教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

10/26 BSプレミアム フランケンシュタインの誘惑「原爆スパイ 核兵器を拡散させた男」

自身の正義を信じた男

 今回の主人公はアメリカで開発中だった核兵器の情報をソ連に流し、ある意味で現代史に極めて大きな影響を与えたスパイ科学者の物語。

クラウス・フックス

 その男はクラウス・フックス。彼は1911年、ドイツのフランクフルト近郊の牧師の家で生まれた。父は貧しい人びとの解放を訴える政治的な人物であり、子供たちにも自身の良心に従って生きるよう(それがたとえ父の意志に反しても)に教育した。フックスは学問の才を示して、1930年にはライプチヒ大学に入学して物理と数学を専攻する。

 当時は世界恐慌の最中、真面目で頑固なフックスは平等な社会を目指すという共産主義の理念に共感、20才の時に共産党員となる。しかし台頭してきたナチスは共産党を暴力的に弾圧、国会放火事件の犯人を共産党に仕立てて(実際はナチスによる自作自演だった)共産主義者を大量に逮捕拘禁する。身の危険を感じたフックスは1933年にイギリスに亡命する。

 

 

原爆の開発に携わるようになり、スパイになることを決意

 イギリスに渡ったフックスは、知り合いのツテを頼ってブリストン大学の物理学部長の研究助手となる。この頃はフックスは共産党員としての活動はほとんどしていない。そして1939年ナチスのポーランド侵攻で第二次大戦が勃発する。その時、戦況を大きく左右する新兵器として注目されていたのが原子爆弾である。ナチスより早く原子爆弾を作り上げるべくイギリスは1941年7月に原爆開発をスタートさせる。その中心人物はドイツから亡命したユダヤ人物理学者のルドルフ・パイエルス、彼はフックスの上司だった。フックスの数学の才を見込んだパイエルスはフックスを自宅に住まわせ、家族同然の付き合いをする。

 当時のウラン型原爆を製造するには膨大な手間がかかる濃縮ウランが必要であったが、その製造施設を設計したのがフックスだった。開発に携わりながら、自分の研究が非常に軍事的に重要であることを感じていたフックスは、これらの情報をソ連に流すことを決意する。当時のソ連はナチスの攻勢にさらされて窮地に陥っていた。またソ連が連合国側についたこともフックスを後押しした。ナチスが原爆を開発する可能性がある以上、それに対抗するためにソ連が原爆情報を得ることは当然であるとフックスは考えた。こうしてフックスはソ連のスパイとなった。

 1942年8月、アメリカのマンハッタン計画が始動、1943年8月に英米秘密協定が調印されたことで、英国籍を取得したフックスにパイエルスら5人の科学者は、アメリカに渡ってマンハッタン計画に参加することになる。フックスはコロンビア大学で濃縮ウランの製造研究に携わった。フックスはアメリカからもソ連に情報を流し続けていた。ロスアラモス研究所に招聘されたフックスはプルトニウム型原子爆弾の研究に携わる。プルトニウムは濃縮ウランよりも製造が容易で大量生産が可能であった。プルトニウム型原子爆弾を爆発させるには火薬でプルトニウムを爆縮させる方法が考えられたが、この時に圧力を均一にかけるのが難しかった。そこで燃焼速度の速い火薬と遅い火薬を組み合わせることで、衝撃波を屈折させて圧力を均等かつ同時に加える重力レンズという方法が考案された。この重力レンズの火薬の配置を計算したのがフックスだった。フックスの能力は科学部門責任者のロバート・オッペンハイマーに高く評価され、フックスがリーダー会議に参加することを認める。これによってフックスがソ連に流す情報はより詳細なものとなり、原爆の完全な設計図までもがソ連に流された。

 

 

自身の活動に迷いと葛藤が起こり、ついに正体が発覚する

 しかしスパイ活動と同僚との付き合いに相矛盾を感じ始めたフックスは、強い精神的負荷を抱え込むようになった。そしてナチスの無条件降伏、これでフックスにとっては原爆開発の必要性はなくなったのだが、アメリカは日本への原爆投下を進めていた。そして広島と長崎に原子爆弾が投下される。その威力におののいたフックスはソ連への連絡員に動揺を伝えている。

 1946年にイギリスに戻ったフックスはハーウェル研究所の理論物理学部長に就任する。この頃、ソ連スパイの裏切りでソ連のスパイ網が発覚するという事件が発生、科学者から逮捕者も出たことで、フックスも監視下に置かれる。半年後に監視は解かれたが、フックスはしばしスパイ活動を自粛することになる。この時にハーウェル研究所職員のヘンリー・アーノルドとフックスは知り合い、二人は親友となる。ほとぼりが冷めた頃にフックスは再びスパイ活動を再開するが、アメリカのソ連の暗号解読プロジェクトの結果から、マンハッタン計画に従事した科学者の中にスパイがいた可能性が浮上、フックスがスパイである可能性が浮上してくる。再びフックスは監視下に置かれる。その頃、ソ連が核実験に成功、東西冷戦の時代となる。ソ連は核の力を後ろ盾に東欧に恐怖支配を始める。フックスはそんなソ連に対して不信感を募らせる。友人達への裏切り行為などに悩んだフックスはアーノルドに悩みを打ちあける。しかしアーノルドは実は英諜報機関MI-5につながる人物だった。フックスは直ちにMI-5の取り調べを受けることになり、そこで原爆の設計図などをソ連に流したことを自白する。

