教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

1/27 BSプレミアム フランケンシュタインの誘惑「DDT 奇跡の薬か? 死の薬か?」

奇跡の薬DDTの登場

 奇跡の薬として持て囃されたところから、一転して死の薬として排除されるという劇的な変化を遂げたのが殺虫剤のDDTである。

 殺虫剤DDT(ジクロロジフェニルトリクロロエタン)はスイスの化学者であるミュラーがその殺虫剤効果を発見した。ミュラーは害虫退治用の殺虫剤を求めて製薬会社での開発に取り組んでいた。そこでの条件は大量合成が可能であること、さらに哺乳類等には低毒であり、あらゆる害虫に効果があることなど7つの条件を設定し、接触によって効果を発揮する殺虫剤の開発を目指して開発を続けた。その結果、4年間で349種類もの化学物質を調べて350番目にDDTを発見する。なおDDT自体は60年前にオーストリアの大学院生がせ合成していたが、その時には普通の物質として注目されていなかった。

 その時に第二次大戦が勃発する。当時の戦争では戦争よりも発疹チフスなどの疫病で死ぬ兵士が多かったことから、病気を媒介するシラミなどに効果の高い殺虫剤は求められていた。しかもそれまで殺虫剤として供給されていた除虫菊の供給が途絶えたことから、それに代わる殺虫剤を求めていたアメリカが飛びつく。DDTはマラリアを媒介する蚊にも効果があったことから、戦争で大量に使用し始める。戦場では大量に散布され、占領地の人々にも使用されてチフスを防いだ。DDTは奇跡の薬と呼ばれるようになる。

 

 

さらに使用が広がっていく中、その危険性が告発される

 終戦後、アメリカ政府はそれまで製造販売を独占していたDDTを民間に開放、奇跡の薬は広く農薬として使用されることになる。そして収穫量が飛躍的に増加する。1948年にミュラーはその功績でノーベル医学生理学賞を受賞する。DDTは10年で500万人の命を救ったとされる。

 しかしDDTに対する警告は最初は自然保護区で始まった。魚類野生生物局が実験の結果、害虫駆除のためのDDTが川魚の死や野鳥の巣の放棄につながる可能性を指摘した。当時この報告を読んだ1人に同じく魚類野生生物局に務めるレイチェル・カーソンがいた。彼女はこの指摘に激しく動揺するが、政府に勤務している彼女はこれを批判することは出来なかった。その後も彼女の元にDDTの危険性を示すデータが続々と集まるようになる。1955年にWHOはDDTを使用した世界マラリア撲滅キャンペーンを実施、マラリア流行地にDDTの使用が強く要請され、DDTの使用量が劇的に増加する。

 1958年、カーソンの元に野鳥の死という異常事態が発生していることを報告する書簡が届く。この頃作家専業となって自由に発言できるようになっていたカーソンは、政府の妨害を受けないために秘密裏に調査を始める。そしてDDTの危険性を報告したレポートにたどり着く。ミシガン大学で農薬散布の1年後にコマツグミが大量に死んだことを報告したものだった。コマツグミの体内には生体濃縮によって増加したDDTが蓄積していた。DDTが食物連鎖で濃縮されることを示しており、それは食物連鎖の最上位にいる人間にも起こりうる危険であった。さらにDDTがガンや不妊をおこすという報告も存在した。そして1962年、カーソンはDDTなどの化学物質の危険性を告発する「沈黙の春」を発表する。

 生体濃縮による悲劇は水俣でも起こっていた。この書籍はたちまち大反響を起こし、政治にまで影響を及ぼし、大統領のケネディは特別委員会を招集する。一方製薬企業はお抱えの化学者を動員して反論を開始、カーソンに対する誹謗中傷にまでエスカレートする(非常にどこかで見たことのある図式である)。しかしこの時乳がんを患っていたカーソンもひるまず、DDTの使い方を変えるべきであると訴え続けた。ケネディの特別委員会も彼女を擁護する声明を発表する。

 

 

大論争が起こる中でDDTの全面使用禁止が政治的思惑で決定されるが

 アメリカでDDTが大論争になっている頃、製薬会社を退いたミュラーは自宅の研究室で殺虫剤の研究に励んでいたという。そして1964年、レイチェル・カーソンは57才で死去、翌年にミュラーも66才でこの世を去る。

 1970年代になると環境保護思想が生まれ、環境保護活動家たちはDDTを葬り去らないと子供たちに未来はないと声を上げる。この声をアメリカ政府も無視できなくなり、1970年にニクソンは環境保護庁を立ち上げる。ニクソンはその初代長官に37才の若手議員であるウィリアム・ラッケルスハウスを抜擢する。彼は就任直後に大規模な排ガス規制に乗り出し、自動車の排気ガス中の汚染物質を5年後に9割削減できないと販売を禁止すると宣言する。強引な規制であったが、これで低公害車が次々と開発された。そして次にDDTに狙いを付ける。DDTの使用に関する公聴会が開催されるが、ラッケルスハウスはそれに一度も参加しなかったという。公聴会で化学者たちはDDTは環境中で生物濃縮されるが、指定された量と回数を守れば環境には影響はなく、人にとっては毒性は極めて低く発がん物質ではないという結論を出す。つまり制限付きのDDT使用を認めるものだった。しかしこの結論を一度も参加しなかったラッケルスハウスが覆し、DDTの国内での全面禁止の方針を打ち出す。

