アジアとヨーロッパの境目の都市
今回は新年スペシャルということで鈴木亮平がイスタンブールを訪問するという企画。
イスタンブールの世界遺産エリアはボスポラス海峡の西のヨーロッパ側にある。上空からヘリで眺めているが、ボスポラス海峡は狭いところでは700メートルほどしかなく、川のように感じられるという。この海峡がアジアとヨーロッパを分けている。イスタンブール歴史地区は半島のように海に突き出している。この地区にはイスラムのモスクとかつてのキリスト教の大聖堂がそそり立つ。イスタンブールと言えばイスラムのイメージが強いが、実はこの地はかつて東ローマ帝国の首都・コンスタンティノープルであった。
栄華を誇った東ローマ帝国の痕跡は今でも各地に残っている。ハギア・ソフィアは建造当時世界最大の聖堂だった。その横には地下宮殿とも呼ばれるバジリカ・シスタンがある。この広大な空間は実は6世紀の東ローマ時代に作られた貯水槽だという。8万トンの水を蓄えることが出来、これが市民の生活を支えた。大きな川がなく水不足に苦しんだイスタンブールでは多くの地下貯水槽が建造された。4世紀に水道橋が建設され、最も遠い水源は120キロ以上先から水を運んだ。貯水槽は建造を急ぐためにあちこちの神殿から石の柱を寄せ集めたため、柱の高さはまちまちで彫刻などを土台にはめ込んで高さを調整するなどが行われている。このような建造技術はローマ帝国から引き継がれたものである。
キリスト教の遺跡とイスラムが混じり合っている
町の中には4世紀に完成した競技場の痕跡がまだ一部残っている。ヒッポドロームと呼ばれる3万人を収容出来る巨大競技場で、帝国主催の馬車競技が行われて民衆を熱狂させた。古代ローマから続く「パンとサーカス」が統治の基本であった。
15世紀に東ローマ帝国はイスラムであるオスマン帝国に滅ぼされる。こうしてイスタンブールはイスラムの都市となった。そしてキリスト教の大聖堂だったハギア・ソフィアはモスクに改修された。オスマン帝国が滅んだ後、ハギア・ソフィアは博物館となっていたが、5年前に再びモスクとなり、多くのイスラム教徒が参拝している。ドーム天井に描かれたマリア像はモスクになった時に、偶像崇拝を禁止するイスラム教の教義に合わせて布で隠されている。
東ローマ帝国ことビザンツ帝国によって修道院として建造されたのがカーリエ・モスク。ここにはモザイク画で描かれたキリスト像などの壁画が残る。ビザンツ帝国の富や技術の粋を集めて建造されたものである。しかしこの壁画もオスマン帝国にモスクに改修された時に漆喰で塗り込められた。再び日の目を見ることになったのは20世紀の修復によってである。ここは博物館だったのだが、昨年からモスクになったので、礼拝の時にはマリア像はロールスクリーンで隠されるという。
忙しい方のための今回の要点
・イスタンブールは元々は東ローマ帝国の首都であり、その頃の遺構が各地に残っている。
・地下宮殿と呼ばれるバジリカ・シスタンは東ローマ帝国が築いた地下貯水槽で、ここに120キロの水源から水道橋で運んだ水が蓄えられていた。
・また町の中にはヒッポドロームと呼ばれる巨大競技場の痕跡も残っている。
・東ローマ帝国が築いた当時世界最大の礼拝堂であるハギア・ソフィアは、オスマン帝国に滅ぼされてからモスクに改修された。
・また修道院であるカーリエ・モスクには技術の粋をこらしたモザイク画が残る。このモザイク画はオスマンに征服された後に漆喰で塗り込められていたが、20世紀になって修復された。
忙しくない方のためのどうでもよい点
・まさにエキゾチックと言う言葉がピッタリな都市です。
・1つだけ気になったのは、博物館になっていたキリスト教関連施設が、近年になって続々と再びモスクになっているらしいこと。何となくイスラム原理主義の台頭とかが微妙に絡んでいるのではという嫌な気持ちになるのですが・・・。
次回の世界遺産