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7/29 BS-TBS にっぽん!歴史鑑定「日本を開国に導いた男 ジョン万次郎の生涯」

 今回の主人公は数奇な運命をたどり、結果として幕末の開港に協力することになるジョン万次郎こと中濱万次郎について。

漁で遭難し、アメリカの捕鯨船に助けられる

 万次郎は土佐の中ノ浜村の貧しい漁師の息子で、14歳になった時に漁船に乗り込むことになる。この時のメンバーが筆之丞(後に伝蔵に改名)、重助、五右衛門の三兄弟にドラえもん・・・でなくて寅右衛門に万次郎の5人である。しかしこの5人が乗った漁船は嵐に巻き込まれて漂流することになり、5日間の漂流の後に小笠原諸島の鳥島に漂着する

 なお実はこの鳥島に流れ着いたのは実は幸運だったとのこと。というのは本来の黒潮の流れだったら、彼らは北太平洋に流され冬だったから凍死することになるところだったという(そうなるといきなり「ジョン万次郎伝 完」である)。しかしこの時は黒潮が蛇行していてそのために鳥島に流れ着いたのだという。

 彼らは鳥島でアホウドリを食べたりしながらのサバイバル生活を5ヶ月ほど送り、その後にアメリカの捕鯨船であるジョン・ハウランド号に発見されて救出されることになる。実はジョン・ハウランド号はこの時、食料として島でウミガメの卵を採取しようと考えていたのだという。つまりはここでもまた幸運だったわけである。

 

船長に気に入られてアメリカに渡って教育を受ける

 捕鯨船に乗り込んだ万次郎は興味津々で船のことや捕鯨のことなどを積極的に学ぶ。彼は船名から取ったジョンと万次郎の名からジョンマンと呼ばれて船員からも愛されたようだ。また船長のホイットフィールドは優秀な万次郎が気に入る。

 当時の日本は鎖国中であったので捕鯨船は日本に立ち寄ることは出来なかった。そこでホイットフィールドはホノルルに到着した時に彼らを下ろす。ここから中国方面に向かう船に乗れば日本に帰れるのではないかと考えたのだという。しかし彼は万次郎にはアメリカに行かないかと声をかける。好奇心の強い万次郎もそれを承諾する。

 アメリカ本土に戻ったホイットフィールドは万次郎を小学校に通わせることにする(番組では言っていなかったが、万次郎はホイットフィールドの養子になっているようである)。そこで万次郎は英語を1年でマスターし、その後は航海術などを学ぶ学校に通う。またクリスチャンであるホイットフィールドは万次郎を教会に連れて行くが、当時のアメリカは人種差別が強かったために万次郎は教会への立ち入りを拒否される。それに怒ったホイットフィールドは宗派を変更して万次郎が差別を受けない教会に連れて行ったという。捕鯨船で様々な国籍の者と交流のあったホイットフィールドは人種差別のくだらなさを分かっていたのだという。

日本開国の決意を秘めての帰国

 一人前の船乗りになった万次郎は捕鯨船で働くようになる。そしてそこである船員の「日本はどうして漂流民を助けないのか?」という言葉から、日本を開国させるべきだと考えるようになる。そしてそのために日本に帰ろうと考える。

 万次郎は日本に帰るための資金を作るためにゴールドラッシュのサンフランシスコに行く。治安が悪いために銃を常に携帯しての採掘作業だったらしいが、ここで数ヶ月で捕鯨船の給料3年分に当たる600ドルの資金を作ることに成功する。

 万次郎はこの金を持ってホノルルに渡り、そこで日本に乗り込むための小舟と食料などを買い込む。またかつての仲間に同行するように声をかけるが、重助は既に病死しており、こちらで結婚して生活基盤を築いていた寅右衛門は同行を拒否する(後に日本で最初のハワイ移民になるらしい)。

 万次郎は同行した伝蔵、五右衛門と共に琉球沖から小舟で上陸する。ここで彼らは尋問を受けたそうだが、既に日本語をかなり忘れていたこともあって完全に不審者扱いだったという(と言うか、そもそも万次郎の日本語は土佐の漁師言葉であるので、英語よりも日本語の方が通じなかったという話もある)。

 

