教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

5/15 BSプレミアム 風雲!大歴史実験「川中島の戦い 上杉VS武田 激戦の秘密」

川中島の戦いを実験で検証する

 以前よりごくたまに不定期でNHKで放送されている歴史番組で、歴史上の事件を科学的な実験から解明するというスタンスの番組である。以前にも壇ノ浦の戦いなどが放送されたことがある。今回は上杉謙信と武田信玄が激突した川中島の戦いを検証するという。

 両者が真っ向から衝突して一番の激戦となったのが第四次川中島の戦いであるが、この時は武田信玄が上杉謙信のこもる妻女山を別働隊で攻撃、それを待ち受けた本隊が叩くという啄木鳥戦法を採用。しかしそれを見破った謙信がひそかに山を下りて武田本陣に急襲をかけたことで、武田側は弟の義信や山本勘助など多くの犠牲を出す。

 

謙信が用いた車がかりの陣を再現するが・・・

 この時の闘いで上杉軍は車がかりの陣という武田が初めて見る陣形を繰り出したとされる。記録によるとそれは次々と新手の軍が襲いかかってくるというものだったという。江戸時代の兵法書ではらせん状に配置した軍を次々に武田にぶつけるものとされている。果たしてこれで実際に武田に大打撃を与えられるのかを番組では実験で試している。

 番組の実験は両軍40人ずつを集め、それを鉄砲、弓、槍、刀の10名ずつにわけ、武田軍は各翼の陣で上杉軍は先の兵種1人ずつの4人の組を10作って、それが順番に武田軍中央に攻め込むという形。

 もうこれを見た時点で実験をする前に「おいおい、それは違うだろう」と声が出てしまったが、結果は予想の通り、4人ずつ突撃する上杉の部隊は順番に圧倒的多数の武田軍にボコボコに袋叩きにされて惨敗である。実験後に最初に突撃した部隊の人に「どんな感じでしたか」とインタビューした時の「圧倒的多数の敵の中に死にに行く感が半端なかった」と答えていたがまさにその通り。絵に描いたような各個撃破であり、ラインハルト様が「愚かな、わざわざ自ら各個撃破されに現れるとは」と切り捨てる様子が目に浮かんだ。

 

真の車がかりの陣とは

 要するに軍学書に記されていた車がかりの陣は机上の空論で実際は有効ではないという結論。では文書に記されていた車がかりの陣とはどんなものだったのかということで番組が出した説は、それまでの家臣団としていろいろな兵種が混合になっていた部隊を再編成して、鉄砲、弓、槍、刀などの兵種ごとに固めた部隊を順番に射程距離を考えながらぶつけたのではという説を出してくる。

 で、今度はその方法に従って再戦、鶴翼の陣で広がった武田軍の中央に向かって一団となって前進、射程距離に達したところで鉄砲隊が一斉射撃して後方に退く、さらに前進して次は弓隊が一斉射撃、槍隊が突っ込んだところで刀隊が突撃というパターンである。決着は40秒ほどで武田中央軍が崩れて信玄は討ち取られてしまい、その間両翼の軍は全く動けずである。

 いわゆる一点集中攻撃である。先ほどのなんちゃって車がかりと言い、要は機能しない軍が多い方が負けるという極々当たり前の事実ヤン・ウェンリー提督の「敵中央に目がけて一点集中攻撃!」という号令が聞こえてくるような気がした。まあなんにせよ、その後に番組ゲストが言っていたように、各個撃破と一点集中攻撃は戦術の基本。先のなんちゃって車がかりは最もタブーである戦力の逐次投入そのものであったということ。

 もっともこのような兵種ごと編成というのは、それまでの中世的な兵の集め方では困難であったので、これが出来たとしたら謙信が傭兵などを使って直属の部隊を持っていたのではとの結論になっており、それには金がかかるが謙信は直江津の交易などで十分な経済力を持っていたという話になっていた。ちなみにこのやり方をさらに徹底したのが織田信長と言うことになる。

