教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

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番組リスト

2/20 BSプレミアム ザ・プロファイラー「リンドバーグ 空の英雄 その栄光と挫折」

 リンドバーグと検索をかけると何やらロックバンドばかりが出てくるが、当然のようにそっちではなく、パイロットのリンドバーグである。ニューヨークーパリ間の無着陸飛行という偉業を成し遂げて時代の英雄となったリンドバーグだが、その生涯には様々な挫折も抱えている。そんなリンドバーグの生涯を紹介。

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リンドバーグ

 

パイロットにあこがれた孤独な少年

 リンドバーグの両親は離婚して、彼は母に引き取られて生活していたという。少年期のリンドバーグは母親が仕事に出かけた後、家で一人で様々なことを空想して過ごす孤独な少年だった。また彼の父の言葉に「一人は一人前の仕事をする。二人では半人前の仕事をする。三人になると何も達成できない。」というのがあったらしくて(何かのことわざの引用らしいが)、そもそも孤独志向が強かったようである(今時のチームプレイを真っ向から否定する姿勢だ)

 リンドバーグは発明家でもあった祖父の工房に出入りし、機械類に興味を持つようになったという。そんな少年が一番心惹かれたのは、この頃に急激に進歩していた飛行機だった。そして彼はいつしか自分も飛行機で空を飛びたいと夢見るようになる。

 その後のリンドバーグは航空学校に入ってパイロットとなる。そして当時流行しつつあった命知らずの曲芸飛行士になって操縦の腕を磨く。22歳で陸軍飛行機学校に入学するが、既に操縦の腕は教官をしのぐほどだったという。そして飛行機学校を首席で卒業すると、郵便飛行機のパイロットになる。しかし当時の郵便飛行機のパイロットは嵐の中で夜でも飛ぶという非常に危険な仕事であり、パイロットの死亡率も高かったという。実際にリンドバーグも墜落事故を2回経験しており、その際はパラシュートで脱出して無事だったという。

 

ニューヨークーパリ間無着陸飛行のレースに挑戦

 そんな時にニューヨークーパリ間の5800キロを無着陸で飛行するという航空レースが開催される。賞金は今の価値で4000万円だったらしいが、リンドバーグは賞金よりも初めてのことに対する挑戦に心が湧いたようである。しかしこのレースには多くの者が挑んで失敗しており、6人もが犠牲になっていたという。

 リンドバーグは徹底した機体の軽量化でこれに挑んだ。まず一番に行ったことは全工程を一人で飛行することに決めたことだ。これは画期的な軽量化になるが、その代わりに30時間以上の飛行中一睡もできないことになる。また彼の設計したスピリットオブセントルイス号はパイロット席の前面に巨大な燃料タンクを置くので、前方視界が0というとんでもない設計になっていた。危険すぎると技術者は猛反対したが、彼は押し通す。夜の暗闇の中を計器だけを頼りに飛行する郵便飛行機になれていた彼にとっては、前方視界は不要だったのだという。さらには無線機もパラシュートなども積まなかったという(もし大西洋上空で事故を起こせば、パラシュートで脱出したところでどうせ助からないという割り切りもあったろう)。

 しかし本番になって一つだけ彼にとって全く想定外のことが起こる。出発の前日に取材攻勢にさらされて24時間全く寝ていない状態で本番に臨むことになったのだという。一人で孤独に飛行することには慣れていたリンドバーグだが、パリに到着するまでの間は強烈な睡魔に苦しめられられ時には幻覚が現れる状況だったという。しかしリンドバーグは眠くなった時には窓から顔を出して強烈な風を受けるなどして睡魔と戦ったという(最早滅茶苦茶である)

 そして彼はこの大事業を見事に成し遂げて時代の英雄となる。連日分刻みで彼を歓迎するレセプションが開催されたという。また各地を親善大使として回るなどということも行っていたらしい。この時リンドバーグ25歳。

 

結婚して家庭を持ったものの、予想もしない不幸に遭遇する

 各地を回っていたリンドバーグはメキシコを訪問した時に、アメリカ大使の娘のアン・モローと出会い恋愛関係になり、27歳で結婚する。彼女はリンドバーグの影響で飛行機好きとなり、しばしばリンドバークと共に飛行機で空を飛んだという。この頃のリンドバーグは飛行機で世界を結び付けたいという夢を持っていたという。彼は航空会社で国内の航空路線を開拓するなどの功績を成し遂げたという。彼は航空時代の幕を開いたのである。

 しかし彼の人生は順風満帆なだけではなかった。1歳の長男が身代金目的で誘拐されるという事件が発生。彼は身代金を支払ったものの、息子は死体で発見された。後に容疑者としてドイツ系移民で不法入国者で逮捕歴もあるブルーノ・ハウプトマンが逮捕された。彼は無罪を主張し続けたが、裁判の傍聴をし続けたリンドバーグの「あの晩に聞いたのと同じ声です」という証言などもあって彼は死刑になったという。しかし決定的な物的証拠がない事件であり、今でも実は冤罪だったのではという疑いはあるという。その後、事件に関する取材攻勢や次男に対する誘拐予告などもあり、疲れ切ったリンドバーグは33歳の時にイギリスに移住する。

 

