教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

8/5 BS-TBS にっぽん!歴史鑑定「新1万円札になる男 渋沢栄一」

尊皇攘夷運動の活動家から幕臣へ

 渋沢栄一は武蔵国(今の埼玉)の富農の息子に産まれる。農民は読み書きも出来ない者も少なくない時代に、彼の父はこれからは教養が必要だと息子に学問を仕込んだという。

 渋沢栄一は十代で既に商売の才能を示していたという。ある日、代官に呼び出されて父の代わりに出向くと、いきなり500両を収めるように要求される。農民である彼は代官の要求に逆らうことは出来ない。この時に彼はこんな無能が偉そうに出来るのは徳川幕府がダメなせいであると考え、当時流行し始めていた尊皇攘夷思想に染まることになる。そして仲間を集めて高崎城を襲撃してから横浜で外国人を殺傷するという危ない計画を立てる。この計画は事前に知った回りの者に説得されて諦めるが、これで彼はお上に危険人物として目を付けられて手配されることになってしまう。

 捕まってしまえば命も分からない。その時に彼に救いの手をさしのべたのが一橋家だという。この頃の一橋慶喜(後の徳川慶喜)は人材を集めており、優秀な渋沢に目を付けたのだという。こうして渋沢は慶喜の家臣となる。

 

パリで銀行や株式会社のシステムを学ぶ

 その後、慶喜は将軍になることになる。もう幕府の先が長くないことを感じていた渋沢は反対したらしいが、慶喜はそれを押して将軍に就任する。かつて討幕運動をやっていた自分がとうとう幕臣になってしまったことに釈然としない渋沢。そんな渋沢に回ってきた仕事がパリ万国博覧会に送られた使節に同行して、欧米の強さの秘密を探ってくることだった。パリに渡って最新の技術などに驚く彼は、このような大事業をどうやって実現できるのかに興味を持つ。現地の銀行家から、資本を集めて事業に貸し出す銀行と出資者から資金を集めて事業を興す株式会社の仕組みを聞いた彼は、日本を豊かさにするためにこれらの仕組みを日本に導入することを考える

 時代は彼がパリに行っている間に急変する。慶喜が大政奉還をしてしまうのである。帰国した渋沢は慶喜を守るために駿府に移住する。そこで彼は商法会所を設立する。商法会所は公的資金を元に商人や農民に資金を貸し出し、その収益の一部を預けてもらうというもので、銀行と商社を組み合わせたようなものだった。これは彼がフランスで学んだ合本会社というものであった。

 商法会所のシステムは成功する。この渋沢に目を付けた新政府から明治2年に税制の実務を取り仕切る租税正に抜擢するという命が下る。これを拒絶するつもりだった渋沢だが、慶喜が新政府に対して反抗的であるという風に考えられてはいけないと考え直し、これを受けて新政府の役人となる

 

大蔵省役人として国立銀行設立に貢献

 大蔵省の役人となった彼は、鉄道の敷設、富岡製糸場の建設、郵便システムの成立など諸々の事業をその豪腕で手がけて、大蔵省のナンバーツーにまで出世する。そんな渋沢はついに国立銀行の設立を手がけることになる。

 しかしその前に思わぬ障害が立ちふさがる。民間の巨大資本であった三井組が自ら銀行を設立しようと動き出すのである。三井組は東京に三井組ハウスという巨大ビルを建設してここを銀行にしようとしていた。資本を一財閥に集中させてしまってはいけないと考える渋沢は、三井組ハウスを明け渡すように三井に交渉するがこれは拒絶される。結局は三井組ハウスを明け渡す代わりに三井が独自に銀行を設立することも認めるということで合意が成立し、三井組ハウスの建物が国立銀行第一号となる。渋沢は銀行設立の直前に大蔵省を辞職すると銀行の経営に携わることになる。

 国立銀行の役割は資金の貸し出しだけでなく紙幣の発行もあった。しかし当時はまだ紙幣に馴染みがないために信用がなく、そのために紙幣はいつでも金と交換できる兌換紙幣として発行された。しかし間もなく渋沢も想定していなかった事態が発生する。不平士族の反乱が各地で相次いで社会が不穏になってくるのである。この社会情勢をみて紙幣を金に交換する者が相次ぎ、それどころかレートの関係から海外資本からも金の引き出しをされて国立銀行は経営危機に直面することにする。やむなく渋沢はかつて自分が制定した銀行法の変更を政府に働きかけ、紙幣と金の交換を停止する。これによって国立銀行は救われると共に、銀行設置に金が不要になったことから各地に銀行が設置されてその数は153にも及ぶことになる。これらの銀行は、その後に地方経済を牽引することになる。

 

