教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

2/26 BSプレミアム フランケンシュタインの誘惑「夢のエネルギー"常温核融合"事件」

世界にとっての夢だった常温核融合に成功?

 未来のエネルギー源、世紀の大発見と世間を騒然とさせたが、その後に科学史に残る大スキャンダルとなったのが常温核融合事件。その経緯を追う。

 そもそも核融合とは重水素の原子核を核融合反応させることで膨大なエネルギーを取り出すという技術である。核分裂反応と違い放射性廃棄物がほとんど出ない上に、原料となる水素は地球上にほぼ無尽蔵にあることから、将来のエネルギー源の切り札として注目されている。しかしそれを実現するためには水素の原子核をプラズマ化するために1億度といった高温が必要とされるとしており、大がかりな装置が必要である。この核融合を常温で簡単な設備で実現できればというのは科学者の夢でもあった。

 1989年3月23日、世界を騒然とさせる発表をユタ大学で行ったのは新進気鋭の電気科学者のスタンレー・ポンズと電気科学界の重鎮マーティン・フライシュマンである。彼らは核融合を試験管の中で発生させることに成功したのだという。

 

電極反応での常温核融合への挑戦

 1943年、ポンズはノースカロライナ州で生まれた内気な科学実験好きの少年だった。やがて大学に進学し、1975年には当時世界最高峰の電気化学科があったイギリスのサウスサンプトン大学へ留学する。そこでマーティン・フライシュマンと出会った。1983年にアメリカのユタ大学で助教授となったポンスはフライシュマンを呼び寄せて常温核融合の共同研究を始める。

 ポンズは名の知られた科学者になりたいという大きな野望を持っていたという。ポンズとフライシュマンは電気分解で核融合反応を起こすことを考えていた。重水を電気分解するとマイナスの電極からは重水素が発生するが、この時に電極にパラジウムを使用するとパラジウムの水素貯蔵性によってパラジウムの中に重水素が蓄積する。そしてやがて重水素の濃度の上昇によって核融合が発生するのではと考えたのである。実験中、パラジウムの一部が蒸発したとみられる現象が発生したことから、ポンズ達はこの研究を進めるべきであると判断したという。

 

競争者の登場で成果を急ぐ

 しかし1988年にポンス達が常温核融合の研究費をアメリカエネルギー省に申請したところから事態が大きく動き始める。研究の審査の一人に選ばれたのがブリガムヤング大学の原子核物理学者のスティーブン・ジョーンズだったが、実は彼も常温核融合の研究をしていたのだという。そんな時に彼はポンズ達の申請書を受け取ったのだという。

 2ヶ月後ポンズ達はエネルギー省から却下の通告を受ける。そこには「あなたは審査員達の意見に説得力を持って反論できますか。再検討するなら連絡をください。」と記してあったという。そして疑問点を羅列して、最後に「徹底的な文献調査をしているか疑問だ。特にスティーブン・ジョーンズの論文など」と記してあったという。

 ポンズ達は何度も申請書を書き直し、実験方法の詳細を補足した。その中で「私たちは審査員がスティーブン・ジョーンズ教授であると考えています」と書いていたという。ポンズ達は自分の研究が盗まれているのではと考えていたという。これに対してジョーンズは「自分はずっと前から電気分解による実験をしており、申請書から何かのヒントを得たことはない」と番組のインタビューに答えている。

 

協議を出し抜いての発表

 ポンズ達は審査員がジョーンズであるということをエネルギー省から告げられ、その頃ジョーンズは核融合を示す中性子がわずかながら観測されたという結果を得ていた。そしてジョーンズはポンズ達に共同研究を提案したという。

