教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

4/2 BSプレミアム ダークサイドミステリー「ナチスをだました男 20世紀最大の贋作事件」

時代に翻弄された若き画家

 かつてあのナチスをもだました贋作を作りだした男の話。

 その男はハン・ファン・メーヘレン。彼は絵を描くのが大好きな少年で、24才の時に大学主催の絵画コンクールに絵を出品して最優秀絵画作品賞を受賞した。彼の写実的画風が高く評価されたものだった。これで彼はそれまで目指していた建築家をやめて、プロの画家を目指すことになる。しかしこの時代、美術界は従来の写実的絵画から、モンドリアンやモディリアーニなど個性的な新しい絵画が席巻する時代へと変化しつつあった。その結果、メーヘレンの絵画は「時代遅れ」「技術はあっても中身がない」「個性がない」と評価をされずに全く売れない状態になってしまう。

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ハン・ファン・メーヘレン

 

あるきっかけで贋作の世界へ

 結局、彼は絵画では食っていくことができなくなり、絵画を修復する仕事に携わることになる。そんな彼の転機となったのが友人のテオが持ち込んだフランス・ハルスではないかと思われる絵画。ただその絵は損傷が激しすぎたので本物かどうかの判断は付かなかった。それで友人は彼に「これをハルスっぽく仕上げてくれ」と依頼する。メーヘレンはハルスの特有の躍動的なタッチはよく分かっていたので、実際にそのように仕上げてテオに渡す。喜んだテオはそれをハルス研究の第一人者のホフステーデ・デ・フロートの元に持ち込んだところ、修復したものと知らなかった彼はそれを本物であると判断してしまった。そしてオークション会社が4500万円で購入する。しかしオークション会社がアブラハム・ブレディウスの元に再鑑定に持ち込む。そこでブレディウスはアルコールを浸した脱脂綿を絵画に当てて絵の具が溶け出すかを調べるアルコールテストを実施(50年以上経った絵画は絵の具が完全に固まってしまうので、絵の具がつかないのだという)、この絵が最近か描かれた贋作であると判断する。さらなる科学的鑑定の結果、絵の具から絵画が描かれたはずの17世紀には存在しなかった顔料が発見され、贋作であることが確定する。オークション会社はこの鑑定に基づいてホフステーデとテオを告訴し、メーヘレンも贋作事件の共犯者とされてしまう。これがメーヘレンに絵画界に対しての復讐を誓わせることになったという。

 

贋作で復讐を果たす

 彼が目指したのは彼の絵を贋作と判定したプレディウスをだますこと。彼はあえてプレディウスの専門であるところのフェルメールの贋作でプレディウスをだまそうとしたという。まずアルコールテストに対応するために顔料に液体プラスチックを混ぜ、加熱することで絵の具をガチガチに固めた。さらには17世紀のキャンバスを使用するために、その時代の絵を買い求め、X線検査でも分からないように下絵を完全に落としてから使用。そして長年の劣化で絵の具の表面に現れるひびを作るために絵の表面を曲げてひび割れを入れ、そこに黒いインクをすり込んで汚れが入り込んだように見せかけたという。こうして5年の歳月を費やして彼の贋作は完成した

 さらに彼は巧みな心理的トリックを使用している。ブレディウスはアルコール検査をしても絵の具が付着しないことを確認すると、それ以上の科学的検査をせずにまんまとメーヘレンの贋作を本物と認定した。それはプレディウスはフェルメールが初期の宗教画から後の風俗画に移行する途中の未発表の作品があるはずだと主張しており、メーヘレンの贋作はその両方の特徴を取り入れたまさにプレディウスが待ち望んでいた作品だったのだという。そのためにプレディウスには「この絵が本物であった欲しい」というバイアスが働いて目を曇らせてしまったのである。

 

望まれるものこそが実は一番怪しい

 実はこういうことは絵画世界だけではない。この番組では触れていないが有名な話として「ピルトダウン人」のエピソードがある。進化論において猿から人間に進化していくという考えに対して、その仮説を証明するために類人猿と人類の中間をつなぐ化石の発見が待ち望まれていた。そんな時に現代人を思わせる脳容積を持ち、アゴにはまだ類人猿の特徴が残っているピルトダウン人の化石が発見され、世紀の大発見と大騒ぎになったのである。しかしこれは後に、現代人の頭蓋骨にオランウータンのアゴ骨を組み合わせたものであったことが判明する。分かってしまえば稚拙極まりないようにさえ思える偽物だが、「もっとも求められていたもの」ということで専門家の目さえをも誤らしてしまったのである。

