教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

10/16 NHK 歴史探偵「古代のアイドル はにわの秘密」

着色されていた埴輪

 現在人気のはにわについての紹介。なお現在東京国立博物館ではにわ展が開催中とのことであるから、どうせNHKがそれに関与していて、この番組は宣伝も兼ねているという仕掛けだろう。

 はにわと言えば有名なのが挂甲の武人。これはかのはに丸のモデルでもある。ということで今回は番組にははに丸がゲストで登場・・・ってどうでも良いわ。この挂甲の武人は、今は完全に土の色をしているが、パーツに分解しての調査の結果から、彩色の状況が明らかになってきたのだという。その結果として分かったのは、鎧は白く太刀は赤く塗られていたということ。鉄の鎧を白で表現したものだと考えられるという。

挂甲の武人はこのように彩色されていたらしいです(出典:文化財活用センターHP)

 

 

埴輪が伝える昔の生活

 また埴輪は当時の生活ぶりを伝えている。保渡田八幡塚古墳という大型前方後円墳では、古墳を取り巻く6000の円筒埴輪の他に、鵜飼のはにわ、馬の埴輪などが見つかっているという。古墳時代に朝鮮半島からもたらされた馬は、群馬で飼育されたという。さらには巫女などが王の元で儀式を行っている風景を示した埴輪群なども見つかっている。なおここで山田大樹アナが古代の扮装をして当時の儀式を再現なんてことをしているが、正直これはどうでも良い(笑)。さすがに本職だけあってやけに台詞回しの滑舌が良いことだけは印象に残ったが。

保渡田八幡塚古墳の埴輪群(出典:高崎観光協会HP)

 そして埴輪が作られた目的であるが、かつては生贄の代わりなどと言われていたが、そもそも人型埴輪が作られたのがかなり後であることから、この説は今では違うと考えられている。そこで埴輪の目的に迫る研究であるが、松阪市で24年前に巨大な船型埴輪が、宝塚1号墳という巨大な前方後円墳の作り出しと呼ばれる部分から発見された。ここからは140点の埴輪が発見されたという。古墳における埴輪の配置は、初期は古墳を取り囲むように円筒埴輪が並べられたが、それが4世紀中頃になると家などの具体的な形をした埴輪が、遺体が埋葬された後円部の真上に配されるようになる。そして4世紀後半になると造り出しと呼ばれる出っ張り部に置かれるようになり、この場所は儀式の場ではないかと推測されているという。なお船型の古墳はここの古墳の主が海運で権力を持った人物であることを示していると推測される。

国宝に認定された船型埴輪(出典:松阪市HP)

 

 

埴輪の全国展開と継体天皇

 さらに5世紀半ばの保渡田八幡塚古墳では、埴輪は内堤と呼ばれるさらなる外側に配されるようになる。なおここの埴輪は榛名山の噴火による火砕流の影響で、当時の配置のままで発見されている。ここでは埴輪によって王の力などや業績を示すものになっていると考えられている。なおこれ以外にも埴輪の目的には様々な説は存在するとのこと。また埴輪は専門の職人によって作られて、水運によって各地に運ばれたと考えられるとのこと。

 また継体天皇の墓と考えられている高槻市の今城塚古墳は、6世紀前半に建造されたこの時期では最大の古墳である。ここでは内堤に200体もの埴輪が復元されている。天皇の後継がいなくなったことで白羽の矢が立ったのが大迹王こと後の継体天皇だったという。継体天皇は大阪湾に拠点を築いて大和には入らずに淀川に港を整備していったという。継体天皇が淀川水系の整備に力を入れたのは外交のためだという。朝鮮では加耶が他国の侵略を受けており、継体天皇は援軍を送るが九州で磐井の乱が勃発したことでそれに横槍が入る。継体天皇は1年半をかけて磐井の乱を鎮圧、九州支配を盤石なものにすることなる。なお今城塚古墳の埴輪群は殯の儀式を示しているものだと推測されている。この形式の埴輪が各地に広がったことから、継体天皇の権力が全国に及んでいったことを示すと考えられている。

今城塚古墳の埴輪群(出典:高槻市観光協会HP)

 ただこのように全盛を極めた埴輪も、仏教の伝来と共に廃れていくとのこと。

 

 

 以上、埴輪について。古代史好きというか埴輪フェチの渡邊アナのテンションが爆上がりしていたのが妙に印象に残る回である。家の中に大小いくつかの埴輪が飾ってあると言っていたが、どれだけ・・・。それにしても埴輪ってどこかで売ってるのか?

 埴輪の目的については不明であるが、中国には埴輪の親玉のような兵馬俑が存在することを考えると、それと同様に死後の世界に王の国を作ろうとしていたという考え方もありのような気がする。いかにも王の生前の生活を再現しているかのような構成を見ると、やっぱりその線が強いのではというのが私の説。

 それはともかくとして、わざわざ埴輪の宣伝番組までするところを見れば、東京国立博物館でのはにわ展ってNHKがかんでるんだろうなと思って調べたら、案の定主催に連なってました。毎度のことながらなんて露骨なんだろう。にしても、東京会場と福岡会場で開催するのに、なぜ奈良会場及び京都会場はないんだろう。京都とかなら見に行くのに。やっぱり京都と奈良は国立仏像専門博物館?

haniwa820.exhibit.jp

 

 

忙しい方のための今回の要点

・埴輪であるが、はに丸のモデルともなった有名な挂甲の武人は、かつては鉄の鎧を示す白色に塗装されていたことが明らかとなった。
・埴輪にはさまざまな形態のものが存在し、当時の生活の様子を今に伝えている。
・最初は古墳を取り巻く円筒埴輪だけが作られていたが、次第に家や人などをかたどった埴輪が作られるようになり、最初は後円部、やがて別の場所に並べられるようになった。そのような場所は儀式の場であり、積極的に外に見せるように意識されていたと推測されている。
・そこに示されているのは王の儀式や治世の様子で、王の功績を現すものと推測される。
・継体天皇の墓と推測されている今城塚古墳では、大量の埴輪が発見されている。
・継体天皇は外交を重視した天皇で、九州の磐井の反乱を鎮めて全国に勢力を伸ばしていったと考えられ、今城塚古墳の埴輪の形式が各地に伝わっている。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・うーん、はに丸は良いが、一体何のために引っ張り出してきたんだか・・・。
・それにしてもはに丸って、今から40年前ぐらいの放送らしいが、中の人の田中真弓はまだまだ現役なんだよな・・・。この人も芸歴長いわ。
・ちなみに馬のひんべえの中の人の安西正弘氏は、2021年に66才というまだまだお若いのに亡くなられたようです。糖尿病の悪化で1997年に仕事が中断していた模様。

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