教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

6/8 BSプレミアム ダークサイドミステリー「悪魔はいた?エクソシスト裁判 誰が少女を殺したのか?」

敬虔なカトリック信者の少女に発症した異常

 エクソシストと言えば悪魔払いを専門にする神父であるが、その悪魔払いの儀式の最中に少女が死に、その責任が追及される裁判がドイツで起こったという。

 その事件が発生したのはドイツ南部のクリンゲンベルク。カトリック信者が人口の半数を占める人口6000人ほどの小さな町である。1976年7月、ここで大事件が発生した。23才の女性であるアンネリーゼが悪魔払いの儀式で死亡したのである。アンネリーゼは厳格なカトリックの家に生まれ(私的にはこの時点でフラグが立ったような気がする)、成績優秀な少女だったという。彼女は学校の教師になるべく勉強に励んでいた。

 そんな彼女に異常が現れたのは16才の時。夜に身体が痙攣して呼吸困難になるなどの症状が出たという。そして段々と異常は激しくなってくる。この彼女を助けるべくやって来たのがエクソシストだという。エクソシストは悪魔払いの専門家であり、教会で正式に訓練を受けてなるものだという。彼女の元に訪れたのはエクソシストとしての訓練を受けたアーノルド・レンツ神父と、エクソシストではないが以前から彼女の相談を受けていたエルンスト・アルト神父。彼らは教会の規定に基づいてアンネリーゼに対して悪魔払いの儀式を行ったが、なかなか悪魔は出て行かず、1年に渡って儀式は続いたという。そして1976年7月1日の朝、アンネリーゼは餓死したのである。そして両親と2人の神父が過失致死で裁判にかけられることになった。

 

 

エクソシストが裁判にかけられる

 1978年3月30日、裁判が開始される。世界初のエクソシスト裁判と言うことで世間の関心は高かった。冒頭裁判長が「これは2人の民間人の裁判であって、信仰や悪魔払いを非難するものではない」ということを表明する。

 争点はまず、なぜ医療に頼らずに悪魔払いに頼ったかであるが、アルト神父は「もしアンネローゼが身体の病気だったら、私は医療の助けを求めた」と証言する。実際にアンネリーゼは母親と共に医療機関を受診したが、何らかの脳の発作と判断されたが、薬は効果がなかった。そうこうしているうちに彼女は教会に入ることを身体が拒絶するなどの症状が現れるようになり、両親などは「悪魔の仕業では」という考えが過ぎるようになる。そして医療が効果がないこともあり、アルト神父に相談することになったという。アルト神父は教会の悪魔払いのルールに従って、悪魔憑きとの認定基準を満たすために試験的な悪魔払いを行ってみたところ、彼女は悪魔憑きの反応が出たという。それで教会の正式な許可が下り、エクソシストであるレンツ神父が派遣されたのだという。

 悪魔払いの方法は取り憑いた悪魔の名前を聞き出すところから始まるというが、神父の質問に彼女はユダ、ルシファー、カイン、ヒトラー、ネロ、フライシュマンの6人の名を上げたという。また検察が彼女の周辺の人物に尋問したところ、彼女の死は悪魔によるものと皆が信じていたという。

 

 

精神科医から投げかけられる疑問、そして判決

 裁判所はこれに対して医学側からの鑑定人を招く。精神科医であるサテス教授は、「彼女は悪魔に支配された人間の役を演じている」と分析した。初期はうつ病だったが、信心深さから悪魔が取り憑いていると思い込み、悪魔払いを受けたことでその妄想をさらに再確認し、悪化させていったというのが彼の見解だった。

 もう一つの争点であるアンネリーゼの死因だが、アルト神父は断食を強制したことはないと語る。悪魔払いの儀式は多い時には週に3回、毎回2時間ほどだったというが、それにも関わらず悪魔はアンネリーゼから出て行かず、アンネリーゼは自傷行為を始めるようになったという。しかし彼女が落ち着いた時には、明るい顔で「マリア様が現れてあなたはみんなのために犠牲を捧げることが必要」とのお告げがあったと語ったという。彼女の死後には実際に彼女は地元の人々に聖女扱いされたらしい。

