教養ドキュメントファンクラブ

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7/8 BS-TBS にっぽん!歴史鑑定「天下を決めた清洲会議の真実」

織田家のこれからを定める重臣会議

 信長と長男の信忠が亡くなった本能寺の変の後、織田家の今後を決定するために重臣4人が清洲城に集まって話し合ったのが清洲会議と言われている。川角太閤記によると参加メンバーは柴田勝家、丹羽長秀、羽柴秀吉、池田恒興の4人となっているが、堀秀政が加わっていたとか、滝川一益がいたとか、信雄と信孝がいたとか言っている資料もあるそうだが、堀秀政はここに参加するには立場が低すぎるし、滝川一益は関東が北条氏の攻撃で会議どころでなかったし、信雄と信孝は相続の当事者なので会議に参加するよりはせいぜいが別室待機というところだったのではとの話。

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清洲城(私の訪問時の写真)

柴田勝家と羽柴秀吉が対立する中で意外な決着

 で、後継者を誰にするかの話であるが、全員が腹の探り合いで沈黙する中、柴田勝家が信孝を後継者に推すと口火を切る。後継者の候補としては次男の信雄、三男の信孝、そして信忠の長男の三法師の3人がいたという。しかし次男の信雄は誰もが認める馬鹿殿で問題外(ひどい扱いだ)、実質的な候補は信孝と三法師の2人だったという。勝家は信孝の烏帽子親を務めており信孝との関係が深かったのだという。つまりは信孝が織田の家督を継げば、勝家はその後見として力が強くなることになる。

 これに対して秀吉は三法師を推す。その論理は信忠の後継を決めるのだから、その嫡男が継ぐのが当然という論理。信長は既に家督を信忠に譲っていたため、織田家の後継を決めるというのは信忠の後継を決めることになるからこれは血筋優先の意味で道理の通っている主張になる。また秀吉は明智光秀を討って信長の敵討ちをしているので発言力は強くなる。

 こうして勝家と秀吉が対立して膠着状態になる中、思いがけないことに丹羽長秀が秀吉に付く。丹羽長秀は四国攻めで信孝の副将だったのだから、これは思いがけない行為。しかしこの裏には秀吉からの根回しがあったという。また長秀自身も秀吉の器量を認めており、勝家と秀吉なら秀吉に付く方が得策であるという計算があったという。そして長秀だけでなく池田恒興も秀吉について大勢が決まる・・・というのが通説。

 

実は後継は最初から三法師に決まっていた?

 ただこれには異説もあるという。そもそも血筋を重視したら信忠の後継は三法師になるのが当然であって、それには誰も異存がなかったという考えである。むしろ問題となったのは三法師の後見を誰にするかであって、もし信雄を後見にすると実績のある信孝の陣営が不満を持つし、信孝を後見にすると織田家の血筋を軽視したということで信雄の陣営が不満を持つということで、どちらも後見にすべきでないという結論になったのだという。その結果として、三法師に守り役として堀秀政が付いて、安土城の修復がなるまでの間は岐阜城に住んで信孝が後見するという形で決着が付いたとか。

領土分配、長浜を勝家に明け渡した秀吉の意図は?

 そして領土分配であるが、秀吉は丹波や山城などを手に入れる代わりに、本領であった長浜を柴田勝家に明け渡すことにしたという。これは秀吉が勝家の顔を立てるという意味があったのではとの話。秀吉にすると長浜を手放しても京などを手に入れる方が後々に効いてくると計算しており、これが正しいことは歴史が証明しているとのこと。

その後のそれぞれの運命

 で、各人のその後であるが、秀吉はわずか半年後に勝家の養子が守っていた長浜城を落とし、さらには賤ヶ岳で勝家を破ってその後に天下を手中にしている。バカ殿信雄はフラフラしながらも何とか江戸時代にも大名として生き残り、織田家の血筋を後世に伝えた。ちなみにフィギュアの織田信成はその末裔である。そして一番壮絶な最期を遂げたのが三男の信孝で、勝家と共に秀吉と戦ったものの敗北、結局は切腹させられることとなっている。その辞世の句が壮絶で、「むかしより 主をうつみの 野間なれば むくいを待てや 羽柴ちくぜん」というまさに恨み骨髄というような句。最後まで秀吉を恨み抜いて生涯を終えている。そして三法師は実質的に秀吉の傀儡のまま関ヶ原では流れで西軍について敗北、高野山に流されて生涯を終えたとのこと。


 天下を定めた清洲会議ですが、諸説はあるものの結果としては主君の敵討ちを果たした秀吉にとってもっとも好都合な結果にまとまったというのは事実です。この辺りは秀吉のしたたかさもありますが、勝家の政治力の低さもあると思われます。もう既に武将も単なる戦闘力だけでなく、政治力とか交渉力が求められる時代になってきていたということでもあります。

 ちなみに大河ドラマ「江」(別名「コメディお江でござる」)ではこの清洲会議に江が絡んでいたというトンデモ展開だったようですが、さすがにこの展開はどんな古文書にも登場しません(笑)。

 


忙しい方のための今回の要点

・織田家の後継を決める清洲会議に参加したのは柴田勝家、丹羽長秀、羽柴秀吉、池田恒興の4名
・織田家の後継候補は三男の信孝と信忠の長男の三法師の2人に絞られ、柴田勝家は関わりの強い信孝を推したが、秀吉の根回しによって三法師が後継に決まったとされている。
・しかし実は血筋を優先で最初から後継は三法師に決まっていたという説もある。
・領土分配においては、秀吉は本領の長浜城を勝家に引き渡しているが、これには秀吉の後のことも睨んだ計算があったと考えられる。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・信雄の扱いが散々ですが、確かに信雄がバカ殿という認識は当時の共通認識だったようですね。家康も小牧長久手で秀吉と対立した時に信雄のダメっぷりに手を焼いたようですから。あの戦いでは兵力的に劣勢の家康が、軍事的には秀吉に勝利していたんですが、秀吉が信雄に手を回すと信雄があっさりと降伏してしまって家康は戦いの大義名分を失ってしまってます。
・もっともそんな風にバカ殿と認識されていたから、誰も脅威を感じることがなく、おかげで最終的に生き残れたのではと思います。信孝はそこでプライドが高すぎて、最後まで秀吉に頭を下げることが出来なったために死んでます。まあ実力不相応のプライドは身を滅ぼすということでもあります。