 メーヘレンの贋作はフェルメールの真作と判断され、5億円の高値が付いてメーヘレンは一躍億万長者となる。メーヘレンの贋作は美術館にも展示されて評判となる。美術史家も「メーヘレンは当時の人々が探していたフェルメールを実にフェルメールらしく描いたので、当時の人々はだまされた」と語っている。ただ同時に現代の私たちには偽物としか見えないとも言っているが。実際に番組のゲストの版画家の方も「この絵を写真で見た時に、なんでこんな絵でだまされたのか」と思ったという類いのことを語っている。実はこれはまさに私も同感で、私もこの絵からはフェルメールのオーラが感じられない稚拙な絵であると思うのである。つまりは上記の心理の盲点がいかに目を曇らせるかを物語っている。

 

ついにはナチスにまで贋作を売ることに

 しかしメーヘレンの贋作制作はこの一点で終わらなかった。世界がフェルメールの作品を求めていたのである。そしてメーヘレンは次々と贋作を送り出し、それらは法外な価格で売れていく。そしてメーヘレンは巨万の富を手にした。だがメーヘレンは酒とモルヒネに溺れていくことになる。恐らく金を手にしても所詮は心の空白は満たされなかったのだろう。売れたのがフェルメールの贋作でなく、彼自身の作品だったらこうはならなかったのだろうが。

 モルヒネ中毒となっていったメーヘレンはモルヒネを注射しないと手が震えるような状態で、彼の贋作もかなり雑なものになっていったらしいが、それでも彼の贋作には高値が付いた。そしてその作品がナチスのゲーリングの目にとまる。美術コレクターとして占領地から絵画の略奪を行い、そのコレクションを総統であるヒトラーと競っていたゲーリングが、どうしても欲しかったのがフェルメールの作品だったという。メーヘレンは画商を通して贋作を売りに出したのだが、それの売り先がゲーリングだとは知らず、後でそれを聞いて驚いたという。もしも贋作であることがばれれば命がない。しかし美術に対しての鑑識眼があると言うゲーリングでもそれに気付かず、15億円で購入を決めた。なお現金が不足していたため、不足分はオランダから略奪した絵画200点を当てたとのこと。ゲーリングもフェルメールが欲しい(ヒトラーは2点持っていた)ということで完全に鑑識眼が曇っていたのだろうとのこと。

 

終戦後に激動する運命

 そして終戦。ナチス占領下のオランダでは食糧不足でチューリップの球根まで食べ尽くす瑠ような状態だったが、メーヘレンは億万長者として暮らしていた。しかし終戦から3週間後、突然に彼は警察に逮捕される。その容疑は国家反逆罪オランダの至宝であるフェルメールの絵画をナチスに売り渡したということで罪に問われたのである。ゲーリングのコレクションが押収された時に、そこにメーヘレンの売ったフェルメールの贋作があり、売買記録からメーヘレンにつながったのだという。メーヘレンは売国奴として国民から糾弾されることになる。想定外の事態に1ヶ月黙秘を続けたメーヘレンだが、ついにあの作品は贋作であり、他の作品もすべて自分が描いた贋作だと白状する。

 しかし贋作作りの詐欺師と言われて生きていくことを覚悟しての彼の自白は、警察には全く信用されなかったという。警察だけでなくマスコミも全く信用しなかったという。そこで彼は自分が描いたことを証明するために、監察官の目の前でフェルメールを描くということになったという。そしてメーヘレンは監察官の目の前で、世間が求めていた見事なフェルメールを描く。マスコミも注目する彼の裁判は、彼による贋作がズラリと並べられてさながら展覧会のような様子になったという。メーヘレンはその裁判で贋作作りの動機を「過小評価されてきた自分の実力を贋作を作ることで正当に認めてもらいたかった。」と語ったという。裁判でオランダ美術界を代表する鑑定士による鑑定結果が告げられた。それは「あなたの作品はすばらしい贋作だったと申し上げねばなりません。それは生きている間に偉大な傑作を発見したいという美術評論家の欲望を満たすものでした。真実と美への私たちの探究心が私たちの目をふさぎ、だまされる結果を招いたのです。」というものであった。彼の贋作は美術界の脆弱さをも暴くことになったという。

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監察官の前でフェルメールを描き上げたメーヘレン

 実に皮肉なことであるが、これで世間のメーヘレンへの評価は一変したという。彼はナチスを手玉に取った男として一転して英雄扱いされることになったのだという。ゲーリングに略奪されたオランダ絵画200点を、偽のフェルメールで取り返したということが、国民的英雄として賞賛を浴びることになったのだという。しかし判決から6週間後、メーヘレンは長年の酒とモルヒネが原因の心臓発作でこの世を去ったという。最後の瞬間に彼の胸中に飛来した思いは如何なるものであったか。

