教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

6/3 BS11 歴史科学捜査班「桶狭間の戦い 信長奇襲成功は強力武器にあり」

 桶狭間の合戦は尾張の地方大名の信長が一躍天下取りに名乗りを上げることになった合戦として有名であるが、その合戦に対する通説をひっくり返そうというのが今回。

信長軍は正面攻撃を仕掛けていた

 今までの通説としては、今川軍が桶狭間という谷間で休息を取っているところに、後に回り込んだ信長が雨に紛れて山上から駆け下りて奇襲、そのまま乱戦の中で今川義元の首を討ち取ったというものである。これは主に信長公記の記載によるのだが、これが違うのだという。

 実は信長公記には「おけはざま山」との記述があり、義元が本陣を置いていたのはこの辺りの丘陵の上だったのだとのこと。つまり信長軍は下から駆け上がって攻撃をかけたことになる。またこの丘陵からは信長軍の動きは丸見えであり、回り込むという作戦をとる意味がなかったという。つまり信長軍は回り込まずに一直線に義元軍に攻撃をかけたのだという。

 ではなぜ今川軍が負けたかだが、まずまさか信長軍が一直線に正面から攻めてくるとは思わなかった油断、さらに信長軍の攻撃直前に嵐のような雨になり、これが今川軍の正面から吹き付けたので、今川軍にとっては前を見ることも困難な状態になったと考えられるとのこと。この混乱の最中に信長軍が急襲したということになる。

勝負を分けた信長軍の強力兵器

 また信長軍には強力兵器があったという。それが長槍。まず合戦においての槍の効果を番組では実際に実験で示しているが、槍の場合は突く武器と考えるのがそもそも間違いなのだという。当時の長さ4mある槍は真っ直ぐ突いてもしなるために当たらず、正しい使い方はそのしなりを利用して上から叩きつけるのだという。その破壊力は数枚の木の板を叩き割るほど凄まじく、この直撃を加えれば兜を着けていても兜ごと頭蓋骨を割ることが出来る。実際に当時の書物にも「槍は叩くもの、刀は突くもの」との記述があるとのこと。確かに完全に鎧で武装した相手に対しては刀で切りつけても効果はないので、刀で致命傷を負わせるには突くしかないのである。

 番組ではさらに槍対刀の一騎討ちという実験を行っているが、刀は間合いに入れないうちに何度も槍に叩きつけられ、接近戦に持ち込んだものの槍ではじかれたところを短刀でトドメを刺されたという結果になった。実際に戦場では刀というものは武器としての比重は低く、当時でもまずは弓や鉄砲などの飛び道具、次が槍、最後が刀という順序で、当時の兵士の戦死要因によると、刀は石礫よりも下になっている。

 さらに信長は6mという特殊な長槍を使用していた。これは自由に振り回すことは困難であるが、対人武器として直接使うというよりも、このリーチを活かして敵の楯などの防衛戦を突き崩し、その後にもう少し短い槍を持った部隊が突撃するという戦法をとったのではとのこと。この槍で信長は義元の本陣の防衛線を崩したのではとしている。また番組では長槍部隊と通常の槍の部隊の集団戦闘の実験を行ったが、これは最後は双方ともに槍を放り出しての組み合いの乱戦となり、その中で大将の首が取られて勝負あった。当時の合戦も実際にはこのような組み合いになっただろうと考えられるとのこと。これは確かにその通りだろう。だから戦場での実戦的武術として柔術なるものが進化したのである。

 また義元の本陣の場所は現在は2カ所の候補地があるようだが、番組では現在桶狭間古戦場公園がある場所の方を支持している模様。これは私も同感。私は以前に実際にこの地を訪れているのだが、この周辺には小高い丘陵があり、今川軍が滞陣したとしたらこの辺りだろうと感じた記憶がある。

信長の声を復元

 そして最後は信長の体型や顔の形などからその声を復元するという企画。この結果出てきた信長の声は結構甲高くてどことなくヒステリックさを感じさせるもの。この声でキーキーと怒鳴られたら家臣もさぞかし大変だったろう。この声を聞いて「ああ、やっぱり信長ってメンタル的にヤバい人だったんだろうな」と確信しました(笑)。

 以上、桶狭間の合戦についての検証。なかなか盛りだくさんでしかも実験付きといういかにもこの番組らしい内容で久々に楽しめたように感じます。どうも最近は「どこが科学捜査班やねん」と言いたくなるような内容が結構多かったので。

 どうも江戸時代以降に刀は武士の魂とかやたらに神格化されてしまったので、どうも巷には日本刀についての伝説的な信仰が多いですが、実戦を考えると明らかに槍の方に分があります。とにかく全くリーチが違いますので。だから加藤清正とか福島正則とかの戦国時代の剛の者はすべて槍使いです。剣豪宮本武蔵なんかが登場したのは江戸時代になってからで、その宮本武蔵は島原の乱の鎮圧に参戦しましたが、一揆勢の投げた石礫で怪我をして全く何の活躍も出来てません。実戦の戦場では刀は石礫にも負けるということです。

 

 

忙しい方のための今回の要点

・桶狭間の合戦では、谷間に陣取っていた義元に対して信長が背後の山上から奇襲をかけたとされていたが、実は山上の義元に対して信長が正面攻撃をかけていたと考えられる。
・信長の攻撃が成功した理由は、直前に起こった激しい嵐と、信長軍が採用していた長槍の威力にあると推測される。
・戦場においては槍は刀よりも攻撃力が高く、また信長の使用していた6mの長槍は敵の防御を突き崩すには威力があった。
・信長の声を復元してみたら、意外と甲高くて細い声である。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・復元された信長の声はやけに甲高かったですが、それはあの肖像画を忠実にそのまま採用したからでしょう。あの肖像画はかなり極端に顎が細いので。当時の肖像画は必ずしも写実的に描いているというものではなくて、やや特徴を誇張したりすることがあるので、その部分は割り引いて考える必要はあると思います。現在なんかでも例えばアニメ絵なんかを元にして声を再現したら、とんでもない声になるだろうと思いますし(笑)。