教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

8/17 NHKスペシャル「昭和天皇は何を語ったのか~初公開・秘録"拝謁記"」

初公開、昭和天皇の言葉を伝える資料

 戦後、昭和天皇がどのように考えていたのか。そのことを伝える貴重な資料がこの度公開となった。これは初代宮内庁長官だった田島道治が、昭和天皇の言葉を残した記録・拝謁記である。田島は晩年に身辺整理としてこれを焼却しようとしたが、息子?(孫の叔父)が諫めてそれを残したのだという。この度、時代が平成、令和と変わるにあたり、田島の孫が重要資料として公開を決意したという。

昭和天皇が感じていた戦争への道義的責任

 昭和天皇は太平洋戦争に対して道義的責任を強く感じていたという。天皇の政治的責任はないということになっていたが、昭和天皇は元首としての責任を痛感しており、世間的には天皇の退位論は決着が付いたと思われていた頃になっても、退位という責任の取り方もあるという考えを持っていたらしい。また天皇自身はむしろ退位した方が楽であるという本音もあったようだが、田島はあえて退位せずに国民と共に復興に取り組むという厳しい道を選択すべきというようなことを天皇に語ったようだ。

 太平洋戦争に至る軍部の暴走については、張作霖爆殺の時に軍部に対して厳罰で臨むべきだったという後悔があったという。結局その後の軍部は「下克上」の状態になってしまって天皇としても全く手を出せなかったという後悔がかなり強かったようである。

日本国憲法下での天皇のあり方

 また日本が再軍備に進み始めた時も、昭和天皇は「軍閥の復活のようなものは絶対にいけない」という強い考えはあったが、共産主義の拡大などに対する懸念から、正面から憲法を改正して再軍備すべきという考えを持っていたという。これに対して首相の吉田茂は日本の経済力では再軍備は到底不可能であると考えており、当面はアメリカに責任を被せて費用を節約すべきだと考えていたという。天皇が吉田に意見しようとして、田島がそれをとどめる場面があったらしい。大日本憲法に長く馴染んでいた昭和天皇にとっては、日本国憲法で定められた象徴という立場についてもしっくり来ていないところがあり、どうしても政治的な発言をしようとするところがあったので、それを日本国憲法の枠内に抑えるというのも田島の役割であったという。

天皇のおことばについての激論

 昭和天皇との間でかなりの激論になったのは、日本がサンフランシスコ平和条約を締結して独立を回復した時の天皇のおことばについて。田島が天皇の意を受けておことばの原案を練ることになったが、天皇は強く先の大戦に対する反省の言葉を入れることにこだわったという。また軍事法廷で明らかとなった南京事件のことなどにも触れ、そのようなひどいことが起こっていたにもかかわらず、結局は自分は何もしていなかったという強い後悔を述べられていたとのこと。

 天皇の意を受けた田島のおことば案は戦争に対する反省を含んだものであったが、この原案に対して吉田茂から「戦争に対する生々しい言及は避けて欲しい」との意向が述べられる。吉田としてはここで天皇の退位論が蒸し返される可能性はあくまで避けたいという考えであった。天皇は最後まで戦争に対する反省の言を含めることにこだわったようであるが、最後は内閣の意志を尊重する必要があると折れてそれを削除することになった。ただこのせいで戦争責任に対する議論が有耶無耶になってしまって、これが今日までも尾を引いてしまっているとの指摘もあるところである。


 昭和天皇の考えについて、なかなかに生々しいところが伝わってくる資料であった。確かにあの状況下で天皇が自分のことを責任なしと考えていたということはあり得ないことであり、いっそのこと退位してしまった方が気が楽だと考えていたようであることは非常に納得のいくところ。それに備えて東宮ちゃん(自分の息子、今の上皇のこと)を早く洋行させた方がよいなんて言葉もあったなんてところは特に非常に生々しい。一人の人間として苦悩する昭和天皇の姿が覗えたのは実に興味深い。

 


忙しい方のための今回の要点

・この度、初代宮内庁長官だった田島道治が天皇の言葉を記録した拝謁記が公開されることとなった。
・そこに記された昭和天皇の言葉からは、昭和天皇が戦争の道義的責任を感じて退位も考えていたことなどが伝わってくる。
・また戦前の軍部について、下克上を許してしまって暴走を止められなかったということに対する強い後悔の念も持っていたようである。
・サンフランシスコ平和条約締結による独立回復の際のおことばについては、天皇は最後まで先の大戦に対する反省の言を加えることにこだわっていたが、吉田首相の退位論を再燃させたくないという意向に押される形でそれを削除せざるを得なくなった。

 

忙しくない方のためのどうでも良い点

・天皇という立場は非常に不自由なものであるということは、天皇自身の言葉でも伝わってきます。確かに元首と規定されていた割にはその権限が今ひとつ不明確だったんですよね。結果として軍部が「天皇の意向」と称して好き勝手出来る素地が広がってしまった。あの制度って、そういう勝手をしたい輩にとっては非常に好都合なんです。だから未だに天皇を担ごうとする輩がいる。今の上皇は恐らくそのことを昭和天皇からも聞いてたんでしょうね。だからことあるごとに「憲法を守って」ということを繰り返しいたし、自分を担ごうとしている右翼などについては、露骨に嫌悪感を示していたこともありましたから。