 

 なかなか考えさせられる話です。現代はいろいろな科学分析で真贋の判定に臨むことができますが、昔は絵の来歴やタッチや他の作品との類似性などで判断していたので、今よりは欺すことも容易ではあったでしょう。しかし何より、世の中が望んでいた作品であったから欺されたというのが非常に巧妙かつ象徴的なポイントです。どうしても自らが望んでいるものに対しては人間は判断が甘くなります。だからこそ、お金を儲けたいと思っている者は投資詐欺に、結婚したいと思っている者は結婚詐欺に引っかかるわけですが。

 同様なものは情報にも言えます。フェイクニュースなどがまさにそれで、自分が望むような情報こそ、その出所や根拠などを慎重に吟味する必要があるということです。そうでないとフェイクにコロッと欺されることになりかねない。もっとも世間にはフェイクだと知っている上で「嘘も100回言えば本当になる」とわざとそれを広めるたちの悪い輩もいるが。

 それにしてもメーヘレンもある意味で悲劇の人です。結局はいくらお金を手にしても、彼の心の中にある空白は結局は埋められなかったでしょう。画家でない私には彼の心情を完全に理解することは不可能ですが、一応これでも「創作」に携わっているつもりではあるので、何となく推察することはできます。彼としては最後まで本当の自分の作品で評価を受けたかったでしょう。まあ生まれた時が悪いというか、彼の生まれたのが後数十年早ければ、画壇である程度の評価を受けることは不可能ではなかったと思われますが。もっとも彼は絵の技術はともかく、創作力の方にやや疑問があるので、本来は絵画の修復師として一生を終えていたら、腕利きの修復師として名を残した可能性があります。画家としての野心を捨てられなかったのも彼の悲劇ではあります。

 

忙しい方のための今回の要点

・子供の頃から絵画を描くことが好きだったメーヘレンは、大学主催の絵画コンクールで受賞し、それを期に画家を目指す。
・しかし彼の写実的画風は当時登場した新しい刺激的な絵画潮流に飲まれて、時代遅れで個性がないと評価されず、彼の絵は全く売れなかった。
・彼は絵画の修復師となるが、そこに友人が持ち込んだ絵画をフランス・ハルス風に仕上げたものが、本物と鑑定されて高額で売れてしまったことから人生が変わってしまう。
・結局は彼の作品は偽物と見破られて、彼は贋作画家として糾弾されることになってしまう。そこで彼は彼の作品を偽物と鑑識したブレディウスを、彼の専門であるフェルメールの贋作で欺すことで復讐をしようと考える。
・彼が5年をかけて制作したフェルメールの贋作は、ブレディウスを見事に欺き、フェルメールの真作として美術館に飾られることになる。そこにはブレディウスが自らの仮説を実証するために求めていたフェルメールの作品を彼が描いたという心理的盲点があった。
・その後もメーヘレンの贋作はフェルメールの真作として売れ続け、メーヘレンは巨額の金を手にするが、その一方で酒とモルヒネに溺れる日々を送ることになる。
・そしてついにはメーヘレンの作品はナチスのゲーリングの目にもとまり、15億円の巨額で売却される。彼の作品はコレクターであるゲーリングをも欺いた。
・戦後、彼はオランダの至宝であるフェルメールの絵画をナチスに売却した罪で逮捕される。彼は贋作を描いたことを自白するが、警察もマスコミも信じなかったために、監察官の目の前でフェルメールの贋作を制作することでそれを証明する。
・売国奴と非難されたメーヘレンは、一転してナチスを手玉に取った国民的英雄とまで讃美されることになるが、判決の6週間後に心臓発作でこの世を去る。

 

忙しくない方のためのどうでもよい点

・なんか悲しい人生ですね。最後の瞬間に国民的英雄になったことで、彼はいくらかでも満たされたのでしょうか? 何となく最後まで望みを叶えられなかった人生だったような気がしてなりません。
・まあ彼が写実絵画の画家としてかなりの技倆を持っていたからこそできた事件でもあります。今時の芸術とかだったら、過去の巨匠の贋作なんて描こうと思っても絶対出来ない者が大半です。今の芸術は一発芸のネタ勝負で、技術なんて全くないのが多いですから。まあそれを一概に悪いことと言うつもりはないですけどね。