 しかし5月になると自傷行為が酷くなり身体もガタガタになる。また拒食状態に陥る。しかし彼女は「自分は病気ではない」と主張したという。高熱を出した時も医者の診察をうけることを拒否したという。そして体調が悪化していく中で死亡したという。サテス教授の見積もりでは、せめて10日前に治療を受けたら死は避けられたと主張した。

 1978年4月、2人の神父は追い詰められてた。教会は「悪魔払いは魔法ではなく、医学を否定するものではない」として2人神父の処分は司法の手に委ねる声明を出した(早い話が切り棄てられたということ)。そして4月21日、神父と両親に対して過失致死で有罪、懲役6ヶ月執行猶予3年、罰金を命じる判決が下る。これは求刑よりも重い判決だった。

 

 

 まあ妥当な判決だなという印象。まず何らかの精神的疾患が最初に起こったんだろうが、彼女の信仰心や周囲の環境がさらにそれに拍車をかけておかしな方向に突っ走ったんだろうと推測できる。一番最初に「敬虔なカトリック信者」というところで私はフラグが立ったと言ったが、典型的なカルトの信者に発生する症状である。最後になったら彼女は贖罪という言葉に完全に自己陶酔してしまっていて、明らかに正常な判断力を失っていたが、これもカルトの信者によくある話である。結局はキリスト教カルト環境に生まれたが故の悲劇と考える。このような環境下では、カルトにドップリと嵌まってしまうか、それとも反発してトラブルが発生するかのどちらかになりがちである。彼女の場合はドップリと嵌まるの方向に行ってしまったんだろう。大体死後に彼女が聖女扱いされたという時点で回り自体がもろにそういう環境だったことも想像できる。

 それにしても体よく教会側から捨てられた神父2人も気の毒と言えば気の毒である。たとえ間違いであろうと迷信であろうと、彼ら自体は大まじめにやってたんだろうが、実は教会組織自体はもっと打算的だったことが覗える。彼らを庇うことで、自身にも批判が向くことを恐れたんだろう。まあ宗教組織なんてそんなものである。

 

 

忙しい方のための今回の要点

・1976年、ドイツで悪魔払いの儀式を受けていた少女が餓死する事件が発生し、エクソシストと両親が裁判にかけられることとなった。
・敬虔なカトリック家庭に生まれた彼女は、教師を目指して勉強していたが、16才の頃から夜に身体が痙攣するなどの症状が出るようになる。
・最初は医師にかかったもののなかなか良くならず、そのうちに彼女も両親も悪魔憑きの可能性を考え始め、神父に相談することになる。
・神父は簡易な悪魔払いを実行した結果、悪魔憑きであるという確証を得て協会の許可をもらって正式なエクソシストを派遣してもらって2人で悪魔払いを実行することになる。
・しかしなかなか彼女の悪魔は去らず、そうこうしているうちに1年後に彼女は亡くなってしまう。
・裁判において精神科医は「うつ病などの疾患から始まったが、回りが悪魔憑きとして扱ううちに彼女自身がその妄想を強化していった」と推測した。
・彼女は自身の苦しみを贖罪と解釈しており、彼女の町では死後に彼女は聖女扱いされているという。
・しかし判決は2人の神父と両親を過失致死で有罪と判断、罰金が科されることとなった。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・まあ私は「すべての宗教は人間が克服すべき迷信」と断言する人間なので、「アホか」というのが正直な感想なんですが、世の中には妄想の方が理性よりも強い者が少なくないので、この手の事件は今でもありますし、それをうまく利用して自らの欲につなげる奴ら(いわゆるカルト組織の教祖など)がなくなりません。