教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

2/24 BSプレミアム フランケンシュタインの誘惑「アンチエイジング 欲望の人体実験」

野心にかられた有能な外科医

 不老不死とは永遠の人類の憧れである。不死は物理的に不可能としても、不老を目指すとしてアンチエイジングの研究は昔から行われている。今回登場するのはそんなアンチエイジングの画期的な手術法を発見したとして一躍時代の寵児となりながら、そこから失墜していった一人の野心的な医師の話である。

 その医師とは外科医のセルジュ・ボロノフ。1866年、ロシア南西部のボロネジ州で生まれた彼は、1888年にパリ大学医学部に入学、そこで天才外科医ジャン=エミール・ペアンの助手になる。数百回の手術に立ち会って、ヨーロッパでもトップクラスの技術を身につける。1893年、大学を卒業すると婦人科のクリニックを開業し、金に糸目を付けない上流階級の女性達に当時非合法だった中絶手術を行い、年間8万フラン(約2億円)という高収入を得る。1896年に師匠のペアンの推薦でエジプトの君主・アッバース2世の宮廷医となり、14年間勤め上げる。

 そして1910年44才でフランスに帰国したボロノフは、血管吻合で有名となっていたアレクシス・カレルの論文に注目する。ボロノフはこの頃から研究者としての名声を得たいと考えていたという。そしてボロノフはアメリカに渡ってカレルの技術を学んだという。そのカレルは1912年に血管吻合手術の功績でノーベル賞を受賞、刺激を受けたボロノフは研究に専念するようになる。彼は自尊心が強いので、自身もノーベル賞を受賞したいと考えていたのだという。

 

 

若返りの鍵として睾丸に注目する

 第一次大戦が始まるとボロノフは軍医として従軍、その後1917年にフランス最高権威のコレージュ・ド・フランス生物学研究所に入る。ここで彼は若返りの手術に挑むことになる。そのアイディアはエジプトの宮廷医時代に去勢された宦官達が老化が早く短命であったことに根ざしている。彼は精巣には生命力に関わる何かがあると睨んでいた老化が始まった時に若い精巣を貼り付けたら老化を防げると考えたのである。

 彼は精巣はリンパ液に満たされているので、リンパ液が培養液となって移植した細胞が生き続けるのではないかと考える。そこで羊を使用した実験を行う。年老いた羊にスライスした若い羊の精巣を精巣に移植するという実験である。実験から数週間後、手術を受けた羊の中から活力を取り戻して子供も作った羊が出たという。しかしこの実験については、そもそも年老いた羊に若い羊の精巣を貼り付けるなんて実際には出来ないし、実験に使った羊も実は何歳だったのかは正確には分かってないという。

 しかし実験の成功を信じていたボロノフは、実験の一年後に貼り付けた若い精巣が生きているかを確認するため、生体検査を行おうとしたという。彼がその検査を依頼したのは細胞学の権威であるエドアー・ルテレール。彼は細胞は拒絶されずに生きていると報告した。これでボロノフの実験は強力な後ろ盾を得た。そしてここでボロノフは学会の前日に研究内容をマスコミにリークして注目度を煽る。1919年にフランス外科学会で報告したが、ここでは失敗例を伏せて成功例だけ発表した。学会の反応は懐疑的だったが、マスコミは熱狂した。そしてボロノフは人間にも近々行うつもりと語ったという。これでボロノフは時代の寵児となる。

 

 

マスコミを巧みに利用、時代の風潮にものって絶頂を極める

 第一次世界大戦で若者が大量に亡くなり、出生数が大幅に低下していたヨーロッパでは、ボロノフの画期的手術は人口減少を食い止めてくれると期待されたという。そして各地で若返り手術の実験が行われたという。そしてボロノフもチンパンジーの精巣を用いて人間の若返り手術に取り組む。45才と62才の2人に手術したが、どちらも感染症を引き起こして失敗する。ボロノフはこれを公表しなかった。その一ヶ月後、ボロノフは助手を務めていた世界有数の石油会社の令嬢と結婚、これで金銭的後ろ盾も得る。そして人間の若返り手術をすると大々的に発表する。33才から66才の4人に手術を行うが、全員の体力や認知能力が向上し、3人が性行為の回数が増えたという。ボロノフはその後2年で12人に手術を行う。その中で75才のエドワード・リアドは慢性のアルコール依存症の上に糖尿病で杖がないと歩けない状態だったのが、手術後は別人のように若返ったという。これで自信を付けたボロノフはマスコミに「人間を20~30才若返らせることが出来る」と発表する。

 しかしこのボロノフのやり方にフランス外科学会は反発する。学会発表前に論文内容をリークしたことに対して「学会発表は未発表のものに限る」という決まりに抵触したというのである。これに対してリアドが自分こそが何よりの証拠だと主張し、マスコミもこれに飛びつく。しかし実際は証拠は写真だけであって、ホルモン検査などの当然行われるべき検査もされていなかったという。ボロノフはルテレール共著で論文を執筆、これが生物学会誌に掲載される。これでボロノフの研究が公式に認められたことになる。

 ボロノフの元には多くの患者が殺到し、最初は無料だった手術代は1万5000フラン(860万円)まで跳ね上がったという。1926年には1年で1000人以上が手術を受けた。メーテルリンクにピカソ、フランスの元首相やトルコ独立運動の英雄までもが彼の手術を受けたと噂された。さらに彼の30人の弟子によってこの手術法は15カ国に広まる。ボロノフは社交界の人気者となり、まさに栄華の絶頂を極めていた。1926年、彼はフランス政府からレジオンドヌール勲章を授与される。

