教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

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9/4 BSプレミアム 英雄たちの選択「渋沢栄一 知られざる顔~「論語と算盤」を読み解く」

 次の一万円札の肖像に選ばれた渋沢栄一。彼は明治期に数々の企業を立ち上げた日本資本主義の父として有名であるが、もう一つの側面として社会福祉家でもあった。その渋沢栄一の哲学を伝える談話集「論語と算盤」が今一大ブームとなっているという。今回はその中から渋沢栄一の考え方に迫るという。

    


 渋沢栄一は幕臣としてパリ万国博覧会の使節に同行して洋行、そこで株式会社や銀行のシステムを学んでくる。彼はこのシステムで日本を豊かにすることを考え、日本発の銀行の設立に貢献することになる。とこの辺りは8/5のにっぽん!歴史鑑定で詳細にやっています。この番組の主眼は次から。

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貧者の救済のために立ち上がる

 その頃の東京はかなり荒廃していた。江戸時代には百万都市とも言われていた東京だが、社会の混乱で人口は50万程度まで減少、その上に貧困層が6割という悲惨な状況であった。この状況を何とかしないといけないと渋沢は考えていた。

 その渋沢にチャンスが訪れる。東京府知事の大久保一翁から七分積金の運用を依頼されたのである。七分積金とは松平定知が始めた制度で、町内会の積立金の七分に当たる米や籾を徴収して備蓄し、飢饉や災害の際にこれを放出する江戸時代のセーフティネットだった。また人足寄せ場を設立し、無職者にそこで草鞋作りや大工などの技能を教育して職を持てるようにするなどの政策も行われていた。七分積金はそのまま東京府に引き継がれ、一部はインフラ整備などに流用されたが、残りについてこれを使って貧困者の救済をしたいと言われたのである。

 そこで渋沢は貧困者を収容している東京養育院を訪れる。しかしそこで彼は愕然とする。そこでは子どもも老人も病人も一緒こたに、100畳ほどの部屋に100人も収容していた。あまりのひどい状況に渋沢は改革に挑む。診療設備を整備し、職業訓練も施し、子どもたちには学問所で知識を身につけさせた。彼は松平定知のシステムを手本にしていたのである。論語と算盤には「論語と算盤はかなりかけ離れたものであるが、富を成す根源は仁義道徳であり、このかけ離れた二つを一致させることが緊急の務めである」と記してある。

 

しかし社会は貧者切り捨ての方向に

 その頃、渋沢は岩崎弥太郎と会見しているが、手を組んで財界を牛耳っていこうと提案する岩崎に対し、渋沢は自由競争こそが資本主義発展に重要と考えており、岩崎の提案を蹴って席を立つ。

 また渋沢が予想もしていなかったことが持ち上がる。国が富国強兵を急ぐ中で、貧困者の救済などは無駄であるとして養育院の廃止が議会で持ち上がるのである。養育院の存在は惰民を増やすだけだと渋沢に対しての批判まで起こる。

 いつの時代でもよくあることで、今でもナマポなんて怠け者を増やすだけだからなくせなんて言っている奴がいるが、それと同じである。こういうことを言う輩は、自分はそんな立場になることはないと考えて貧者を見下しているからそういう発想になるわけで、病気や事故で自分が働けないような立場になって初めて、自分の考えが甘かったことに気付くのである。偉そうに「もし自分がそんな立場になったら迷わず死ぬ」なんて言っている奴がいるが、そういう奴に限って本当にそうなった時に死んだ試しはないものである。

 

民間資金で福祉事業を運営する

 ここで渋沢が選択を迫られることになる。1はあくまで税金での運営を通すか。2は税金に見切りを付けて民間資金での運営に切り替えるかである。結局渋沢がここで選んだのは民間資金での運営を行うということであった。

 渋沢は自らも資金を寄付した上で、資金集めに奔走する。最初に目を付けたのは鹿鳴館で、ここに集まる上級階級の貴婦人などに声をかけて日本発のチャリティーバザーを開催したという。また財界人に渋沢が戸別訪問して寄付を募ったという。その際、渋沢は常に大きな鞄を持ち歩いていたことから、この鞄は泥棒袋と呼ばれていたとか。財界の大物である渋沢に依頼されると、寄付を断るというわけにはいかなかったようである。

 こうして集めた資金を渋沢は自ら運用して増やし(さすが渋沢である)、これによって福祉事業を展開する。養育院は規模を拡大して東洋一の福祉施設となる。そしてさらに福祉活動の対象を困窮者のみならず病気や災害で困っている人たちなどにも拡大していく。救世軍、聖路加国際病院、日本結核予防協会、理化学研究所などすべて渋沢が設立した。また女性が安心して働けるための保育所まで構想していたという。

 そして90歳になった渋沢は、病の身を押して貧しい人のための救護法の実施のために大臣と掛け合う。渋沢の努力もあって救護法は実施されることとなったが、その時には既に渋沢は亡くなっていたという。


 にっぽん!歴史鑑定の時にも言いましたが「立派すぎて何も言えない」。彼のスゴいところはさすがに実業家というか、単に善意だけの福祉事業でなく、冷徹にその裏も見通しているということ。番組出演者が、宗教による動機のない日本で金持ちに慈善事業をさせるには、彼らの見栄を使うしかないというようなことを言ってましたが、それは全く同感。キリスト教社会などでは「神の御心にかなう」と言えばそれを動機に出来るのですが、日本ではそういう宗教心は希薄なので、そうなると見栄をくすぐるしかない。その辺りのことも渋沢はわきまえていたようである。また自分の社会的地位というものも最大限利用して、相手の逃げ道を塞いでいる(笑)。大臣も日本経済を立ち上げた渋沢に「私はこのような時のために日本の経済をここまでにしたんだ」と迫られたらむげに断ることも出来まい。

 「論語と算盤」というのは、仁義道徳と経済発展を両立させるという意味であるが、渋沢栄一はその実践のために生涯をかけたと言える人物である。彼のことを考えると、現在の財界人に仁義道徳を持った者がどれだけいるだろうか。正直なところ、目の前の金儲けのためにガツガツしている守銭奴しかおらず、貧者の救済どころか、自分の会社の従業員でさえ、サービス残業で何とかただ働きさせられないかと画策しているような始末である。天の上からこの惨状を見た渋沢は、さぞかし嘆いていることであろう。

 


忙しい方のための今回の要点

・渋沢栄一の談話集である「論語と算盤」が現在注目を浴びている。
・その主旨は、富を成す根源は仁義道徳であるとし、経済発展と共に弱者に対するめくばりなども必要であるとしている。
・渋沢は貧者救済のために東京養育院を整備するが、議会において貧者の救済は無駄であるとして養育院の閉鎖が議論されることになる。
・そこで渋沢は養育院を民間資本で運営することにし、自ら財界人の元を回って寄付を募り、その資本を運用して増やして福祉事業の元手とする。
・渋沢は貧者の救済だけでなく、災害被災者や病人の救済のために聖路加国際病院などの施設も設立した。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・渋沢栄一が聖路加国際病院にまで関与していたとは知りませんでした。聖路加国際病院と言えば、日野原重明というスゴい院長がいましたね。地下鉄サリン事件での対応では有名になりました。
・渋沢栄一の話を聞く度に、今時の財界人や政治家のことを考えると情けなくなります。彼らは渋沢栄一の話を聞いても何も感じないんですかね。

 

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