第二の御所だった仁和寺
京都にある仁和寺はもう一つの御所と言われている。京都御所にある天皇が行事などを執り行う場所である紫宸殿は格調高い檜皮葺の御殿の前に、右近橘と左近桜に2つの木が配置されることになっているが、仁和寺の中にある御室はこの紫宸殿と同じ構成になっている。
そもそもここには退位した宇多天皇が法皇となって居住していた。だからここは御室御所と呼ばれていたという。仁和寺は宇多天皇が建立した寺院であり、寺院内には各所に天皇家を意味する菊の紋が散りばめてある。そのために仁和寺の住職は門跡と呼ばれて代々皇族が務めたという。
また金堂は京都御所の紫宸殿を江戸時代初期に移築したものだという。屋根だけは檜皮葺から瓦葺きに変えてあるが、それ以外は紫宸殿そのままであるという。後に京都御所の紫宸殿が火災で焼けた時には、この金堂を参考にして再建されたという。現在はこの建物には仏像が安置されている。
仁和寺の桜の秘密
仁和寺には御室有明という八重の桜が咲き誇っている。この桜は高さ3メートルぐらいにしか育たないのでちょうど目の高さぐらいに花が咲くことになるのだという。この地は表土が薄く、すぐ下には根が通らない固い粘土層があるため、桜の回りは土盛をしてある。しかしそれでも根は最長で80センチほどにしか伸びないという。だから大きくなれないのだという。
八重の桜は一重のソメイヨシノなどと違って花がポッテリとしている。しかし今の桜はいずれも樹齢300年と老木のために、多くの木は一重になっている。そこで八重の桜を復活させるために八重の桜を組織培養して植えているという。
桜は平安時代から京には不可欠のものであり、嵐山の桜も人の手で植えられたものである。その嵐山を庭園の借景としているのが天龍寺で、その寺院も後醍醐天皇の御霊を弔うために建てられた皇室ゆかりの寺である。日本庭園の傑作と言われるこの庭は、後に枯れ山水の元にもなったという。
仁和寺に伝わる華道
5月には仁和寺では宇多法皇に桜を献上する儀式が行われている。また御室流と言われる華道の流派が今日に伝わっているという。また寺院内には天皇のための茶室もしつらえられており、天皇のための空間となっている。
この度、今まで修行僧しか入れなかった観音堂が修復に伴って一般に公開されることになった。内部には多くの観音像と共に、鮮やかな観音像の壁画が描かれており、独特の信仰空間となっている。
以上、仁和寺について(一部天龍寺もありましたが)。今回は8Kカメラを駆使して桜や観音像など美しい世界を流す環境ビデオとなっておりましたが、そんなものはテキストではどうしようもありません(笑)。まったく困ったもんだ、この番組は(笑)。
忙しい方のための今回の要点
・仁和寺は宇多天皇が建立した天皇家ゆかりの寺院であり、宇多天皇が法皇となって御室で暮らしていたために、御室御所とも呼ばれていた。
・仁和寺の金堂は江戸時代初期に京都御所の紫宸殿を移築したものであり、後に御所の紫宸殿が焼失した際、再建するのに参考にされた。
・今まで非公開であった仁和寺の観音堂が、この度修復工事に伴って一般公開された。
忙しくない方のためのどうでもよい点
・宇多天皇と言えば、菅原道真を引き立てた人物ですね。道真が醍醐天皇に左遷されて苦労してた時に、当の法皇はこんなところで桜を愛でてたのか(笑)。