教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

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番組リスト

10/12 BSプレミアム ザ・プロファイラー「"万能の天才"は永遠の努力家 レオナルド・ダビンチ」

幼い頃から卓越した画才を発揮する

 「モナリザ」で知られるレオナルド・ダビンチは、一流の画家としてだけでなく、数学や科学などに至るまであらゆることをこなした万能の天才と言われている。しかし生前には「この人物はいかなりことも成し遂げることは出来ない」と言われていたこともあるのだという。

レオナルド・ダビンチ

 レオナルド・ダビンチは1452年にフィレンツェの西のビンチ村で生まれている。父は公文書の公証人であり裕福な人物であったが母は小作人の娘であり、身分の違いから両親は結婚しておらず、レオナルドは庶子であった。そのために彼は公証人を継ぐことは出来なかったが、父の元で育てられた。正式な教育は受けず、教育は独学だったという。彼は自然の中でいろいろを学んでいったという。13才の時に父が彼の絵の才能を見抜いてフィレンツェの工房に入れる。これが彼の転機となる。レオナルドの入ったのはフィレンツェでも1、2を争う規模のヴェロッキオの工房だった。ボッティチェリもここで働いていたというところである。レオナルドはここで絵画を基礎から学んだ。レオナルドは絵画の才能を発揮し、師匠との合作では卓越した技術で天使を描いているが、その才能に驚嘆した師匠のヴェロッキオは以降二度と絵筆を握らなくなったという伝説がある。

 

 

職業画家として独立するが様々な問題を起こす

 20才で独立したレオナルドが描いたのが「受胎告知」である。ここでレオナルドは「見たことがあるものしか描かない」というのを徹底しており、天使の翼などはそれまでの洋式化された描き方でなく、鳥を観察して本当に飛べる翼を描いている。これは非常に斬新なアプローチであったが、この時はそう評判にはならなかった。その後も貴族などの依頼で絵を描いていたが、20台後半ぐらいからほとんどの作品を未完成のまま放棄するようになってしまう。完璧主義のレオナルドは何度も修正する内にドンドンと筆が遅くなり、最後は投げ出してしまうということを繰り返していたのだという。当然ながら画家としての評判は上がらない。そして1481年にローマ教皇がシスティーナ礼拝堂の装飾のためにイタリア中から画家を集めた時、レオナルドはその才能から選ばれると思われていたのだが、未完制作ばかりのレオナルドには声はかからなかった。30才のレオナルドはフィレンツェを去ることにする。

 フィレンツェで成功出来なかったレオナルドだが、そもそも職業画家としては大問題があったという。未完成ばかりでなく、依頼を全く無視した作品を描いたりするので、受け取りを拒否されるというようなことがあったという。つまりはとんでもない才能があるが、我が強くて世間と妥協しない人物であったようである。

 

 

軍事技術者として売り込んだミラノで傑作を描く

 レオナルドはミラノを目指した。戦乱の最中のミラノでレオナルドは兵器の設計が出来ると売り込んで雇われることに成功した。レオナルドは斬新な兵器のデッサンを提出したが、それらは未来的であるが、それが故に当時は実現不可能なものばかりだったという。レオナルドはこの時に莫大な手稿を残しているが、その中にはToDoメモのようなものもあったという。正規な学問を受けたことがないコンプレックスのあったレオナルドは、この時期にあらゆるものを学んでいたという。

 ただ一向に画家としての仕事のなかったレオナルドだが、1490年37才の時にパトロンから甥の結婚式の演出を依頼され、これで大成功する。なんと彼の最初の成功は舞台演出だったのだという。そして次に来た依頼が教会の壁画制作。ここで彼が描いたのが最後の晩餐だった。今までの約束事に反したリアリティがあってドラマチックなこの作品は人々に衝撃を与え、大評判となる。こうしてようやくレオナルドは画家としての名声を得ることになる。

 

 

再びフィレンツェに戻ってミケランジェロと対決になるが

 1502年、50才になったレオナルドはフィレンツェに戻って人体解剖に熱中する。彼は人体を正確に描くには人体の構造について通じている必要があると考えていたのである。人間と世界は似ているという考えを彼は持っていたという。これはアナロギアと呼ばれる考え方だという。そんなレオナルドに1503年、政庁舎の大広間の壁への壁画の制作依頼という大仕事だった。さらにレオナルドの対面の壁画を受けていたのはミケランジェロであった。両者は激しいライバル心を燃やしたという。

