教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

9/15 TBS系 世界遺産「マヤ文明の大ピラミッドと聖なる泉」

古代マヤ文明の遺跡の回りに点在する鍾乳洞の泉

 メキシコ・ユカタン半島のチチェン・イツァはマヤ文明の古代都市の遺跡である。この周囲のジャングルにはセノーテと呼ばれる泉が点在しており、その数5000以上。この地域は石灰岩のために雨が地中に染みこみ川がない。そのためにこの泉がマヤの水の供給源となっていた。

 その泉の一つオルトゥン・セノーテは最近になって発見された。ここは狭い入口の中に広がる巨大な地底湖である。入口から内部に入ってみると、巨大な鍾乳洞が広がっている。この地域の石灰岩に染みこんだ水が、地底で鍾乳洞を作ったのである。実は各地に点在するセノーテはその地底湖の屋根が崩れて露出したものであり、このオルトゥン・セノーテはまだ屋根が残っている状態のものになる。このオルトゥン・セノーテは単なる生活用水ではなく、聖なる役割を持っていたと考えられている。

湖の底に差す光の柱

 1年に2度、5/23と7/19だけこの湖の入口の真上を太陽が通過するため、中の湖に太陽の日が差し込む。その時はさながら光の柱が湖の中に現れるように見える。約1分ほどだけの幻想的な光景である。この柱は湖の下まで一直線に伸びており、柱に沿って潜水してみたところ、15メートル沈んだところに石棚があり、そこには人間の頭蓋骨が転がっていた。この頭蓋骨は若い女性のものとみられ、後頭部に致命傷と思われる打撃痕が残っている。

 

マヤ文明の高度さを示すピラミッド

 この湖から東に離れた場所にククルカンのピラミッドが存在する。ククルカンとは豊穣をもたらす蛇の神である。マヤ文明は高度な天体観測を行っており、1年が365日の暦を制定していたという。このピラミッドの階段は91段。91段×4の神殿を1足すと365。つまりはこのピラミッド自体がカレンダーなのだとのこと。そして春分の日と秋分の日にはピラミッドの影がククルカンの体を浮かび上がらせる。また先ほどのオルトゥン・セノーテに太陽光が差し込むその日、このピラミッドの直上にも太陽が通過するようになっているのだとか。マヤ文明の高度さを物語る設計である。

生け贄を捧げた雨乞いの儀式

 生け贄はマヤ文明の習慣であったようで、チチェン・イツァの遺跡の中にも生け贄を捧げた台座が残っている。捕らえた敵の戦士を生け贄にしたようである。またピラミッドの中にも生け贄を捧げる部屋があり、隣には王の台座も残っている。王の立ち会いの下で神に生け贄を捧げる儀式が行われたのだという。

 この近くには今もマヤの末裔が暮らしており、雨の神を祀っているという。現在でも生け贄こそ捧げないが、トウモロコシで作ったパンを供えて雨の神に祈る儀式が残っている。実は先ほどのオルトゥン・セノーテの中の石棚はかつてマヤが大干ばつに見舞われた時に、地底湖の水位がここまで下がって地上に現れたものだという。そしてここで雨乞いのために生け贄が捧げられたのだとか。


 生け贄文化はマヤ地域にはよく見られるもので、この地域の文明の特徴でもあります。非常に野蛮な習慣というように感じますが、実際は古代において各地で生け贄はごく普通に行われていました。中国なんかでも行われており、諸葛孔明がそれを廃止して代わりに小麦で作った皮の中に豚などの肉を入れたものを作ったのが、饅頭の始まりなんて話もあります。日本でも古代においては天変地異の際や大土木工事の際なんて、ごく普通に人柱が行われてました。古代の人間が神を恐れていた頃は、神の怒りを鎮めるための生け贄はごく普通の習慣だったということです。

 生け贄はともかく、この中南米地域の文明というのは実はかなり高度なものでした。しかしその後、もっと野蛮なスペイン人がやって来たことによって完膚なきまでに破壊されてしまうのですが。

 


忙しい方のための今回の要点

・メキシコ・ユカタン半島のマヤ文明の古代都市遺跡チチェン・イツァの周辺にはセノーテと呼ばれる鍾乳洞の湖が多数存在する。
・その内の一つ、オルトゥン・セノーテの広大な地中湖であり、1年の内に2日だけ太陽が入口から内部に差し込む。実はその日には、東にあるククルカンのピラミッドの直上にも太陽が通過する日であり、これはマヤ文明の天体観測の高度さを物語っている。
・オルトゥン・セノーテの内部には、かつてマヤを大干ばつを襲った時に捧げられた生け贄の女性の頭蓋骨が残っている。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・地中湖に光の柱が差す映像は実に幻想的でしたが、その湖の底に生け贄の人骨が沈んでいるとなると、急におどろおどろしくも思えてしまいます。にしても、あの湖を古代にどういうきっかけで発見したんだろう。また照明なんてせいぜい松明ぐらいしかない時代に、どうやって内部を探査したのかとか謎は尽きません。