教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

8/1 BSプレミアム ダークサイドミステリー「北海道三毛別ヒグマ襲撃事件の謎に迫る」

 先日、札幌市内に出没したヒグマが殺処分されたが、それに対する苦情などがかなり来ているとのこと。どうやら危機感もなく、熊との遭遇を「森のくまさん」のイメージで考えているメルヘン脳の輩が思いの外多いようであるので、国内最悪と言われた獣害事件であるこの事件について紹介した番組をここに挙げておく。

 三毛別ヒグマ襲撃事件とは大正時代に北海道の開拓民集落がヒグマに襲われ、8人が殺害されるという大惨事となった事件である。この事件を詳細に調べていくと、いかにして最悪の人食い熊が生まれたかも分かってくる。

極些細な最初の兆候

 事件の最初の始まりは、1915年11月中旬のことであった。三毛別集落の池田富蔵が小屋の外の異様な気配で目が覚めたことだった。後で調べてみると、小屋の前にはヒグマのものと思われる30センチぐらいの足跡が残り、小屋の周りに保存食として吊してあったトウモロコシが食べられていた。開拓民は保存食料としてトウモロコシを乾燥のために小屋の周りに吊して置くのは普通の行為だったという。

 ヒグマは本来は用心深い性格であり、人間に対して自ら積極的に近づいてくることはない。しかしこの熊は何らかの理由で餌を求めて人里に降りて来たのだろう。そしてここで魅力的な食料であるとうもろこしに遭遇したのである。まずここで異常な熊になる第一段階の「人里に近づく」ということをクリアしてしまった。

 しかしこれはそのまま終わらなかった。数日後、再びトウモロコシが熊に食べられるという被害が生じた。ここで異常な熊になる第二段階「人間に近づくといいことがあると学習」をクリアしてしまっている。

 そして2回目の被害から数日後の11月30日、池田は集落内で銃を所持している金子富蔵と待ち受けていた。現れた熊に対して金子は銃を撃つが弾は命中せず。そもそも金子とて本業は農家であったので銃の整備も十分にされていなかった。しかし熊は銃声に驚いて逃亡する。池田らは「これであの熊も懲りただろう」と考える。だが、結果としてこの判断は甘かったことになる。

 

ついに人的被害が

 この10日後の12月9日、集落の男達は川に橋を架けるために集まっていた。池田家から3キロ奥の六線沢の太田三郎家では、彼の妻のマユ(34歳)と彼らが養子にしようとしていた6歳の蓮見幹雄の二人が留守番をしていた。その家がヒグマに襲われる。正午頃家に帰宅した太田が見たのは、板壁に穴の開けられた家、さらに熊に襲われて喉がえぐられて死亡していた幹雄の死体だった。さらにマユは熊に連れ去られていなかった。

 熊はここでついに人間を襲った。異常な熊になる第三段階「人間が弱いと知る」をクリアしてしまったのである。熊を攻撃衝動に駆り立てた原因は、恐らく悲鳴などを上げたことだと考えられるとのこと。熊は逃げたり悲鳴を上げた相手を本能で攻撃してしまうのだという。熊にとっては悲鳴は獲物となった草食動物の最後の断末魔であり、これを聞いたことで相手を餌と認識したのだという。だから熊と遭遇した場合の原則は、大声を上げたり背中を見せて逃げず、熊を目線で威嚇しながらゆっくりと後ずさりして距離を開けることだという。また自分を落ち着かせる意味で熊に話しかけるという手もあるとのこと。もっともこれはまだ熊が人間を警戒している段階の話であって、向こうがいきなりこちらに突進してきたら万事休すである。ちなみに熊は時速50キロほどで走ることが出来るので、ウサイン・ボルトでも逃亡は不可能とのこと。

 男達はマユの血の跡をたどって登るのが困難なような崖をよじ登っていく。ヒグマはマユを連れて崖を問題なく登っていったようである。そして木の根元に雪に半分埋もれたマユの死体を発見する。その全身は完膚なきまでに食われていたという。ここで異常な熊になる最終段階「人間の味を覚える」をクリア。凶暴な人食い熊の誕生である。この熊にとって人間は、恐れる対象から容易に狩りの出来る獲物に変化したわけである。

 

そして更なる被害が

 ヒグマの襲撃の報を受けて、近くの集落から50人の男が集結(内10人以上が銃を所持)、5キロに渡る六線沢を複数に分かれて捜索を行った。一方で男達はマユの遺体を持ち帰って太田家で葬儀を行っていた。しかしこれが新たな事件の火種となる。ヒグマが太田家に現れたのである。ヒグマは獲物に対する執着が強く、ヒグマにすれば遺体を持ち帰られたのは自分の食べかけの食料を奪われたに等しいことであり、それを取り戻すために現れたのだった。ヒグマのこの獲物に対する執着はよく知られており、1970年にも福岡大学のワンダーフォーゲル部がヒグマが漁った荷物を回収したためにヒグマの襲撃を受けて、3名が死亡するという事件が起こっている。

 居合わせた男が銃を放つがヒグマを仕留めることは出来なかった。ヒグマ襲来の報を受けて銃を持った男達が太田家に集まる。しかしここでとんでもないことが起こる。太田家から500メートル離れた明景安太郎の家がヒグマに襲撃され、家にいた女子どもが殺害される。辛うじて生き残った長男の力蔵の証言が残っているが、現場では人間の骨をかみ砕く「バリバリ」という音が響き渡っていたという。妊娠中であった斉藤タケは「腹破らんでくれ、のど食って殺して」と叫んだらしいが、無惨にも腹を割かれて胎児共々食い殺されたという。

