日本人とごはんの関係などと言いつつ、その実態は・・・。
今回はごはんの話ということでどうにも唐突だなと感じたが、鳴り物入りで橋本環奈を起用したにも関わらず、脚本が悪すぎて大コケしている朝ドラ「おむすび」との連携企画らしい。全くこの番組ってこんなのばかり・・・。しかしいくら橋本環奈を出演させたところで、この番組の視聴者層と橋本環奈のファン層って見事なほどに被っていないと思うんだが・・・。
弥生時代の炊飯法
日本でごはんが食べられるようになったのは弥生時代とされているが、その当時のごはんの炊き方は長年分からなかったという(米炊きの様子などを伝える絵画などがない)。しかし最近、土器のシミやコゲなどの調査から当時のごはんの炊き方が推測出来るようになったのだとか。
その土器のシミというのは、まず内部の底にコゲがあるのは当然として、もっと上の首の辺りもコゲがある。さらには外壁には斜めに何かが流れた跡がついているとのことで、そこから推測された炊き方は、まず土器に米と水を入れて蓋をして煮る。その後、土器を傾けて水を捨てる(この時に吹きこぼれの跡が外に付く)。その後に土器を傾けて横から火を当てて土器内の上部の米に火を通すのだという(この時に内部の上の方にコゲが出来る)。そもそも弥生土器の丸い形は中に均一に熱を加えられるようにというものだと考えられるという。
この頃の米は熱帯ジャポニカと呼ばれるいわゆる長粒米である。なお東南アジアでは今でもこれに煮た炊き方をしているという(恐らくそれから弥生の炊き方を推測したんだろう)。
気候の変化がごはんの炊き方を変え、さらに文化にも影響する
しかし時代が古墳時代になると状況が変わってくる。かまどを使って米を蒸すという方法になったという。実は蒸す方が手間がかかるのだが、あえてこの方法を選んだ理由であるが、気候の寒冷化によって今までの米の栽培が困難になり、他の米などを栽培するようになったからだという。実際に米に含まれるプラントオパールを調査したところ、古墳時代になると温帯ジャポニカが増えていくことが確認されているという。しかし異なる米が混在するために従来の炊き方ではうまく炊けなくなった。そこでどんな米でもむらなく火を通せる蒸す方法が取られるようになったのだという。なおこの米を蒸すという文化から、戦国時代の保存食干し飯が作られることになり、後の文化にも大きな影響を与えたという。
江戸時代になると、寿司やおにぎりが人気になったことでごはんの文化が変化する。この頃にはかまどで重い蓋を使用して炊くようになる。元々は鍋のような軽い蓋を使用していたのだが、時代と共に蓋が重くなったのだという。重い蓋の意味であるが、米から水中に溶け出したデンプンがあふれ出さないために不可欠であるという。こうして炊いたごはんは冷めてもボソボソせずに美味しいので、おにぎりに最適なのだという。
以上、日本人とごはんの関係・・・というが、これって歴史番組か? 正直なところどうでも良いような話ばっかりで、しかもこれで45分の番組を1本作っちまうなんて・・・。完全にスベってしまった朝ドラをフォローするために急遽番組をでっち上げた感が半端ない。歴史探偵になってから、とにかく番組の中身の薄さが気になっているが、もう打つ手もないぐらい希薄化してしまった。こりゃいずれは単なる佐藤二朗のトークバラエティになっちまうんでは(そんなもの見たい者はほとんどいないと思うが)。
忙しい方のための今回の要点
・日本人と米の付き合いは弥生時代から始まるとみられるが、当時の米の炊き方は不明だった。それが最近、土器の研究成果などから推測されることとなった。
・その方法は土器に水を張って米を炊き、煮立ってくれば蓋をして斜めにしてから、上部を火にかけていくというものであり、これは当時の主流であったインディカ米の炊飯に適した方法である。
・しかし古墳時代になると寒冷化によって熱帯ジャポニカ米の収穫が不安定になり、それを補うために温帯ジャポニカ米の生産が始まる。しかしタイプの異なる米をこの方法で炊くのは上手く行かないために、かまどを使って米を蒸す方法が広がっていった。
・江戸時代になると寿司やおにぎりなどごはん文化が花開く。それを支えたのはかまどで重い蓋を使って炊いたごはん。こうすることでデンプンが逃げ出さず、冷めても美味しいごはんが炊けるようになった。
忙しくない方のためのどうでもよい点
・いや、ホントにどうでもいい内容でした。しかも情報量少なっ。この番組って、大体半分ぐらいはこういうハズレ回だから。
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