 これはニクソンの共和党は環境保護に対して疎いという批判を逸らすための、極めて政治的な判断であったという。最初から公聴会は結論ありきで開催されたのだという。もしラッケルスハウスがDDT禁止を打ち出さなかったら、彼はニクソンによって職を追われただろうという。

 こうしてDDTはあっさりと悪玉として切り捨てられたのだが、発展途上国が取り残されることになる。世界マラリア撲滅キャンペーンは先進国からの支援が止まって中断されるのだが、結果としてはマラリアが再び猛威を振るって多くの子供の命が失われることになってしまう。2006年、WHOはDDTを使用することのメリットの方が大きい場合にはDDTを使用することを認める方針を打ち出す。結局その後もDDTよりも安価で害の少なくマラリアに効果のある殺虫剤はなかったのである。DDTの人体に対する害についてはまだ研究が続いているという。

 

 

 以上、評価の一転したDDTについて。結局はあらゆる化学物質がメリットとデメリットの両方を持っており、それを天秤にかけて評価する必要があるということである。DDTに関してはいかにもアメリカらしく、無駄に使いすぎたというのが一番の問題だろう。いかにもあの国らしい雑な使用である。アメリカはかつてはペニシリンも無駄に乱用した結果、耐性菌をはびこらすことになってしまったことがある。正直な私の感想は、とにかくアメリカ人は万事が雑すぎるというものである。

 なお番組ではミュラーが悪いわけではないと言っていたが、それはその通りである。ミュラーは何もDDTの危険性を知っていて隠蔽したわけでなく、生体濃縮の影響などは彼にも予想外だったのだろう。ミュラーは製薬会社を退いた後も殺虫剤の研究を続けていたとのことだが、多分DDTに代わる新しい安全な殺虫剤を開発しようとしていたのだろうということは想像できる。結局はミュラーが新しい殺虫剤を開発するときに設定した、あらゆる害虫の駆除に使用できるという条件が毒性の高さにつながり、効果が持続するというのが安定で環境中に残存するために生体濃縮されるということにつながってしまったのだと推測できる。

 一方でDDTの危険性を告発したカーソンに対する製薬会社の対応は、いかにもどこかで見たことのあるようなものだった。まずは御用学者を動員して否定の言説を大量に流し、さらにはカーソン個人に対する誹謗中傷にまで及ぶというパターンは、この国でもあまりに見慣れた光景である。今日だったらここに大規模なネット操作も加わるところだろう。結局はカーソンもDDTの功績を全部否定したのではなく「使い方を考えろ」と主張していたのだが、儲け優先の製薬会社としてはそれには従いたくなかったのだろう。

 

 

忙しい方のための今回の要点

・DDTはスイスの化学者であるミュラーがその殺虫力を発見した。時は折しも第二次大戦の勃発時で、発疹チフスを媒介するシラミの駆除に軍隊に大量使用されるようになる。
・大戦後は民間に開放され、農薬として農業生産を向上させ、またマラリアを媒介する蚊の駆除などに大量に使用されることになる。
・しかし環境中のDDTが食物連鎖で濃縮されることで大規模な環境破壊や人体に対する害につながる可能性が指摘されるようになり、レイチェル・カーソンが「沈黙の春」の中でその危険性を告発したことで社会的な大問題となる。
・盛り上がるDDT排除の運動に政府も無視することが出来なくなり、ニクソンは環境保護庁を設置、DDTの使用についての公聴会が行われる。その結果、公聴会はDDTの限定使用を打ち出していたにもかかわらず、ニクソンの政治的判断からDDTは全面使用禁止となる。
・しかし途上国においてDDTに代わる安価で安全性の高い殺虫剤は存在せず、DDTを用いたマラリア撲滅キャンペーンが頓挫したことで多くの子供の命がマラリアで奪われることになり、2006年にWHOはDDT使用の益が害を上回る時にはDDTの使用を認める方針を打ち出した。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・いろいろと考えさせられる話です。新しい科学技術には常に光と影がつきまとうもので、だからこそ性急な導入は注意する必要があったのですが、DDTについては明らかに戦時下という特異性が災いして未検証で大量使用されすぎてしまったようです。
今日でも例えばコロナのワクチンなんかにその危険性はあり得ますね。目下のところは安全であるということにされているが、それでも副反応によると思われる死者も出ているのが現実で、長期的に見た場合にはどういう影響が出るかは未知数。正直なところ、ワクチン打たずにコロナに対峙するのも博打だが、ワクチン打つのも博打という状況です。ちなみに高危険群に属する私はワクチンの2回接種を行っていますが、3回目は微妙です。