親ナチスのレッテルを貼られる

 イギリスのリンドバーグにアメリカ政府から一通の手紙が届く。それはドイツ空軍の視察をしてもらいたいというものだった。時代の英雄だったリンドバーグはドイツでも大歓迎され、空軍を統括していたゲーリングから戦闘機まで見せてもらう。リンドバーグは純粋に飛行機乗りとしてドイツの飛行機に賛嘆し、ヒトラーのことを敗戦後のすべてを失った状態からここまで持ってきたことに対し、「狂信的なところはあるが、偉大な人物である」と語ったという。そして彼はドイツから勲章ももらった。しかしこれが後々に影響してくることになる。

 その後、リンドバーグは再びアメリカに戻るがこの頃にナチスのポーランド侵攻が始まる。アメリカの参戦を訴えるルーズベルトに対して、リンドバーグは中立を主張する。彼の姿勢は多くのアメリカ人の賛同を得て大統領候補としてまで名前が挙がるが、その後にドイツのロンドン空爆が起こったことで世論は一気に参戦に傾く。それでも中立を訴えるリンドバーグに市民は落胆し、彼は親ナチスのレッテルまで貼られてしまう。そんなリンドバーグも日本による真珠湾奇襲攻撃でアメリカが攻撃を受けるに至り、最早中立は不可能と、かつての主張を撤回することになる

 

太平洋戦争に従軍するが・・・

 リンドバーグは従軍を志願するが、既に軍籍を返上していたので民間会社の顧問という形で戦地を訪問して、勝手に爆撃機に乗って出撃する。完全な軍律違反であったがマッカーサーはこれを黙認した。リンドバーグは日本軍のラバウル基地を爆撃すると共に、若いパイロット達に燃料を節約できるルートを指導する。

 しかしそのリンドバーグは戦場で日本軍人の遺体を見たことで強い衝撃を受けて心が揺らぐ。自分が爆撃のスイッチを押すだけで下では多くの命が奪われるという現実を実感したのである。その後ドイツが降伏、太平洋戦争も終結するが、ナチスのアウシュビッツを視察、正当化しようのない戦争の残虐さを痛感する。また焼け野原となった広島を上空から視察し、航空機がもたらした大量虐殺を実感したという。

 大戦後のリンドバーグは飛行機から離れ、貴重生物の保護に奔走する生涯を送った。「自分は今は飛行機よりも鳥に興味がある」と言うようなことを語ったという。晩年のリンドバーグはマウイに移り住み、そこで生涯を終えた。

 

 結局は政治のことはよく分かっていない典型的な飛行機馬鹿だったんだと思います。つまりは純粋な人。だからこそヒトラーについてもその政策云々抜きで、これだけの空軍を作り上げたということに純粋に感心したのでしょう。このタイプは政治的に利用されやすいので、その世界には近づかないのに限ります。本人は想像以上の名声を得てしまって、最初はそれに舞い上がったが、段々とそれにしんどくなってきたところがあるように感じます。特にメディアスクランブルというのは、体験しないと分からないですが、その片鱗をわずかでも体験するとそのしんどさが分かります(実は私はある事件でその一端をわずかに体験している)。リンドバーグのように世界的ヒーローになってしまったら大変だったろうと思います。しかもこの時代のメディアは今のような取材の自主規制はありませんし。

 自分の命は軽く見ていたというか、命をかけることにワクワクする典型的な冒険者気質だったようですが、その自分が意識することなく他人の命を奪っていたという現実にはかなり衝撃を受けたのでしょう。そして自分が大好きな飛行機が大量の人命を奪う殺戮機械になってしまったということも彼にはショックだったのだと思います。だから晩年は飛行機から離れてしまったのでしょう。純粋な飛行機馬鹿が汚れた世の中に打ちのめされていく過程であり、そこに悲しさを感じずにはいられない。

 

忙しい方のための今回の要点

・孤独な機械好き少年だったリンドバーグは、当時発達がめざましかった飛行機が好きになり、自らそれで空を飛ぶことを夢見るようになる。
・航空学校に入ってパイロットとなったリンドバーグは曲芸飛行士や郵便飛行士として操縦の腕を磨き、ニューヨークーパリ間のレースに参加する。
・彼はこの長距離を不眠で前方視界0の航空機を操縦して無着陸飛行を成し遂げ、世界的なヒーローとなる。
・各地を親善大使として回ったりする中で、彼は大使の娘と結婚する。
・しかし長男が営利誘拐にあって殺されるという事件に遭遇。メディアの取材にも疲れた彼はイギリスに移住する。
・イギリスにいた彼はアメリカからドイツ空軍の視察を依頼される。ドイツでも彼は大歓迎され勲章までもらう。
・しかしその後、ドイツのポーランド侵攻が発生、彼は中立を主張するが、ロンドン空爆で世論は参戦に傾き、中立を訴える彼は親ナチスのレッテルを貼られることになる。
・日本の真珠湾攻撃で中立を断念したリンドバーグは勝手に参戦するが、そこで自らの爆撃によって日本兵の命を奪ってしまったことに衝撃を受ける。
・戦後のリンドバーグは希少生物の保護に尽力して生涯を終える。

 

忙しくない方のためのどうでもよい点

・まあ世間知らずな純粋な人だったんでしょうね。空がいつまでも彼が夢を馳せれる場所なら良かったのですが、残念ながら時代が進むとそうではなくなってしまった。

 

前回のザ・プロファイラー

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