教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

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番組リスト

9/2 BS11 歴史科学捜査班「新撰組 最強剣客集団の秘密」

 幕末の時代を駆け抜けた剣客集団新撰組。今回はその強さの秘密を3つの観点から分析するという。

新撰組の剣術及び戦術

 まず一つ目は剣の腕前及び戦術面。土方ら新撰組の主要メンバーが習得していた剣術が天然理心流であるが、この流派は多くの剣術流派が泰平の時代の中で形式化していく中、非常に実戦的な流派であったという。特徴としては技の多さで、しかも不意打ちをされた場合とか、階段などの狭い場所で戦う場合など、あらゆる状況を想定してそれに対応した技がかなり研究されているのだとか。

 また戦術面においては、新撰組のそもそもの目的は対象者を捕縛することにあったため(捜査等を行うためである)、大勢で包囲して逃走を阻止することが基本にあったので集団戦に長けていたという。

 では新撰組で一番強かったのは誰かと言うことだが、番組では新撰組慰霊供養祭に訪れている新撰組オタにアンケートを取っている。すると土方歳三、沖田総司、永倉新八、斉藤一、近藤勇の順。しかしこれでは単なる人気アンケートみたいなものなので、何か資料がないかと言えば、元新撰組隊士で後に脱退して敵方に回った阿部十郎という人物が残している記録があるとのこと。それによると新撰組で特に強いのは3人で、永倉新八、沖田総司、斉藤一の順だったとのこと。

 

諜報能力に長けていた新撰組

 新撰組強さの秘密の二つ目は諜報能力だという。新撰組は謂わば警察組織のようなものであったから、捜査のための諜報組織も有していた。それが最大に発揮されたのが池田屋事件だという。池田屋事件はそもそもの発端は、新撰組が以前から要注意人物として注目していた長州藩御用商人の古高俊太郎の枡屋を襲撃したことから始まったという。この時に武器や怪しい手紙類が多数見つかったので連行しようとしたところ、浪士達が彼を奪還するべく襲撃してきたということがあったという。これで危険性を感じた新撰組は古高を連行して厳重な取り調べ(つまりは拷問である)をしたところ、御所への放火計画を白状したのだという。

 近藤は急いで会津藩と桑名藩へ出兵を要請するが、その動きが遅かったので新撰組は独自に捜索に動く、以前からの調査の結果、浪士達が潜伏する可能性の高い店などが20カ所に絞られていたことから、これを2班に分かれて捜索を行ったところ、池田屋に行き当たったのだという。この時の新撰組のメンバーは近藤率いる10人で、近藤は逃走を防ぐために表と裏に3人ずつを配置して、永倉新八、沖田総司、藤堂平助といった腕利きの4人で突入する。内部の浪士達は20人ほどいたので劣勢を強いられることになったが、途中で土方率いる24人が駆けつけて、2時間ほどで池田屋事件は幕を閉じることになる。

 

新撰組の組織的な先進性と強さ

 新撰組強さのポイントの3つ目は組織。新撰組は時代遅れの剣客集団のように思われているところがあるが実はそうではないという。新撰組は画期的な組織だったとのこと。その一つは組織内がボーダレスであったことで、それまでは出身地や身分で明確な区別があった時代に、新撰組は各地出身のあらゆる身分のメンバーが集まったボーダレス集団であったという。ただしそのままだと単なる烏合の衆になる危険があったために、統制を取るための鉄の掟を導入している。違反者には死罪などの厳罰が科されるため、新撰組が殺した人数は、敵よりは実は味方の方が多いという話もあるという。

 二つ目が月給制及び実力主義で、当時の武士などは俸禄が米で与えられていた時代に新撰組隊士は現金で月給制だったという。さらに特別の働きがあった場合には随時褒賞があったらしい。局長の土方の月給は今の価値で500万円とのこと。これが隊士のモチベーション維持に貢献したという。

 三つ目は発想の柔軟性で、良いと思ったことは直ちに導入したという。当初衛生状態が悪いことによって体調を崩す隊士が続出した際、医師のアドバイスを受けて直ちに環境を改善して、隊士の健康状態はすぐに回復したという。だから剣客集団のイメージと異なり実は西洋軍化も進めており、大砲の訓練なども行われ、戦闘でも銃の使用などは行っていたのだという。ただ悲しいかな完全に西洋式の軍隊になるまでには時間が足りなかったのだろうとのこと。


 以上、新撰組の強さの秘密について。まあそんなに驚くような情報はないですね(笑)。意外なのは銃など使用していたと言うことでしょうか。私は新撰組が銃などを使用するようになったのは、鳥羽伏見の戦いで近代装備の新政府軍に全く歯が立たなくて、土方が新撰組の改革を図るようになってからと聞いていました。しかしこの番組によると、既にその前から新撰組は西洋式装備の導入を行っていたということになります。まあ装備の導入は行っていても、まだ隊士の頭の中の方は剣術中心だったという可能性はありますが。

 何にせよ、新撰組の悲しさは負ける側に付いてしまったということでしょう。所詮は勝てば官軍ですので、負けてしまった以上は単なる時代の徒花に終わってしまいます。もっとも負けて散る側になったことで、創作などの世界では逆に人気が出るということもあるでしょうが。

 


忙しい方のための今回の要点

・新撰組の剣術面での強さは実戦的な天然理心流を取り入れていたこと。戦術面では集団戦法に長けていたことがある。
・さらに捜査機関でもある新撰組は、諜報組織を所持しており、諜報能力にも非常に長けており、これが池田屋事件で有効に働いた。
・また新撰組はフラットで実力主義な組織であったために隊士のモチベーションも高く、西洋軍化して大砲などの装備にも対応していた。

 

忙しくない方のためのどうでもよい点

・創作の世界では新撰組とか白虎隊とか、負けた側の方が人気ですね。それに比べると西郷隆盛などは地元以外では人気が今ひとつ。それでもまだ新政府側の中では比較的人気が高い方であるのは、最終的には彼も西南戦争で負けているからというのもあるでしょう。やっぱり日本人って判官贔屓というか、敗者に対する同情のようなものが強い国民性なんでしょうか。これが一つ間違うと、玉砕というものを賛美してしまうやばい感性につながってしまうこともあるのですが。