教養ドキュメントファンクラブ

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7/8 BS11 歴史科学捜査班「発掘調査でCG再現!これが幻の安土城」

わずか3年で消滅した天下の名城

 織田信長が築いた名城安土城。しかしこの城はわずか3年で本能寺の変に関連して炎上してしまう(誰が火を放ったのかは未だに明らかでないようだが)。そのために記録の類いがほとんど残っていないのであるが、この安土城を発掘の成果と城郭考古学の観点から復元する・・・ということでまた千田先生が出てくるのかと思っていたら、さすがにそれはなかったようである(ここのところ出過ぎです)。

安土城発掘調査による大発見

 安土城跡では平成元年から20年に渡って発掘調査が行われた。その結果、山上まで真っ直ぐのびる幅9メートルの大手道という、城郭としての防御をほぼ度外視した遺構が発見された。明らかに防御には不向きな構造であり、信長はここに敵が攻め寄せることは想定せず、権力の誇示を優先しているのが分かる。信長はここの天守に住んでいたという話もあることから、城塞ではなくて首相官邸のイメージだったのかもしれない。

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真っ直ぐに伸びる大手道(私が訪問した際の写真)

 この大手道の脇には家臣の屋敷がある。羽柴秀吉の屋敷跡では櫓門があったことが分かっている。櫓門は城郭ではかなりポピュラーな門の形式に思われるが、実際には戦国時代にはほとんど例がなく、これは年代的に最古の櫓門だったのではとのことである。

天皇の行幸も想定していた本丸御殿

 山上に上ると安土城の正門である黒金門に到達するが、ここには権力をアピールするためにわざわざ大きな石を用いているという。さらに黒金門を抜けた先にある二の丸では、安土城が焼けた時の残骸がそのままの姿で発掘されたとのこと。つまりはそのままずっと放置されていたということらしい。

 その先の本丸には巨大な本丸御殿があったらしいが、ここで信長は有料の内覧会を開催したという記録があるらしい(ヒストリアでもこのことは言っていた)。また信長公記によると天皇の行幸を想定したと思われる豪華な部屋もあったらしい。

 

復元された天守閣

 この隣にあるのが天守台だが、天守の姿についてはハッキリしていない。ただある仮説に基づいて天守の5階と6階を原寸大復元したものが安土城近くの安土城天主信長の館に展示されている(ここは私も以前に訪問したことがある)。これによると5階は8角形の朱塗りの八角堂を連想するような建物で、内部には仏の絵などの仏教の世界を描いている。一方その上の6階には金箔張りの建物の中に儒教の世界を描いており、漆塗りの床の中央に置かれた畳の上で信長は瞑想にふけったりしていたとのこと(まあ、ほとんどすべて想像の世界なんだが)。

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安土城の5階と6階(私の訪問時の写真)

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5階の内部

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6階の内部

 ちなみにこの安土城のある場所は今日ではかなり内陸になっているが、実はかつてはこの安土山のそばまで入り江があり、安土山はその中に突き出した形になっていたという。つまりは安土城は水辺の山城だったということである。信長はこの安土城と、長浜城、大溝城、坂本城でびわ湖を包囲しており、琵琶湖水運をまさに一手に支配していたのだという。

天守に吹き抜け構造はあったのか?

 なお安土城内部には吹き抜け構造があり、そこに突き出した能舞台などがあったという説があるのだが、これの元になっているのは加賀藩の大工の棟梁の処にあった天守指図という図面だという。確かに敷地の形などは安土城天主と合致しているのだが、これが実際の安土城の図面かどうかには疑問があるとのこと。つまりこれは安土城を復元することを想定して描いた図面ではとのことである。つまりは「僕の考えた最強の安土城」というやつってことか。安土城を示す一級資料としては、当時の安土城を描いた安土山図屏風なるものがローマ法王に送られているので、それがもし見つかれば安土城の真実が分かるかもとのこと。ただしこの屏風の所在は今は不明だとか。

 さてこの天主の最上階からびわ湖や城下町を見下ろしながら、信長はどういう考えに浸っていたのか、それについては誰にも分からないことである。


 今回は安土城の復元についてですが・・・正直なところ別に目新しい話はありませんでしたね(笑)。一直線に伸びる大手道なんて、発掘された時にあまりにセンセーショナルだったんで、NHKの歴史番組とかで何度も取り上げられてますし。安土城天主信長の館の復元模型も何かの度に登場しており、今では安土城を描く時はとにかくあれをベースにした姿が描かれるのが定番になってます(それこそ光栄のゲームとか)。残念ながら安土城については現在出るべきネタは既に出尽くしてしまっているという状況でしょうか。次にテレビで大騒ぎになるのは、安土山図屏風が発見された時だろうか(笑)。

 


忙しい方のための今回の要点

・安土城の遺構について、平成元年から20年に及ぶ発掘調査の結果、山上までは100メートル以上の幅広い大手道が続いていたことが明らかとなった。
・大手道の脇には櫓門を持つ家臣の屋敷があり、これが日本最初の櫓門の形式だったと考えられる。
・山上の本丸には巨大な御殿が建っており、信長はここに天皇が行幸することも想定していた。
・天守の構造については不明な点が多い。ある仮説に基づいた復元模型が安土城天主信長の館にある。
・天守内に吹き抜け構造があったことを示す資料は、その信憑性については疑問がある。

 

忙しくない方のためのどうでもよい点

・安土城はいかにも信長らしい派手な城です。とにかくこの城だけで相手を威圧して屈服させること考えていたんでしょう。わざわざ内覧会を開いて見せびらかすというのも、評判が各地に伝わっていくことを想定していたと考えられます。
・この城にも狩野永徳に描かせた絵なんかが多数あったはずなんですが、そういうのも焼失しちゃったんですよね。狩野永徳って安土桃山の権力者の非常に近くにいた絵師なので、作品もその権力者の近くに多数あり、そしてその権力者と最後を共にしちゃってるんですよね。だから意外と作品が残っていないという運命にある。