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9/9 BS11 歴史科学捜査班「検証!黒田官兵衛 天才軍師の知略」

 織田信長、豊臣秀吉に仕えて彼らの天下取りに貢献したと言われている軍師・黒田官兵衛。今回はその彼の知略のほどに迫るという。

築城の名手だった官兵衛

 まずは黒田家発祥の地である姫路に番組は飛んでいる。姫路城は中国攻めを行っていた秀吉に官兵衛が献上した城であるが、その頃の官兵衛の城は今の西の丸に当たる部分だったという。その後、秀吉は現在の天守の位置に三層の天守を築いたとのこと。なお現在の姫路城はさらに後に池田輝政が築いたものである。ちなみに姫路城には官兵衛の意匠が凝らされており、官兵衛は加藤清正や藤堂高虎と並ぶ築城の名手という側面があり、大阪城の築城にも携わっているという。

官兵衛の持つ情報ネットワーク

 さらに黒田家の原点に関わるのが、姫路城の北の山中にある廣峯神社。官兵衛の祖父が岡山よりこの神社の御師を頼ってここにやって来たのだという。御師とは寺社に参拝する人々の宿泊や祈祷の手助けをする人物で、廣峯神社のお札を配るために全国行脚していたという。神社の周辺にはこの御師の屋敷跡が多数あり、石垣を使用した城郭のような作りになっている。この一角に黒田家の屋敷があったという。官兵衛はこの御師のネットワークから情報を仕入れており、中国地方を巡って織田信長と毛利輝元が争った時も、織田が有利と見てそちらに付く決断をしたのだという。つまりは官兵衛は情報収集に長けていたというわけである。

 なお廣峯神社では現在官兵衛神社を建設中で、その御神体とするべくかつて官兵衛の父・職隆の墓地で発見されて福岡に持って行っていた珪化木5つの内の1つを持ってきており、これが現在公開中とのこと。神社が完成すると中に収められるため、見ることが出来るのは今だけだとか。

 

合戦の勝敗を決する知略の冴え

 また姫路には官兵衛の知略を示す英賀合戦の跡も残っている。この合戦は織田方に付いた小寺氏(当時の官兵衛は小寺氏の家臣だった)を毛利が攻めた戦いで、小寺氏の軍勢500に対して、毛利軍は5000と10倍の差があった。軍船で上陸した毛利勢を迎え撃ったところで、官兵衛は農民達に持たせた2万本の旗を一斉に立てさせて大援軍が来たかに見せかけて毛利勢を撤退に追い込んだという。官兵衛はこのような意表を突く戦術に長けていた。

秀吉の天下取りに大きく貢献

 また官兵衛の知略を物語るエピソードには秀吉の備中高松城の水攻めがある。この戦術を提案したのは官兵衛である。番組では高松城の水攻めを研究している研究者の元で地形などを復元して検証しているが、川から水を引き込むための堤防と、水の逃げ口になっている部分を封じる堤防の2カ所を建設すれば、梅雨時であったことを考慮すると、丸2日で城を水没させることが出来るという。私は城の周りに延々と堤防を築いたのかと思っていたが、これを見ていると、地形を利用して2カ所に堤防を築くだけのようなので、より現実的な内容となっている。この時、城は水位50センチぐらいは水没しただろうとのこと。実際に城内で舟で移動しないといけなくなったという記録が残っているという。

 さらにこの時に本能寺の変が勃発する。官兵衛は情報が毛利方に伝わらないように手を回した上で毛利と講和を結び、秀吉の中国大返しの段取りを手配して秀吉の天下取りにつなげた。この大胆な策略というのも官兵衛の真骨頂でもある。

 

北条戦でも活躍

 また秀吉の天下取りの最後を飾ることになる北条攻めでも官兵衛は貢献している。北条方との交渉のために小田原に乗り込んだのは既に家督を息子の長政に譲って隠居していた官兵衛である。彼は北条氏直を助けて北条氏の血脈を残す条件で北条氏を降伏させている。北条氏は官兵衛に感謝し、文化人でもあった官兵衛に対して刀などの北条の家宝を託している。官兵衛は交渉力に長けた文化人でもあったというわけである。

実は天下を狙っていた?

 晩年の官兵衛は豊前を治めていたが、天下を窺っていたのではないかというエピソードも残っている。中津に築城した官兵衛は瀬戸内海に早船のネットワークをおいて、常に大阪の状況が把握できるようにしていたらしい。そして関ヶ原が勃発した時には長政を東軍に送り出した後、自身は九州平定に動いている。官兵衛の目論見に反して関ヶ原の戦いがたった1日で決着してしまったために実現できなかったが、官兵衛は九州や中国の軍勢を率いて東進することも目論んでいたと考えられるという。


 以上、黒田官兵衛について。知略というかどちらかと言えば謀略に長けた人物という印象がある武将です。秀吉は官兵衛の能力を買って重用してましたが、その一方でその知略を恐れていたという話もあり、だから天下を平定したら彼を九州という遠隔地に左遷したのだと言われています。なお官兵衛が天下を狙っていたかと言えば、それは多分チャンスがあったら間違いなく狙っていたでしょう。官兵衛にしたら秀吉を天下人にしたのは自分だという自負がありますから、その天下を家康に渡すぐらいなら自分が手にしてしまおうぐらいの考えはあっただろうと思われます。ただ官兵衛は軍師としてNo2の位置にいるのは良いですが、果たして天下人としてトップに立った場合はどうでしょうか。こういうタイプはトップに立ってしまうと往々にして組織がまとまらないものです。あちこちで離反する連中が出て、結局は戦国時代パート2になっていた気がします。

 


忙しい方のための今回の要点

・黒田官兵衛は築城の名手でもあり、また御師のネットワークによる情報収集などにも長けていた。
・さらに英賀合戦で10倍の敵を奇策で撤退に追い込んだり、高松城の水攻めを実行したりなど戦術に非常に長けていた。
・毛利との講和を迅速にまとめて秀吉の中国大返しを成功させてその天下取りをサポートした官兵衛は、北条攻めでも北条氏を降伏させる交渉をまとめている。
・晩年の官兵衛は関ヶ原合戦のどさくさに天下を狙う姿勢を見せていたが、関ヶ原の合戦がたった1日で決着したことで実現せずに終わる。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・秀吉の軍師と言えば、前半は竹中半兵衛で後半は黒田官兵衛ですが、どことなく清廉なイメージを持たれている半兵衛に対して、官兵衛は何となくダークなイメージがつきまとっているのはなぜでしょうか?
・中国大返しの手配については、あまりに手際が良すぎるんですよね。官兵衛は事前に何かが起こることを予想していた可能性もあると思います。当時の信長の周囲には、ああいうことがいつ起こっても不思議ではないという空気があったのかもしれません。
・秀吉は実は明智光秀が謀反を起こすのを予想していたのではという説もありますが、秀吉というよりも実は官兵衛が光秀を焚きつけたという可能性もなくはないかも。