 しかしポンズは共同実験を直前になってキャンセル。ジョーンズの研究室を見て、明らかに自分達のアイディアが盗まれたと感じたのだという。そしてユタ大学の学長のチェイス・ピーターソンに助けを求める。これを革新的な研究だと考えたピーターソンは直ちにブリガムヤング大学との会談を設定する。そしてその席で論文を3月24日同じ雑誌社に同時投稿すること、論文受理まで対外発表しないことが決定されたという。しかしその3日後、ユタ大学がその協定を破る。ポンズ達は急いで論文を執筆して雑誌社に投稿、併せて特許も申請した。そして3月23日、ポンズ達は記者会見を行う。これについて完全に出し抜かれた形のジョーンズは「大変ショックを受けた。お金を欲しがる強欲な人たちに違いない。」とインタビューに答えている。世紀の大発見として世界中が騒然となり、ポンズとフライシュマンは一躍時代の寵児となる。

 

多くの科学者が追試に成功と発表するが

 世界中の科学者達が競って追試に走り出す。ポンズ達の論文が欠点だらけだったので、今でもチャンスがあると考えたのだという。核融合の証拠となるのは、まず熱の発生、さらに中性子やガンマ線の放出、さらに生成物のトリチウムの発見がある。その結果、一週間後には東京農工大学の小山昇教授が大量の熱とガンマ線を確認、さらにアメリカでも4月10日原子核工学者のジェームズ・マハティーが中性子を観測したと発表、マハティーの元にはこれで資金提供の連絡が殺到したという。さらにテキサス農工大学のジョン・ボックリスがトリチウムを観測したという。彼が実験を命じた大学院生のナイジェル・パッカムが1分間に100万個のトリチウムを観測したという。記者会見から数ヶ月で100以上の追試成功の発表が世界中でなされたという。

 アメリカでも政府が正式に動き始める。そして4月末、下院の科学宇宙技術委員会が公聴会を開く。ここにポンズとフライシュマン、ピーターソン学長が招かれる。ここでピーターソンはユタ州に研究所を設立する計画をぶち上げたという。そしてそのために25億円の補助金を要求したという。

 

多くの疑問が投げかけられ、信憑性がないという結論に

 しかしここで論文の弱点があぶり出されることになる。カリフォルニア工科大学のネイサン・ルイスはポンズ達の論文のエネルギー数値に疑問を感じていた。どういう風に測定したかの説明がなかったのだという。しかしフライシュマンはこれを実測値ではなくて仮定に基づいた計算値だと言うのを聞いて愕然とする。しかもそれ計算は間違いであったことが分かったという。また物理学者のリチャード・ペトラッソはガンマ線の検出図が一部を切り出したものであり、これでは研究不正と言われても仕方ないということを指摘する。

 そして5月、ついにアメリカエネルギー庁は真相究明に乗り出す。そしてポンズにデータを全て用意しておくように頼んだ。しかしポンズは説明できるデータを全く持っていなかったという。ポンズは「どうしてそんな細かいところを確認するのか」と言ったという。この時点でポンズの振る舞いは既に科学者のものではなかったという。そして追試のほとんども観測ミスや思い込み、計器の誤作動と判明する。中性子を観測したと発表したジェームズ・マハティーは検出器の誤作動だったことが判明し、最早それは本人にとっては黒歴史であり、取り消しの発表に向かう時は死刑台に向かうような気持ちだったとインタビューに答えている。トリチウムを発見したというジョン・ボックリスの場合、研究担当のパッカムに疑いの目が向けられた。結果としてパッカムを研究員から外しており、研究不正があったと思われるとのこと。さらにはポンズらのライバルだったスティーブン・ジョーンズも再現実験では中性子は出なかったという。結局は常温核融合の発見については説得力がなかったと結論づけられる。そしてポンズとフライシュマンはアメリカから姿を消したという。

 なおこれで常温核融合はエセ科学であるかのような評価が広がってしまったのだが、現在はナノテクノロジーを使った常温核融合の研究などはなされており、全くあり得ない技術ではないと考えられているという。

 

