教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

8/28 BSプレミアム 英雄たちの選択「謙信VS信長 戦国最強は誰だ?~真説・手取川の戦い」

 毘沙門天の化身を名乗り、合戦においては圧倒的な強さを示したために戦国最強との呼び声も高い上杉謙信、一方鉄砲隊など斬新な戦法を取り入れて天下を平定した織田信長。この両者の軍勢がぶつかった合戦が手取川の戦いである。この手取川の戦いの経緯を紹介。

最初は良好だった謙信と信長の関係

 まず謙信と信長の関係であるが、当初は決して敵対的なものではなかったという。両者の接触が最初にあったのは謙信35才、信長31才の頃である。この時の信長の書状はかなりへりくだった姿勢を取っている。これはやはり謙信は関東管領であり、一方の信長は桶狭間で今川を破ってようやく頭角を現した下っ端大名ということで、圧倒的に家格が謙信の方が上ということがあったのだろうとのこと。またこの頃の両者は武田信玄という共通の強敵が存在しており、信長としてはその信玄と互角に渡り合っている謙信は是非とも味方につけておきたかったろう。

武田信玄の死から始まる両者の対立

 そのような両者の蜜月関係に亀裂が入るのは、武田信玄が上洛の途上で急死してから。この時に謙信は信長に対して共同作戦を持ちかけたようである。信長は東美濃に出兵し、これを武田勝頼が軍勢で迎え撃った時、謙信は山越えをして武田領に侵入している。これによって武田軍は撤退したわけであるが、謙信に対して信長からは何の礼もなかったのだという。これで謙信がへそを曲げたようである。次に信長から謙信に共同作戦を持ちかけた時は、謙信は武田領に侵攻せずに越中に侵攻している。これには今度は信長が怒っている。

 番組ではここで謙信の性分についての議論が沸き起こっているのだが、謙信は恨みを根に持ちやすい女性的な性格であるという話が出ている。これは結構面白い観点で、非常に計算高くて打算的な信長に対し(その一方でキレやすいところはあったが)、謙信は感情で突っ走るところがあり、正義だの義だのを重んじている。つまりは「根本的に性格が合わない」のだという。なお謙信の性格が女性的なんて話があるせいかどうかは定かではないが、創作の世界では謙信女性説っての結構多い設定でもある。

 

ついに直接対峙することに

 そしてこの両者が北陸で接することになる。信長は以前から敵対していた一向一揆を攻略すべく越前に侵攻した。ここで信長は男女の別なく殺戮を行っており、3~4万人を虐殺したという話がある。一方、謙信は一向一揆と和睦する。その結果、謙信の勢力は加賀にまで及ぶことになり、両者の勢力圏がここで接することになったのである。

 またこの頃、信長は当時の武家最高位である権大納言・右近衛大将の位を授かる。これで官位の点でも謙信を上回ることになった。このような両者の力関係の変化もその衝突を不可避のものとした。

 信長との決戦を覚悟した謙信は、背後を突かれないように能登の畠山氏を2万の軍勢で攻撃した。しかし畠山氏の籠もる七尾城は難攻不落の巨大山城だった。だが、畠山氏内部では上杉派の重臣と信長派の重臣の対立が起こっていた。そして信長派の重臣が信長に援軍を要請する書状を送る。信長はこれを好機として柴田勝家を総大将とする4万の軍勢を北陸に派遣する。

堅城七尾城を計略で落とした謙信

 信長軍動くの報を聞いた謙信は七尾城の攻略を急ぐことにする。謙信派の重臣に信長派を討ち取れば城主にすると持ちかけて内紛をそそのかす。この策は見事にはまって七尾城内で内紛が発生、謙信派の重臣に手引きされた軍勢が七尾城内に侵入して七尾城は落城する。

 しかし七尾城落城の報は信長軍には伝わっていなかった。加賀の一向一揆勢は謙信側に付いている上に、謙信は街道を封鎖して完全に情報を遮断していたのだ。しかも信長軍内では総大将の柴田勝家と羽柴秀吉が対立、秀吉が手勢を率いて勝手に引き返すというトラブルまで発生していた。

