教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

6/24 BS11 歴史科学捜査班「鎌倉大仏の意外な謎 誰が何の目的で造ったか?」

 鎌倉の地に鎮座している大仏であるが、この大仏は鎌倉時代からここにあることは分かっているが、どういう経緯で建造されたかなどの資料は残っていないという。今回は鎌倉大仏建造の意図について推察する。

鎌倉大仏を現在造ると・・・

 まず鎌倉大仏であるが、高さは11メートルで重さは120トンという巨大さである。これを下から段々に重ねて鋳造したことが分かっている。

 現在でも大仏を造る専門会社がある(山形市の鈴木鋳造所)そうだが、そこではパーツごとに分けて後で組み立てるという方法をとっている。そこの工場長に「鎌倉の大仏ならどのぐらいで造れますか?」と聞いたところ、100人がかりで20年とのこと。「ではその時代に行って人力だけで作れと言われれば?」の質問に対しては「絶対無理」とのことである。当時においてとんでもない大工事であったことが推測される。

かつては大仏殿があった

 なお現在の大仏は野ざらしであるが、当時には大仏殿があったことが発掘調査で分かっている。その規模は間口44メートル、奥行き42.5メートルという壮大なものであったという。なおこの大仏殿がどうしてなくなったかについては番組では一切説明していなかったが、これは津波で流出したと私は聞いたことがある。

 鎌倉は今でも各地で遺跡などが出てくるので、建物の建築工事をする際には発掘調査を行うことになっており、その調査専門の会社もあるという。その結果として、ドトールコーヒーの中に発掘物が展示してあったり、あるビルでは一階の床がガラス張りになっていて、その下の遺跡を観察できたりなんてこともあるらしい。

大仏建立に秘められた鎌倉幕府の意図

 さて本題の大仏建設の経緯だが、それは鎌倉幕府の成立と関係があるという。当時の鎌倉幕府は実際には権力の及ぶ範囲は当国に限られ、西国は未だに朝廷の権力下にあったという。だから源頼朝は後白河法皇と、源実朝は後鳥羽上皇と良好な関係を築くことで天下を治めていたのだという。しかし実朝が公暁に暗殺されるといった事件が起こり、源氏の一族である源頼茂が謀反を起こして内裏を炎上させる。これに怒った後鳥羽上皇がついに鎌倉幕府に見切りをつけて承久の乱を起こす・・・と番組では説明してますが、私が聞いていたのは決起した後鳥羽上皇が源頼茂を攻め殺して承久の乱が始まるだったんですが・・・。

 とにかくここで鎌倉幕府と朝廷型は真っ向から対決することになるが、武力に勝る鎌倉方が勝利し、後鳥羽上皇は流罪となって朝廷も事実上鎌倉幕府支配下に入ることになる。こうなった時に朝廷がそれまでとっていた王法仏法相依論という「天皇を中心とする秩序と仏教を中心とする秩序が共に手を取る」という考え方が鎌倉にも浸透していき、鎌倉にも大仏をということになったのだとのこと・・・なんだが、今ひとつ釈然としない説明だな。それに番組の最初の頃では源頼朝が奈良の大仏の再建の音頭をとったようなことを言っていたのに、後になると後白河法皇が奈良の大仏を再建したと言っているし、何か番組の一貫性が奇妙だ。

大仏建立の材料調達のための秘策

 まあとにかく大仏を建造することになったのだが、問題になったのは銅の不足らしい。この頃になると日本の技術ではほとんど銅が産出できなくなっていたとのこと。実際にこの頃は日本では銅貨が鋳造できなくなって、宋から銅銭を輸入して使用していた。この頃の宋では紙幣が発行されていたので支払に銅銭は必要でなく、船の重しなどに使用されていたのでそれを大量に輸入したらしい。そして鎌倉の大仏の銅を調査したところ(銅に含まれている鉛の同位体比で産地が分かるとのこと)、宋の銅銭を材料に使ったらしいことが判明したとのことである。


 以上、鎌倉の大仏についてだったのだが、何か説明に一貫性がなかったりなど気になるところが多々あった。別に話の大筋には問題はないけど、何となく作りに雑さを感じることがあるんだな、この番組は。

 ところで鎌倉の大仏は野ざらしの状態でざっと800年ほどはそのまま残ってきたということになるが、銅の厚さが5センチとのことだから、かなり頑丈に造ってあるということなんだろう。番組中に出てきた現在の大仏の場合、厚さは7ミリと言っていたから、かなり違うようだ。現代は巨像を造る時は、鋳型でぶち抜くのではなくて、パネル状に造って内部構造物に対して組付けていくというようなことを聞いたことがある(これで牛久大仏なんかも造っている)。あまり細かい説明はしていなかったが、後で現場で組み立てるという言い方をしていたところを見ると、その工法だと思われる。こういう点でも技術が変わっているわけである。

 


忙しい方のための今回の要点

・鎌倉の大仏は下から段々に鋳造していく方法で造られている。
・現在は野ざらしだが、かつては巨大な大仏殿があったことが確認されている。
・鎌倉幕府が大仏を造ったのは、朝廷の王法仏法相依論の考えを引き継いで、鎌倉幕府が全国を治めていくという意志を示すためである。
・大仏建造時には国内では銅が不足していたため、輸入した宋銭が原料に使用された。

 

忙しくない方のためのどうでもよい点

・鎌倉の大仏は私も実際に見たことがありますが、あれは後から中に入れるんですよね。まさに建造物という感覚です。
・奈良の大仏は江戸自体には放置されてかなり痛みまくっていたとの話なんですが、鎌倉の大仏はあのままの姿で今日までずっとなんですよね。鎌倉の大仏の方が丈夫に出来ているってことなんでしょうか?