 番組ゲストは熱核融合を研究している研究者と常温核融合(現在は凝縮系核反応と呼ぶそうだ)の研究者であったので、やはり熱核融合研究者は最初からかなり懐疑的だったし、常温核融合の研究者は「これのおかげでこの分野の研究者は大変な目に遭った」という類いの事を言っていたのが興味深いところ。確かに最初からかなり懐疑的な目で見られた研究内容が、やっぱり嘘だったという結論になったことで、常温核融合自体が「あり得ない技術」と思い込まれることになってしまったというところはある。

 今回の内容を聞いていると、やはり例のSTAP細胞の件を思い出さずにはいられなかった。どうもあのSTAP細胞は最初から意図的にデータを捏造した可能性が高そうだったが、今回の件は「証拠が不十分にもかかわらず、結論を急いでしまった」結果だろうという気がする。と言うのは、これだけ画期的な技術の場合、世界中で追試がなされるのは明らかであり、意図的な捏造だったらその過程でバレるのは間違いないからである。恐らく彼らは競争の中で時間に追われたのと、さらに自分達が行ったことは間違いないという確信から、証拠不十分の状態で発表してしまったのだろう。しかし追試を行った科学者の多くが同じ失敗をしてしまっているのはまた非常に皮肉で、このことが結果として科学界全体に対する信頼を貶めることになってしまったというのは由々しきことでもある。

 なおなぜこんなことになったのかがあまりに不可解なので、一応理系の端くれである私も少し調べたところ、とにかく中性子の観測というのは非常に困難で、ノイズの影響を除去したりとかの様々な処理や経験が必要なものであるとのことらしい。当然のように何度かの再現実験を行う必要があると思われるのだが、やはり競争の中で少しでもそれらしいデータが見えたところで慌てて発表してしまったのだろう。その結果、再現実験をしたら結果が違うということが続出したのだろう。やっぱり「科学者を急かしてはいけない」ということなんだろう・・・と考えていたら、つくづく「今のコロナのワクチンって大丈夫か?」という疑問も湧くのだが。

 

忙しい方のための今回の要点

・1989年3月23日、新進気鋭の電気科学者のスタンレー・ポンズと電気科学界の重鎮マーティン・フライシュマンが常温核融合の成功を発表した。
・彼らはこの研究発表に際し、研究予算の申請書から彼らの研究内容を知っていた同じ分野の研究者であるスティーブン・ジョーンズと競争関係にあったことから発表を急ぎ、結果としてはスティーブン・ジョーンズとの協議に対して抜け駆けをする形で発表を行った。
・彼らの研究は世紀の大発見ともてはやされ、多くの研究者が追試を行って結果を確認したと発表した。
・しかしアメリカ下院の公聴会でポンズらの研究の問題点が次々と指摘され、信憑性調査のための査察団が送られることになる。
・だがポンズらは彼らに有効な証拠を示すことが出来ず、常温核融合の研究結果は信憑性がないと結論づけられる。また追試実験の多くも実験のミスなどであることが判明した。
・その後、ポンズとジョーンズはアメリカを去り、ジョーンズは病死、ポンズは消息不明となったという。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・いつの時代にもつきまとう科学の暗黒面です。本人らに悪気がある場合とない場合があり得るが、どちらにしても起こりうる事態です。ちなみに真実が発覚すると、悪気があった場合は間違いなくこの世界から抹殺、悪気がなかった場合も「無能な粗忽者」の烙印を押される羽目になります。前者は研究者としてはジ・エンド。後者の場合もリカバリーはかなりしんどい思いをすることになります。まあ現実には後で「間違ってましたごめんなさい」で撤回される論文ってのは決して少なくないし、そのことから新たな発見につながる事例もあるんですが。
・中性子線を観測したというマハティーが「断頭台に向かう気持ちだった」と言うが、「分かるわ」と感じる研究者は多いのでは。まさに天国から地獄ですから。研究者にとっては悪夢としてうなされるような瞬間です。恐らくマハティーもその後、何度か悪夢は見ていると思います。