 

 

思いがけないところからの転落

 しかし頂点から転落は意外に早く訪れる。ボロノフはフランス政府の要請でアルジェリアで大規模なプロジェクトを立ち上げていた。それは羊毛や羊肉の大量生産のためのプロジェクトで、生後3~4ヶ月の子羊に発情期を迎えた若い羊の精巣スライスを貼り付け、1年後に第2世代を繁殖させる。そしてその子羊にも同様の処置をおこなう。これを繰り返して元気で体格の良いスーパーシープを作ろうというものであった。ボロノフは実験の結果、第三世代で明らかに体格が大きくなる成果を得たと報告する。

 この結果が本当か、1927年にイギリスを中心とする6カ国の調査団がアルジェリアを訪れる。確かに手術を行われたという羊は体格も良くて元気だったが、調査団の一人のエジンバラ大学のフランシス・クルーは疑問を抱く。そもそも最初の段階で羊をランダムに選ばずに体格の良い羊だけを選んで手術していたのではと疑問を抱いたのである。そして自ら再現実験を行ったところ、見事に失敗して手術の効果についての決定的な証拠を見つけることは不可能であったと結論して、イギリス政府に報告する。1年後、彼の元にモロッコの獣医で現地の繁殖ステーション所長のアンリ・ヴリュから書状が届く。彼も追試したところ全く効果がなかったという報告だった。さらに手術した羊の精巣を確認したところ、すべて貼り付けた精巣は死滅もしくは消滅していたという。ルテレールの細胞は生きているという報告は誤りだったのである。さらに南アフリカとオーストラリアでも大規模な実験が行われたが、有益な結果が得られず1930年には南アフリカが、1931年にはオーストラリアが実験を中止した。これでボロノフの信用は大きく失墜する。

 こうなると人間の若返り手術にも疑問の目が向けられる。ボロノフの治療は催眠術のようなものであり、患者は手術の2週間前から禁酒・禁煙で健康的な食事を取り、ストレスのない生活を送る。この間に多くの患者の体質が改善される。さらにその後に最先端の手術室に通され、ボロノフから手術の効果を教えられる。そして術後2週間ほどで退院すると患者達は別人のように爽快な気分になっているのである。つまりは思い込みによる改善効果(プラセボ効果)と健康的な待機期間による体質改善効果だったのである。

 1930年代になると若返り手術は信用を失い、弟子達も手術を止めていく。そしてボロノフの存在自体も忘れられていくことになる。1951年、85才で亡くなった時にはほとんど新聞が記事にもしなかったという。孤独で寂しい晩年だったという。

 

 

 ボロノフは外科医としては間違いなく腕は良かったようであるが、研究者としては実験の行い方があまりにも適当で、結果の分析に対しても思い込みが強すぎて客観性が全くないのが致命的だった思われる。学会で認められる前にマスコミを通して話題を作るという時点でかなり胡散臭いのであるが、人間の欲望に根ざしているものだけに世間が飛びついたというところである。ボロノフは明らかに夢の中に生きていたという証言があったが、ボロノフはその夢の中に世間をも巻き込んでしまったというわけで、本人が自覚していたかどうかは不明だが、稀代の詐欺師であったと言えるだろう。

 ボロノフの考えの延長として、ホルモンを補充することで老化を防ぐという考えがあって、アメリカなどでは高齢者に成長ホルモンを投与するなんて実験もなされたようですが、これで若者並に筋肉が発達したりはしたが、老化に伴う関節の症状などの老化現象は抑えることが出来なかったとして失敗してます。

 最新のアンチエイジングとしてテロメアの短縮を防ぐなんていうのも言われており、番組にもそれを研究しているらしき研究者が登場してましたが、どうもこの手の研究者はみな胡散臭く見えるのは何でしょうね? 明らかにかなりふかしていて、どことなくボロノフと同じ空気を感じたのですが・・・。

 

 

忙しい方のための今回の要点

・ロシア生まれの外科医セルジュ・ボロノフは、睾丸に老化を防ぐ鍵があると睨み、若い羊の睾丸のスライスを年老いた羊の睾丸に移植することで羊を若返らせるという実験を実施する。その結果、内容に疑問があったにもかかわらず羊を若返らせることに成功したとマスコミに発表する。
・ボロノフはさらに人間でも手術を実施することを発表する。外科学会は彼の発表内容に不審感を抱くが、細胞学の権威であるルテールとの共著の論文が生物学会誌に掲載され、彼の発表は公的に認められたとことになり、彼の元には手術の依頼が殺到、また彼もフランスのレジオンドヌール勲章を授与される。
・しかしアルジェリアでの彼の技術を使用してのスーパーシープ生産プロジェクトが、彼の「効果が見られた」という発表に反して、複数研究者の追試では全く効果が見られず、彼の実験手法自体も疑問視されて彼の発表内容の信憑性が疑われる。
・若返り効果についても催眠術のようなものであることが明らかとなってきて、彼の手術は完全に世間から忘れ去られていく。そして彼は孤独の中、85才でこの世を去る。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・名誉欲はかなり強かったようですが、そもそも医師として経済的には成功したのだから、そこで満足しておけば良かったのですが・・・。それだけでは満足できないのが人間というものですかね。一度成功しているだけに、己の力量を信じすぎて絶対に成功するはずだと考えていたんでしょう。