 さてここで決断は謙信の戦い方。1は野戦に討って出て織田軍と正面から雌雄を決する。2は七尾城に籠もって籠城戦で迎え撃つ。以上の二つの選択。番組ゲストは真っ二つに分かれていたが、戦力的に劣勢にある軍が確実に勝利するには籠城戦の方が有利という考えと、七尾城まで引き籠もってしまったら加賀などが危うくなるという考えである。なお私の考えは、やはり七尾に籠もるのは奥過ぎると考えるので最強上杉軍団を率いて野戦に討って出るというものである。

 

野戦での上杉軍の圧倒的勝利・・・だが

 謙信は野戦を選んだ。勝家率いる織田軍は手取川を渡ったところで七尾城落城の報を聞く。上杉軍襲来を恐れた勝家は直ちに撤退を命じるが、手取川の急流に撤退が手こずっているところに上杉軍が襲来した。織田軍は背後を徹底的に叩かれ、千名が討ち取られたる大打撃を受けたという。ただ謙信の計算違いは信長が自ら出てきていると考えていたことだという。謙信は野戦で信長本陣を襲撃して信長を討ち取ることを考えていたのではとのこと。

 その後、両軍は3ヶ月手取川を挟んで睨み合いになるが、やがて撤退する。越後に引き上げた謙信は翌年の再出兵に備えて軍団の再編成を行うが、その謙信が脳溢血で倒れて49才でこの世を去る。結局は信長と謙信の直接の雌雄を決する対決はかなわなかった。


 なおこの戦いの記録は上杉側には残っているが、織田側には全く残っていないという。恐らく完膚なきまでにやられてしまった敗戦だったので、関係者が口をつぐんでしまったのではないかとのこと。これを捉えて「織田軍のノモンハン事件」と評していたが、言い得て妙なり。ただノモンハン事件と根本的に違うのは、日本軍はノモンハン事件をなかったことにしてしまって反省しなかったせいで、後の太平洋戦争で致命的な失敗につながってしまうのだが、手取川合戦をなかったことにした織田軍は、特別にその後にまずいことは起こらなかったこと。謙信がここで亡くなってしまったのは、織田軍にとっては非常な幸運と言って良いでしょう。

 今回の番組では説明してませんでしたが、謙信は織田軍の鉄砲を封じるためにあえて夜戦を仕掛けたという話もあります。もしそうなら謙信はさすがに軍略の点でも長けてます。この戦い後、謙信は「織田軍は弱い」と語ったそうだが、実際に鉄砲の優位を発揮できない状態での織田軍というのは決して強くはないでしょう。尾張の兵は越後の兵に比べると明らかに弱兵だったはずです。信長のすごいところは、その弱兵でも強兵に勝てるように装備や戦術を考えたというところです。

 


忙しい方のための今回の要点

・織田信長と上杉謙信の関係は、当初は信長がかなりへりくだっていたこともあり良好だった。しかし武田信玄が亡くなった頃から、共通の敵を失ったこと、信長の官位が上がって謙信と同格のような態度を取り始めたことなどから対立が始まる。
・信長が越前の一向一揆を滅ぼしたことと、謙信が一向一揆と和睦して加賀を影響下に置いたことで、両者の領域が接することになりその対決は不可避のものとなる。
・信長との対決を期した謙信は背後を突かれないように能登の畠山氏を攻める。信長派の畠山氏重臣が信長に援軍要請したことで、信長は柴田勝家を総大将とした4万の兵を北陸に送る。
・織田軍が動いたと聞いた謙信は、七尾城を謀略で落城させて織田軍を夜戦で迎え撃つ。手取川を越えたところで七尾城落城を知った勝家は撤退を図るが、そこに上杉軍が襲来して千人を討ち取られる大被害を出すことになる。
・両軍はしばしにらみ合った後に撤退するが、謙信が越後で急死したことで、信長と謙信の直接対決は実現せずに終わる。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・まあ上杉謙信の強さって神がかっているところがありますから、信長の合理主義でどこまで対応できるかが見所だったでしょうね。謙信というのは自分が先頭に立って突っ込んでいくような猛将ですが、単なる猪突猛進ではなくて軍略にも長けてますからね。少なくとも馬防柵に正面から突っ込んでいくなんてことはしないと思います。もし両者が直接対決していたらというのは、歴史のifの中でもかなり魅力のある話になります。