教養ドキュメントファンクラブ

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8/26 BS11 歴史科学捜査班「織田水軍 最強伝説!鉄甲船の謎」

 織田信長が本願寺攻略の際、毛利の村上水軍を破るために建造したと言われている鉄甲船について検証する。

織田水軍を取り仕切った九鬼嘉隆とは

 織田水軍を仕切っていたのは九鬼嘉隆である。彼は伊勢の地域の豪族・伊勢衆の一人だったが、内部抗争で伊勢を追われてしまったのだという。そこで再起を期して滝川一益を通じて信長に仕えるようになったという。この頃の信長は支配を西国に向けるつれ、水軍の必要性を感じていた頃であり、そこで九鬼嘉隆に水軍を編成させた。

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九鬼嘉隆の鳥羽城

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当時の鳥羽城の姿

 

海上からの鉄砲攻撃の威力は

 九鬼嘉隆が編成した織田水軍は伊勢攻略で活躍する。九鬼嘉隆は軍船に大量の鉄砲を搭載して、海上から敵軍に攻撃を行った。地上の敵軍は海上からの攻撃にはなすすべもなく伊勢は信長の手に落ちた。

 とのことなのだが、実際の攻撃力はどの程度だったのか。そもそも揺れる船上から射撃など可能であったのかということを番組では日本エアースポーツガン協会事務局長の鈴木宏一氏に協力してもらって検証している。実験には火縄銃に合わせて射程50メートル程度の銃を使用。すると地上では15メートル先の的に5発全部を命中させた鈴木氏が、船上からは一発も的に命中させられず。やはり揺れる船上からは精密射撃は不可能であるという(これが出来るのはゴルゴぐらいか?)。要は実際に命中させるということよりも、大量の鉄砲で海から轟音と共に大量の銃弾を降り注がせるという心理的効果と破壊力で敵兵の戦意を挫いたのだろうとのこと。鈴木氏も「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」に類したことを言っていたが、それが真相だろう。

第一次木津川口の戦いでの大敗

 そしていよいよ本願寺との決戦となるのだが、難攻不落の本願寺に対して信長は兵糧攻めを仕掛ける。そして海上補給ルートを遮断するために木津川口に軍船を配置した。そこに本願寺に物資を運んできた村上水軍を中心とした毛利水軍がやって来て合戦となる。

 しかし第一次木津川口の合戦は、村上水軍からの火矢と爆弾(焙烙)の攻撃で織田水軍は惨敗、食料等の物資が本願寺に搬入されてしまい、本願寺勢は息を吹き返すことになる。なおこの焙烙の破壊力に関しては、以前にこの番組で火薬の量を1/15にしたものを復元して実験しているが、それでも木箱を簡単に破壊するだけの威力があり、これを投げ込まれた木造船はひとたまりもなかったろうと考えられる。

 

鉄甲船は本当に存在したのか?

 メンツ丸つぶれのこの事態に、信長が九鬼嘉隆に命じたのは「火に燃えない鉄の船を作れ」という無茶ぶり。九鬼嘉隆はそんなことが可能なのかと悩むが、木造船の表面に鉄板を張ることを思いついて鉄甲船を建造した・・・とのことなのだが、そもそも鉄甲船が本当に存在したのかについては疑問もあるとのこと。

 番組では歴史オタには有名な作家の桐野作人氏と共に資料を検証しているが、それによると信長の軍船が大砲を搭載していたらしいことは資料から確認できるが、鉄の船と言うことに関しては興福寺で書かれた多門院日記という伝聞史料しかなく、黒い船→黒金の船→鉄の船と事実が変化した可能性も否定できないという。