あくまで民間の立場から多くの企業を立ち上げる

 その後の渋沢栄一は500社にも及ぶ民間企業の立ち上げに携わることになる。彼は企業を立ち上げると軌道に乗ったところで経営を委ねるということを繰り返したようである。彼は民間の力を引き出すということにこだわっており、井上馨から大蔵大臣への就任を要請された時も拒絶したという。

 渋沢は三菱を立ち上げた岩崎弥太郎と会談したことがあるらしいが、この時にはリーダーシップの重要性を強調する岩崎と、独占を否定して合本主義にこだわる渋沢は意見が対立、怒った渋沢が席を立ってしまったらしい。これ以降、両者はライバル関係となる。

 

福祉に力を入れた晩年

 その後の渋沢は慶喜の伝記を執筆して、彼が幕末に果たした役割を世間に再認識させたり、福祉事業に力を入れたという。経済が発展すると共に貧富の差が拡大しており、ここで豊かさからこぼれてしまう人々にも渋沢は目を配っていたという。関東大震災が発生した際には、自宅を開放して炊き出しを行い、被災者の救済を行ったという。

 90歳になった渋沢が最期に手がけた事業は、貧しい人々の救済だった。風邪で体調を崩していた渋沢は主治医の反対を押して福祉施設の代表達と面会する。彼らは飢えと寒さに苦しむ人たちのために制定された救護法が予算不足で機能しておらず、それを打開するために渋沢に協力を要請してきたのである。渋沢はただちに病をおして大臣と面会する手配をする。彼の健康を気遣う回りは反対するが、彼は自分が死んでも多くの人が救われるのならその方が良いと談判に出かけたという。こうして渋沢の働きかけもあって救護法は施行されることとなる。渋沢がこの世を去ったのはその翌年とのこと。

 

 いやー、立派すぎて何も言うことがない話です。起業を行って立身出世する人物は結構いますが、そこから落ちこぼれてしまった人々にまで目配りをするという人物は多くはいません。渋沢は資本主義の利点だけでなく、それから生じる負の面もキチンと理解していたということで、この辺りはそこらの単なる守銭奴とは根本から異なるところです。やはり若い頃に立身出世ではなくて世直しを目標にしていたというところが生涯影響を与えているように思われます。彼の起業は自身が利益を上げることが目的でなく、社会基盤を整備することを目的としているようですし。

 本当に昨今は目の前の利益だけに一喜一憂する守銭奴経営者ばかりになり、こういう筋の通った財界人というのが全くいなくなりました。それは経団連の堕落っぷりに顕著に現れていて、昔は財界人の立場から権力に物申すというような気骨のある人物がいましたが、今時は労働者をただでこき使うために政府に金を渡してサービス残業促進法案の成立を働きかける始末。あの世の渋沢が見たら、あまりの情けなさに目を覆うか憤慨することでしょう。

 


忙しい方のための今回の要点

・富農の息子だった渋沢は、代官の理不尽な要求で幕府体制の矛盾に直面し、倒幕のための尊皇攘夷運動を行う。
・そのせいで手配されてしまうことになった渋沢は一橋慶喜に助けられることとなり、慶喜の家臣となる。
・パリ万博派遣使節の一員としてパリに渡った渋沢は、そこで銀行や株式会社のシステムを学び、それを日本に導入することを考える。
・明治になって大蔵省の役人となった渋沢は、鉄道や郵便などの社会基盤となる事業を立ち上げた後に、国立銀行の設立に貢献することになる。
・国立銀行の設立後、渋沢は500社にも及ぶ民間企業の立ち上げに携わる。ただし経営が軌道に乗ると彼は経営を他者に委ねて、自ら経営に関与した会社はほとんどない。
・その後の渋沢は発展する社会の中から落ちこぼれた人々に対する福祉に力を入れ、関東大震災の時も被災者の救済のための活動を行っている。
・渋沢の最期の事業も貧者救済のための事業であった。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・「官尊民卑」ではダメだというのが渋沢がパリで学んできたこととの事ですが、彼はそれを守ってひたすら民間の立場で多くの事業を手がけ、それを通して社会基盤の整備に貢献したということのようです。
・あくまで民の立場に身を置きながら、福祉にまで配慮したというのがまたスゴいところです。民の立場に徹する場合、下手すれば「儲かればそれで良い」となりがちですから。今時のヒルズ族などのにわか成金を見ればよく分かりますが、そういう輩はああいう金の使い方(自己の見栄を満足させるための散財など)をしたがります。つまりは社会にとっては何の役にも立たないという。
・やはり人間として基本となる思想や哲学があるかということなんでしょうね。金儲けの手段は持っていても、そういうものを全く持っていない輩が増えました。
・渋沢栄一を1万円札にするのは結構ですが、安倍は彼の姿勢から何か学んだのでしょうか? まあ無理でしょうね・・・。

 

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