 

騎馬による追撃戦の再現

 次は後半の上杉軍追撃線。妻女山の別働隊が慌てて戻ってきたところで、それまでの上杉軍優勢の戦局は一転し、不利を悟った謙信は直ちに撤退に入る。武田軍はそれを追撃して大打撃を与えたとされるのだが、どのようにして追撃を行ったかというもの。

 武田は騎馬部隊を使ったと考えられ、当時の馬の直系である木曽馬を使っての実験を行っている。まずは当時の編成に従って、騎馬1騎が歩兵4人を率いて追撃をかけることにする。実験は人の走る速度に合わせて走るトラックに着けられた的を40メートル後から追撃し、130メートル逃げるまでの間に何回攻撃出来るかを見ている。

 最初の実験では、騎馬が歩兵の速度に制限されて、結局は6チームの部隊の内で追いつけたのが1チームだけという結果に。そりゃ逃げる歩兵を歩兵のペースで追いかけると騎馬隊の意味がないという当然の結果。そこで次は騎馬武者だけを選んで追撃をかけたという設定で再実験。

 今度は騎馬武者が横一線に並んで一斉に追撃・・・のはずだったのだが、騎馬は一斉にスタート出来ず、中にはその場に留まる馬も。結局は今度も追いつけたのは一騎だけ。なんでこんな悲惨な結果にとなったが、馬に詳しい騎手の一人によると、そもそも馬は横一列に並んで走るということには向いていないという。むしろ自然界では馬はリーダーに続いて縦一列に並んで走る方が自然とのこと。

 で、今度は40メートル後に先頭の馬をおいて、後の馬は後ろに続くという形で実験。先ほどよりも後ろの馬の位置は後退しているのだが、馬達は迷わずに加速して行く。結果は3騎が攻撃を当て、最終的には6騎中の5騎がトラックに追いついた。なるほど、時代劇などでよく見る馬が横並びでドドドドドというのは実は不自然だったのか。なお追いかけられる側からは後からグングンと加速してくる馬は非常に圧迫感があったとのこと。全力で逃げようとする上杉軍もさぞ大変であったことは推測出来るというわけである。


 以上、川中島の戦いについての大実験。まああえて実験するまでもないような結果も多かったが、それをあえて実験して示しているのが面白いところでもあった。なおこの番組、ヒストリアの後番組だったら歴史探偵よりもこっちの方が良いと私が考えていた番組だが、やっぱり予算とネタが苦しかったのか。

 

忙しい方のための今回の要点

・江戸時代の兵学書では謙信の車がかりの陣は、らせん状の陣から次々と新手を繰り出す戦法とされているが、これを実際に行われると戦力の逐次投入なってしまい、出した軍が次々と各個撃破されるだけになってしまった。
・本当の車がかりの陣は、部隊を兵種ごとに編成し、鉄砲隊一斉射撃の後には弓隊が射撃、さらに槍隊の突撃に次いで抜刀隊が斬り込むというように兵種ごとに敵中央に目がけての一点攻撃と推測している。
・武田軍は撤退する上杉軍を追撃して大打撃を与えたとされるが、騎馬と歩兵を一体にした通常編成では歩兵が律速となって追撃を失敗した。
・騎馬隊のみで追撃を行ったが、横一線の追撃では馬の方向がばらつき、縦一列に並んでの追撃の方が馬の習性上スムーズに追撃が可能となった。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・結構面白いんですが、多分この番組は予算と手間がかかるから、毎週というわけにはいかないんでしょうね。しかしやっぱり今の歴史探偵よりはずっと面白いわ。
・このテイストを引いた番組がBS11の歴史科学捜査班でしたが、すぐに実験がなくなり、結局はネタ切れか半年ほどで終わっちゃいましたからね。やっぱりレギュラーは難しいだろうな。この型式は。