 それにそもそもそんな鉄板を貼った船が水に浮かぶのか。番組ではこれを工業デザイナーの藤井尚夫氏に依頼して検証している。すると藤井氏の計算結果では、当時の黒金門などに貼られていた厚さ3ミリの鉄板を貼っても、鉄甲船の全長30メートル以上、幅10メートルというサイズを考えると十分に水に浮く上に転覆もしないという結果になったという。ただこの計算だけでは番組的に見栄えがしないということか、さらに藤井氏に鉄甲船の断面模型を作ることを依頼、この模型を使って三井造船昭島研究所の大水槽を借りての実験という大がかりなことを行っている。その結果、3ミリどころか厚さ2センチに当たる鉄板を貼っても、十分に水に浮かぶ上に転覆もしないという結果を得ている。これから鉄甲船は当時の技術でも十分に製作可能と結論している。

鉄甲船を動員した第二次木津川口の戦いでの勝利

 そしてこの鉄甲船を駆使しての第二次木津川口の戦いが起こる。織田水軍は6隻の鉄甲船と1隻の安宅船で木津川口を封鎖。これに村上水軍を中心とした毛利水軍が襲いかかる。しかし鉄甲船にはそれまでの火攻めなどの攻撃が通用しない。そして鉄甲船の大砲が火を噴き、毛利水軍の軍船は甚大な被害を受けて壊滅・・・と言われているのだが、実際にはこれはかなり盛った話だという。実際は実はこの時に毛利水軍は兵糧搬入に成功したとの話もあり、せいぜい判定勝ち程度だったのではとのこと。ただし瀬戸内最強の無敵の村上水軍に敗れなかったというのはかなりのインパクトがあり、陸上のみならず海上でも無敵と織田信長の名を天下に轟かすことになったろうとのこと。

 九鬼嘉隆はその後、秀吉に仕えて朝鮮出兵では鉄の船を作ったものの外洋航行に向かないために使用されなかったとか。そして関ヶ原の合戦では西軍について敗戦後に自害しているが、息子が東軍についていたために九鬼家は存続する。そして明治時代には子孫の九鬼隆義が福沢諭吉と親交があり、神戸の町づくりに貢献したという。


 鉄甲船について検証した内容だが、私も鉄甲船は実際に作れたと考えてます。もっとも重量が重くなるために機動力は壊滅的になかったと思われるので、兵器としての運用性はとてつもなく悪かったろうと考えます。ですから機動力のある小舟で間をすり抜けられたらどうしようもないでしょう。というわけで、鉄甲船は一回限りのとんでも兵器だったと考えてます。だから1度使用された後、再度使用された形跡がない。毛利水軍の方も一回タネが分かってしまったら、再戦の時には対策はあったはずです。しかしこの後、毛利の方が内部の事情等でそれどころでなくなってしまうわけです。まあ信長という人物は、こういう誰でも考えても誰も実際にはしないようなことを本当にしてしまうというところが非凡なところです。と言うか、いささか頭がおかしい(笑)。

 


忙しい方のための今回の要点

・織田水軍が毛利水軍を退けた鉄甲船については、鉄の船だったというのは伝聞資料しか残っていないので、その存在に疑問を呈する意見は多い。
・ただ木造船の表面に鉄板を貼った船は、当時の技術でも十分に製作可能であり、実際に水に浮かべることも可能であることが確認された。
・実際の第二次木津川口の戦いは、実は後に言われているような織田水軍の圧勝と言うよりも、せいぜい判定勝ちという程度なのが実情のようである。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・鉄甲船がこれだけメジャーになった一番の要因は、何と言っても「信長の野望」の影響でしょう。確かにあのゲームに登場する鉄甲船の破壊力は凄まじいものがありましたから。実のところ、鉄甲船と言うよりも戦艦大和レベル(笑)。
・以前にNHKの歴史番組で第二次木津川口の戦いの再現のような映像を作ってたんですが、それがどう見てもまるっきり日露戦争の日本海海戦レベル(鉄甲船の大砲が火を噴くと、毛利の安宅船が轟音と共に大爆発して沈没するという調子)であり、ちょっと特撮班が頑張りすぎて勘違いしてるなと大笑いしたことがあります。実際は当時は大砲と言っても単に大きな鉄球を飛ばすだけのものなので、もっと地味です。大砲が派手になるのは炸裂弾が開発されてから。