権の成立

 さて日本で古墳と言えば前方後円墳がメジャーであるが、実際にこのタイプの古墳は全国で4000ほどあるらしい。しかもその分布は北は東北から南は九州まで全域に及んでいる。これにどういう意味があるかということだが、そもそもの前方後円墳の成り立ちを考えると、各地の豪族がその地その地で建造した古墳の形式を融合したと考えられるのだという。砂利を敷くのは島根県出雲の古墳に見られるし、円筒埴輪を置くのは岡山倉敷の古墳に見られる特徴という。さらに言えば前方後円墳の形自体はそもそも瀬戸内地域で発生したものだとか。このことから、前方後円墳が成立した3世紀頃に、全国の政権を「統合」する形で連合政権としてヤマト政権が成立したのだろうという。つまりはヤマト政権によって全国の政権が「征服」されたのなら、当然のようにヤマトの様式を全国に押し付けて、その地独自の形式を取り込むなんてことはなかっただろうという考えだろう。出雲も岡山(吉備)も明らかに独自文化を持つ勢力があったところだけに、これは考えられる。

巨大古墳と朝鮮情勢の関係

 5世紀頃の朝鮮半島情勢は高句麗の軍事力の前に百済は滅亡の危機に瀕していた。そこで百済は日本と同盟を結ぶことになる。この時に鉄を製造する技術などが日本に伝わってきて、これがヤマト政権の軍事力の強化につながったという。実際に弥生時代の頃の奈良の前方後円墳の副葬品は銅鏡などの祭祀のための品が多いが、5世紀頃の古墳からは鉄製の武器などが出土しているとか。

 百済では高句麗の侵攻に対抗するために巨大な城壁などを築いていた。これに対して日本は直接に高句麗の圧力にさらされていないので謂わば余力があり、城壁などではなくて巨大な古墳を築いたのだろうとのこと。当時の海岸線は今よりも奥に入っていたので、大阪にやって来た朝鮮の使者などはまずは海から巨大な古墳を目の当たりにすることになり、これが日本の国力と軍事力を誇示することなったのではとのことである(高句麗としては、百済を下してもさらに海を渡ってこんな強大な国と戦うのは得策ではないと考える)。

 

全国古墳ネットワーク

 なお全国にある前方後円墳の中には、大阪にある前方後円墳と同じ設計図で作ったのではと思われるほど類似しているものがあるという。このことから、地方の豪族がヤマト政権に対して古墳建造の許可を請い、ヤマトからは設計図と技術者が派遣されるという形で古墳を通じて地方政権との結びつきの強化が行われ、一種の前方後円墳ネットワーク経済圏が誕生していたとのこと。これが日本の国全体としてのまとまりを良くする効果をもたらしたのだろうとのこと。

 なお番組終盤では少し話題を変えて、戦後に危機に瀕した古墳群を救った人の話を紹介している。堺市の歯科医・宮川すすむ(行人偏に歩)氏は考古学者でもある。彼は高校生の頃に考古学好きの仲間とグループを作って古墳の研究を始めたという。しかし戦後は天皇陵以外の古墳は宅地開発で壊されていた時代で、大学生になった彼は仲間と古墳を守る運動を始めたという。彼が保存に奔走したのはいたすけ古墳で、この古墳は宅地開発のためにコンクリートの橋まで架けられていた。宮川氏は「この古墳が破壊されたら百舌鳥には陵墓以外の古墳は残らない」と必死の運動を行ったらしい。この運動はやがて全国的な運動となり、ついには国からの史跡となって保存されることになったという。今も壊れたコンクリートの橋が残っているのだが、これは宮川氏の提案であえて残したのだとか。宮川氏によると愚行の象徴で原爆ドームのようなものらしい。

 以上、百舌鳥古市古墳群について。ヤマト政権が「統合」されたというのは興味深い見解。私は「征服」したと思っていたので。何にせよ、古代史を見ていると明らかにそれまでの日本の中心だった出雲政権や北九州政権が途中でヤマト政権に取って代わられているというように思えます。恐らくその辺りの経緯が須佐之男の神話なんかに反映されているのではと。そう言えば須佐之男が倒した八岐大蛇とは、実は出雲の周辺を支配していた豪族連合だという説も聞いたことがあるような。

 


忙しい方のための今回の要点

・日本の前方後円墳は弥生時代の3世紀頃に奈良に登場して、5世紀頃の古墳時代には大阪に多数作られた。
・これらの前方後円墳には全国のそれまでの古墳の特徴が取り入れられており、これは全国の政権が統合されてヤマト政権が出来上がったことを示す。
・大山古墳(仁徳天皇陵)が造られた時代は、百済が高句麗の圧力にさらされていた時代であり、この巨大古墳は朝鮮半島に対して日本の国力を示威する目的も持っている。
・全国で4000ある前方後円墳の中には大阪のものと同一の設計のものもあり、ヤマトから各地の豪族に古墳建造の許可を与えると共に技術者などを派遣していたと考えられる。
・これらの古墳は全国で古墳ネットワークの経済圏をなし、日本全体を統合する役割をなしていた。

忙しくない方のためのどうでもよい点

・巨大な古墳は空から見てこそ形が分かりますが、現地に行くと単に川の向こうの島です。世界遺産認定を観光につなげようと思うと、何かの工夫が必要です。せめて木を伐採して当時の様子を復元できれば良いのですが、それは宮内庁が全力で阻止しますから・・・。実際は天皇陵と言われている古墳も、本当に誰が埋葬されているかなんて分からないのですが。何しろ宮内庁が調査自体を禁止してますので・・・。

 

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