 男達は急遽明景家に集まる。家の中からはヒグマが人間を食う音が不気味に響いていたという。しかしここでもヒグマを仕留めることに失敗する。結局はここで子ども5人、女性1人が死亡、重傷者2人を出す。

 50人以上で警戒しながら惨事を防げなかった開拓民達は集落を捨てての避難という苦渋の選択をする。そして警察が動いて地域の若者達を動員した270人以上、鉄砲60丁以上の討伐隊が組織されることとなる。その頃、ヒグマは無人となった集落で家畜を襲撃したり貯蔵食糧を漁るなどやりたい放題をしていた。また女性が使用していた石湯たんぽを囓るなどの行為が見られており、特に女性を餌として認識している様子が覗える。そしてついに討伐隊と熊が遭遇、一斉に射撃されるが命中弾はあったものの熊は逃走する。熊の体は分厚い筋肉と脂肪の層に覆われているために、心臓か脳を直撃しない限り射殺は困難なのであるという。しかも熊の頭蓋骨は厚くて流線型のために貫通が難しく、かなりの熟練した射手でないと致命傷を与えるのは難しいという。

 

大討伐隊を編成してようやく人食い熊を仕留める

 翌朝、討伐隊は十数匹の犬を加えて傷を負った熊の血の跡を追って山狩りを実施する。結局は熊を仕留めたのは討伐隊に動員されていた伝説のマタギと呼ばれて300頭以上の熊を仕留めたことがある山本兵吉だった。討伐隊が熊を山頂に追い詰めると、熊の生態を熟知していた山本は先回りして熊を発見して射撃。熊は倒れるが再び立ち上がって山本を睨む、そこで彼が第二弾を発射、弾は頭部を貫通して熊は倒れる。一弾目は心臓付近を直撃しており共に致命傷であった。


 これが国内最悪とも言われた獣害の顛末であるが、これを知ってもまだ「熊を駆除するなんて可哀想」なんて寝ぼけたことを言うんだろうか? 人里に常習的に降りて来ていた熊は既に第二段階をクリアしており、このまま放置したらさらにその先の段階に進む可能性もかなり高かった。ましてや一旦人里に降りてくる習慣を持った熊は、もし捕らえて山の奥に放したところで、再び餌を求めて人里に降りてくる可能性が極めて高い。結局は熊が可哀想というなら、こうなる前に山の奥に自然な形で熊のえさとなるものを確保する(実のなる広葉樹林を作るなど)をしておく必要があるわけで、こうなってから甘っちょろい自然保護を訴えたところで役に立たない。

 最近はゴミを漁るゴミ熊が問題視されているが、これらの熊も第二段階までをクリアしているということで非常に危険視されている。本来は人里近くにやって来たところで熊を脅して「人間に近づくと非常に恐ろしい」ということを十分に教育して追い返す必要があるのである。

 また最近は観光客が不用意にヒグマに近づく事例が多いという。小熊などが現れると餌を与えようとする馬鹿までいるらしい。しかし小熊がいるということは近くに母熊がいるということで襲撃される可能性が高いし、幸いにして母熊の襲撃がなかったとしても、小熊達に「人に近づくと良いことがある」と教育することになり、将来の人食い熊を育成するようなものである。こういう馬鹿な行為は絶対にするべきではない。熊牧場や動物園でさえ飼育員が不用意に熊に接近すると犠牲になるのである。野生を甘く見るべきではない。「インスタ映え」なんて馬鹿なことを考えていたら、夕方の全国ニュースで「熊に襲われて死亡」と全国に名前と顔をさらされることになりかねない。

 


忙しい方のための今回の要点

・1915年、北海道の三毛別で8人がヒグマの犠牲となる国内最悪の獣害事件が発生した。
・最初は保存用に屋外に吊されていたトウモロコシが食べられるという事件であったが、これによって熊が人里に近づくようになり、ついには人間を襲うようになる。
・熊に遭遇した際に悲鳴を上げたり背を向けて逃げると、熊は本能的に相手を獲物のと認識して襲撃する。これで人を餌と認識した熊は人食い熊となる。
・また熊は自分の獲物に対する執着心が強いので、熊に漁られた荷物を回収するのは無謀である。かつて福岡大学のワンダーフォーゲル部の3名がこれで命を落としている。
・熊を銃撃で仕留めるには、心臓近くか脳を直撃する必要があり、かなりの熟練者でないと困難である。この事件の際も熊を仕留めたのは伝説のマタギと呼ばれた山本兵吉である。
・最近はゴミ熊の出没や、観光客が熊に近づきすぎる事例が懸念されている。今一度、人間と熊との関わり合いについて考え直す必要がある。


忙しくない方のためのどうでもよい点(実はどうでもよくない)

・自分の不用意な行動が自分の命、さらには他人の命まで巻き込む恐れがあるということを今一度よく考えてもらいたいところである。特に最近は「インスタ映え」とか言って、危険なところにあえて自ら突っ込んでしまう馬鹿が増えているとのこと。昔から職業カメラマンが、カメラを構えると習性的に危険なところに突っ込んでしまうと言われているが(例えば災害地域や紛争地域など)、最近ではアマチュアまでカメラマン気分でそうなってしまうとか。少し冷静になってもらいたいところである。

 

 私が山歩きの際に護身用として携帯しているのはこちらです(ツキノワグマ用)

 

 なお大型のヒグマには上記では威力不足のため、以下のクラスのものが必要であるとのことです。