 両者は共にアンギアーリの戦いをテーマにしたが、レオナルドは人体観察の成果を生かしてダイナミックで臨場感溢れる戦闘シーンを描いた。一方のミケランジェロは奇襲を受けて水浴び中の兵士が慌てふためくシーンという変わったものを描く。それは裸体彫刻のような絵であった。恐らくレオナルドの迫力がありすぎる戦闘シーンを見て、同じ分野では勝ち目がないと判断して、自分の得意分野に持ち込んだのではという。レオナルドはこれを「人の裸体を優美さのない材木のように描いている」と酷評したという(レオナルドがミケランジェロの才能に嫉妬したのではという話もある)。しかしこの世紀の対決は、レオナルドが実験的技法として絵の具に蠟を加えて描いていたのが、乾かす火の熱で絵の具が流れ出すという事件の発生及び、ミケランジェロがローマ法王に呼び出されてフィレンツェを去ったことで決着がつかずに終わってしまう。

 

 

晩年まで理想を追求した生涯

 60代のレオナルドは大きな仕事をせずにイタリア各地を放浪していた。そんなレオナルドに声をかけたのがフランス国王のフランソワ1世だった。彼は最後の晩餐の評判を聞いていてレオナルドを呼び寄せたのだという。彼はすぐにレオナルドに心酔した。おかげでレオナルドは宮廷画家として厚遇されることになったという。この時にレオナルドが持ち込んだ絵が「モナリザ」「聖アンナと聖母子」「洗礼者ヨハネ」の3点だったという。モナリザに関しては輪郭線を用いないスフマートという極めて手間のかかる手法を使っているという。微妙な絵の具を何層にも重ねる超絶技巧だという。レオナルドは理想的な人間を描こうとしたのではという分析もある。また実の母の面影があるのではという説もあるという。そしてレオナルドは67才でこの世を去る。生涯で残した作品はわずかに十数点だったという。

 

 

 以上、天才レオナルドだが、彼自身は「成功出来なかった」と言っていたという。レオナルドの晩年の3作が理想的な人間像を描こうとしたと言われる妙に納得出来るのは、この3作が皆同じ顔をしているからである。この辺りが私がレオナルドについて「超絶に上手いクセ絵」という理由でもあったりする(笑)。

 まあ完璧主義者は往々にして「完璧を求めるあまりに作品を完成させられない、もしくは甚だしきは製作に取りかかれない」なんてことがあるのだが、どうやら彼は典型的なそのパターンのようだったようである。それでも幸いにして傑出した作品がいくつか後世に残ったから名が残ったが、そうでなかったら完全に忘れられていただろう。

 それにしてもこうして彼の生涯を見ていると、万年厨二病という気もしてくるのである。彼の手稿にはさらに彼らしさが現れているのであるが、科学的でありながらかなり妄想の域のようなものもあるので。結局は「ボクの考えた最強兵器」は技術的に実現不可能であったなんてオチが付いていたりするのがいかにも。そういう点では科学者の素質はあったが、技術者ではなかったのだろう。で、やっぱり本領は芸術家であったと私は感じている。彼の科学はあくまで、自身の芸術を極めるための手段だったようである。

 

 

忙しい方のための今回の要点

・レオナルド・ダビンチはビンチ村で生まれ、彼の画才を見抜いた父にフィレンツェの工房に入れられたところから頭角を現す。
・20才で職業画家として独立するが、完璧主義が高じて作品を途中で放り出したり、自身の芸術を優先して依頼者の注文を無視した結果、作品の受け取りを拒否されるなどかなり問題も多く、おかげで実績不足でシスティーナ礼拝堂の装飾を手がけるメンバーには選ばれなかった。
・ミラノに行ったレオナルドは、交戦中であったミラノに絵画も描ける軍事技術者として自身を売り込んで採用される。しかし彼の考案した奇想兵器は技術的には制作不可能なものばかりだった。
・その後、パトロンから依頼された甥の結婚式の演出で高評価を受け、教会の壁画制作の依頼で描いた「最後の晩餐」がそのリアルでドラマチックな表現によって大評判となり、ようやく画家としての名声を得る。
・その後、再びフィレンツェに戻った彼は、人体解剖に熱中する。その成果はミケランジェロとの勝負となった政庁舎の大広間の壁画で発揮されるが、実験的手法として絵の具に蠟を混ぜたせいで、乾燥のために使用した火の熱で絵の具が流れ落ちて制作には失敗。さらにミケランジェロもフィレンツェを離れたことで両者の決着は曖昧となる。
・60代になってからフランスの宮廷画家として重用され、そこで「モナリザ」などの製作を行う。未完成で終わったモナリザは彼の理想の人間を描いたのではとされている。

忙しくない方のためのどうでもよい点

・まあいかにも芸術かな扱いにくいタイプの天才だったようです。彼にもう少しプロデュース力があれば、もっと世俗的な成功をしていたと思われるのだが、そうなっていたらなっていたで、残存している作品のレベルがあそこまで高くなったかは不明。