教養ドキュメントファンクラブ

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5/13 BS11 歴史科学捜査班「川中島の戦い 一騎打ちはあったのか!?」

 今回のテーマは川中島の戦い。これは武田信玄と上杉謙信による信州を巡る争いで、北信濃への進出を図った信玄を謙信が食い止めようとしたことから始まっている。

善光寺を巡る戦いだった川中島の合戦

 またこの争いは善光寺を巡る争いだったという解釈も番組ではしている。善光寺は当時もかなり信仰を集める寺院であり、信玄はこの善光寺から本尊と仏具を持ち去って甲斐善光寺を設立したとのことで、これに謙信は激怒したという。

甲陽軍艦の記述を検証する

 なお今日の川中島の合戦のイメージは基本的には甲陽軍艦を元にしたものであるが、この甲陽軍艦の信憑性については疑問符をつける研究者も多い。

 番組で検証しているのは、1.妻女山に上杉軍1万3千が1ヶ月も布陣することが可能だったか。2.川中島で上杉軍の軍勢を隠すほどの霧が発生したか。3.信玄と謙信の一騎打ちは本当にあったか。

 これの1.についてはほぼ不可能と結論している。妻女山の山頂部分の平地はかなり狭く、ここに1万3千人の軍勢が籠もったとしたら、一人当たりの面積は畳半畳ほどもないという。まあ当時の兵の数は大体ふっかけるのが通例だから兵数が半分だったとしても確かに物理的にスペースが少なすぎる。さらにこれだけの兵のための兵糧の運搬が必要だが、それが武田軍の前を通って輸送することになるので、すんなりと輸送できるはずもないということで、これは嘘だと結論。

 2.についてはこの地域では昼の高温で地上に立ち上った水蒸気が、夜の放射冷却によって霧になるということが良くあるので、実際に霧は出ただろうという。番組ではわざわざ実験的に霧を起こすことまで行っているが、正直なところこれは蛇足。ただ1万3千人もの軍勢を覆い隠せるぐらいの濃い霧が出るかどうかは分からないということ。私としては、軍勢を霧で隠す云々よりも、1万3千人も兵がいれば、その気配を隠しおおせることの方がそもそも不可能なのではないかと考えています。

 3.についてはこれはいきなり結論として、旗本衆などの奥に鎮座している大将同士が一騎打ちするなどと言うことは当時の合戦としてあり得ないと結論している。ただ乱戦となって、両大将が自ら太刀を抜いて戦う必要がある事態になったことはあり得るという。なおこの一騎打ちのイメージについてだが、馬上から斬りかかる謙信の太刀を軍配で受け流す信玄というのは甲陽軍艦から来ているものだという。一方の謙信の側から描かれた屏風などによると、川の中で謙信の太刀を自ら太刀で受け止めている信玄が描かれている。先の話よりもより信玄に余裕がなくて切迫した状況となっている。

一騎打ちのイメージが広がった背景

 このようなそれぞれ立場が違う一騎打ちのイメージが伝わっているのは、徳川本家が武田流の軍学を採用したのに対し、紀州徳川家は上杉流の軍学を取り入れるという対立関係なども影響していたとの分析。紀州徳川家の祖である徳川頼宣としては、紀州家も徳川本家に匹敵できるぐらいの武勇があるというアピールが不可欠だったのだとか

 なおこの戦いについては、領土争いとしては信玄が北信濃を獲得したことから信玄の勝ちだが、戦いにおいては信玄側は弟の信繁や軍師の山本勘助を失っており、謙信が戦い自体においては勝っているとの結論。まあこれはよく言われるところである。

 

 正直なところあまり新しい知見はありませんでした(笑)。面白かったのは、謙信の側から描いた一騎打ちの屏風の話ぐらいか。後一番最後に補足的に登場した最近見つかった屏風では、謙信が美しく描かれていたという話が今日における謙信の美形化の元祖のように感じられて妙に面白かったが。


忙しい方のための今回の要点

・信玄と謙信の川中島の合戦は信濃領有を巡るだけでなく、善光寺を巡る争いでもあった。
・謙信が妻女山に布陣したという甲陽軍艦の記述は物理的に非常に怪しい。
・合戦当日に霧が出ていたのは事実と思われるが、本当に軍勢を隠すほどの霧だったかは分からない。
・一騎打ちは後の軍記物などで広がったイメージだが、その背景には徳川家内の対立なども潜んでいた。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・番組中に何回も出てきた合戦シーン、川中島で行われた祭りの時の映像ですよね。どうも緊迫感もなしにチャンバラやっているので何となくマヌケに見えます。まあNHKと違って大河ドラマの映像とかを使えないので仕方ないのでしょうが。
・番組では妻女山は山塊から突き出した部分のことを指すと言うことで、ここに1万3千もの兵を入れるのは不可能と結論してますが、妻女山部分だけでなく、奥の山上にも兵を入れていた可能性はないのですかね? 私はその可能性の方が高いと考えます。この地形で妻女山の部分にだけ兵を入れるというのは、いかにも背後が不用心です。用兵の達人である謙信がそんなことをするとは思いにくい。