幕末の動乱の中でその知識を活かす

 その後、薩摩に引き渡されて取り調べ、さらには長崎でも取り調べ、そして土佐でも取り調べで万次郎達が故郷の中ノ浜村に戻れたのは1年半後になる。万次郎の知識に目を付けた土佐の山内容堂は万次郎を士分に取り立て、藩校の教授に任命される。なおその時の教え子には後藤象二郎や岩崎弥太郎などがいるという。

 しかし万次郎はどうやったら日本を開国させられるか悩んでいた。そんな時にペリーが来航して事態は一気に動き始める。アメリカの情報が欲しい老中・阿部正弘は万次郎を招聘して話を聞くことになる。そこで万次郎はアメリカの事情と共に、アメリカは漂流民の保護と捕鯨船の補給を求めているのであって、侵略の意図はないことを熱心に説明する。

 万次郎は直参に取り立てられ、この時に生まれ故郷の地名から取った中濱の姓が与えられた。さらに江川英龍の配下となってその知識を活かして造船などに携わっている。

 ペリーの再来日の際には通訳としての起用を江川が訴えるが、これは徳川斉昭の反対で却下されている。斉昭は万次郎がアメリカに対して恩義があるためにアメリカに有利になるように取りはからうのではないかということと、万次郎がアメリカに連れ帰られることを警戒したという。

 しかしこの時に日米和親条約が締結され、日本は開国することになる。明治になってからは遣米使節の通訳として同行した彼は、アメリカで恩人であるホイットフィールドとの再会も果たしている。

 

 以上、日本の開国に間接的に貢献したジョン万次郎の生涯。それにしても彼の生涯を見ていると何度かの決定的な幸運に支えられている事が分かる。漂流したものの助けられた幸運、さらにはその助けてくれた相手が人格者であった幸運(もし差別主義者なんかだったら奴隷に売られている可能性もある)、さらには日本に戻ったのが開国前夜であった幸運(数十年早かったら罪人として処罰された可能性が高い)などなど。まあ歴史に名を残すような人は、この「幸運」というのが重要な要素であるのは間違いない。

 最終的に彼は政治家にはならずに、教育者として生涯を終えているとのことで、そういうところには彼の志向が現れているのだろう。彼の謙虚で真面目な性格が回りに信頼されたというところも大きいようである。

 ところで万次郎の話はアメリカで絵本にもなっているとのことで、これは驚いた。向こうではどういう扱いなんだろうか? いわゆる偉人の立身出世物語なのだろうか?

 


忙しい方のための今回の要点

・土佐の漁師だった万次郎は、4人の仲間と共に嵐で鳥島に流れ着いていたところをアメリカの捕鯨船に救助される。
・捕鯨船船長のホイットフィールドは賢い万次郎のことが気に入って、彼をアメリカに連れて行って教育を受けさせる。
・捕鯨船の乗員となった万次郎は、当時の日本が漂流民を救助しないことに疑問を感じ、日本を開国させようと考えるようになる。
・金の採掘で資金を調達した万次郎、かつての仲間の内の2人と共に小舟で琉球に上陸し、そこから日本に戻る。
・土佐では藩校の教授をしていたが、ペリー来航で老中の阿部正弘に招聘され、そこでアメリカには侵略の意図はなく漂流民の保護と捕鯨船の補給を求めているだけであるということを訴える。
・万次郎の通訳への起用は徳川斉昭の反対で頓挫するが、彼の望んでいた日本の開港は実現し、明治になってからは遣米使節団に同行して渡米し、その時にホイットフィールドと再会を果たしている。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・まさに数奇な運命という言葉そのものの生涯です。本来なら一漁師として終わっていたであろう人物が思いがけない運命で歴史上の偉人になったというケース。逆に本来なら順当な人生を送れたはずが、歴史の狭間で翻弄されたという不運な人もいるし(ヒストリアに出てきた林忠崇なんかがまさにそう)。こういう時代の変革期にはそういうことがよく起こる。
・万次郎にとっては、10代のまだ頭が柔軟な時期にアメリカに渡ったというのも大きいでしょう。どうしても20歳を過ぎて以降とかになると、なかなか英語の一つにしても習得が困難になるので。