 1950年2月2日フックスはスパイ容疑で逮捕される。フックスは自殺を企図して失敗したことも手紙で伝えている。フックスは裁判の結果、イギリス国籍剥奪、懲役14年の判決を受ける。フックスがナチス降伏後もソ連に情報を流し続けた理由としては、強大すぎる原爆をアメリカが独占することの危機を感じていたからと、フックスを知る人びとは言っている。実際にアメリカは朝鮮戦争で原爆を使用する計画があり、ソ連の核実験成功でそれを断念したという経緯もある。しかしフックスが原爆の情報をソ連に流したことで、世界はより偶発的核戦争にさらされる危機が増したことにもなる。

 1959年、出所したフックスは父が住む東ドイツに渡り、核研究所副所長の地位が与えられる。イギリスでは妻子に迷惑をかけるわけにはいかないと結婚しなかったフックスだが、彼は東ドイツで共産党員の女性と結婚し、1988年にベルリンの壁の崩壊を見ることなく86才でこの世を去る。

 

 

 なかなかに難しい立場の人物である。共産主義というのは労働者が資本家から搾取されるのを防止して平等な社会を作るという理想主義思想なので、当時は真面目で倫理観の高い人物ほどこの思想にはまったというところがある。だからフックスが共産主義者になったのはある種の必然だったと思われる。しかし実際にこの理念に基づいて建国されたはずのソ連は、スターリンという俗物の野心家が高潔な理想主義者達をダマして作った独裁国家に過ぎなかった。結局はその現実とのギャップが最終的にフックスを滅ぼしたということになる。

 なお未だに共産主義思想を実現出来た国家は1つも存在しておらず、愚かな人類には不可能な政治形態ではとの声もある。なお私は共産主義を実現出来るのは高度な民主主義の歴史を経験したことのある国だけだと考えている。土台民主主義の経験が全くないロシアや中国が共産主義国家を築くのは不可能だったというわけである。そう言う意味で真に共産主義国家を樹立出来る可能性があるのはヨーロッパだろうと私は見ている。もっとも建国に成功したとして、それが年月を経れば必然的に劣化して腐敗することもあり得るのであるが(今日の資本主義がかなり劣化して腐敗しているのと同様である)。

 

 

忙しい方のための今回の要点

・ドイツに生まれたクラウス・フックスは、貧しい人びとの解放を訴えていた牧師の父から、自身の良心に従って生きるように教育された。
・学問の才を発揮したフックスはライプチヒ大学で数学と物理を専攻する。この頃に共産主義の理想に共鳴して共産党員となる。
・しかしドイツではナチスが台頭、共産党を暴力で弾圧し始める。危険を感じたフックスはイギリスに亡命、ブリストン大学の物理学部長の研究助手となる。
・その後、ナチスのポーランド侵攻で第二次大戦が勃発、各国は戦況を一変させる兵器として核兵器の開発に乗り出す。イギリスでは物理学者のルドルフ・パイエルスが中心となるが、彼はフックスの上司であった。
・フックスは濃縮ウラン製造装置の設計を手がける。この頃に、ナチスの侵攻を受けていたソ連に原爆の情報を流すことを決意する。
・アメリカのマンハッタン計画にイギリスが協力するようになると、フックスはイギリスから派遣された5人の科学者の一人として計画に参加する。
・フックスはプルトニウム型原爆の爆縮装置の火薬配置の計算を手がけて成功させる。この功でオッペンハイマーに見込まれて、原爆開発の全貌を把握出来るポジションを得ることになる。
・フックスがソ連に流した機密情報の中には、原爆の詳細な設計図なども含まれていた。
・やがてナチスが降伏、これでフックスは原爆を開発する必要はなくなった。さらに広島に投下された原爆の威力におののいたフックスは迷いが生じるが、ソ連への情報提供を続ける。
・イギリスに戻ったフックスはハーウェル研究所の理論物理学部長に就任するが、暗号の解読などでスパイを疑われる立場になっていった。その頃ソ連が核実験に成功、核の力を背景に東欧を力で併合するのを見たフックスはソ連に対して幻滅を感じるようになる。
・ソ連への不信感と友人達への裏切り行為への自責に悩んだフックスは、親友のヘンリー・アーノルドに真実を話す。実はMI-5と通じていたアーノルドによってフックスはMI-5の取り調べを受けることになり、これまでの彼の活動が露見する。
・フックスはイギリス国籍剥奪の上で懲役14年の刑を受ける。出所後は東ドイツに渡って核研究所副所長となり、ベルリンの壁崩壊の直前に86才でこの世を去る。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・フックス自身はある種の正義や理想の元で行動していたんだろうが、それは結果して周りの人びとを裏切る行為であったと。真面目な人間だけに最後は罪の意識に苛まれていたようですね。ましてや自身が助けたソ連があのような国では・・・。最後は自身が信じた正義が崩れていくのを感じていたのでしょう。