教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

11/6 BSプレミアム 英雄たちの選択「"日出づる処の天子"の挑戦~聖徳太子の外交戦略~」

 歴史上の有名人でありながら、その詳細が全く知られておらず、甚だしきは架空の人物説まであるのが聖徳太子。その聖徳太子に迫るというのが今回。

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有名なこの太子像は別の人物との説も

聖徳太子が実在したことの証明

 まず番組では聖徳太子虚構説を否定するところから始まっている。まず聖徳太子が制定したとされる十七条憲法だが、これは後の世に創作されたという説がある。しかしSATという仏典などの漢字をデジタル化したデータベースを用いた解析によると、十七条憲法に登場する「無忤」という言葉は、聖徳太子が生きた時代に近い中国南北朝時代にはよく使われているが、7世紀頃には廃れてしまっており、後の時代に創作したものならこの言葉が出てくるはずがなく、明らかにあの時代に仏教を学んだ者によることが分かるという。

 また飛鳥寺は権力者である蘇我馬子が建造した大寺院であるが、ここの軒先瓦が聖徳太子が建立した斑鳩寺と同じ仕様のものであることが明らかとなっており、聖徳太子の斑鳩寺は飛鳥寺に匹敵する寺院だったと考えられることから、聖徳太子が蘇我馬子と共に政務を司っていたという推測されるという。

 

惨憺たる結果に終わった第一回遣隋使

 聖徳太子は叔母である推古天皇の摂政となり、蘇我馬子と共に仏教を基本とした国の統治を目指していた。その頃、中国では隋が台頭。高句麗と戦争するようになる。これを外圧と感じた倭国では隋に初めて使者を送る。しかしこれが散々な結果であった。日本の王について「天を以て兄と為し、日を以て弟と為す、天未だ明けざる時、出でて政を聴き、跏趺して坐す」と説明したのだが、これに対し隋の文王は「此れ甚だ義理なし」(非常に不合理である)とバッサリ切り捨ててしまった。要するに日本は「どんだけ未開国やねん!」と隋の皇帝に馬鹿にされてしまったわけである。

 

国内での改革を急ぐ

 この大失敗が契機となって日本の改革が始まったという。聖徳太子は冠位十二階を制定したが、この時に中国の役人に習った服装に官人達の服装を改めている。また中国風の小墾田宮を建設、さらには自らが住まう斑鳩宮を設置した。二つの宮を置いたのは黄河の流域に長安と洛陽の二つの都がある中国に倣ったのだという。さらにはこの二つの宮を結ぶ、太子道とも言われる道路を整備したという。これらの都は川で海外ともつながっており、外交を意識したものだという。

 

満を持しての第二回遣隋使で隋との国交を樹立する

 そして満を持して再び遣隋使の派遣を行う。この際の文書に有名な「日出ずる国の天子」が登場する。これについては日本が中国に対して対等の外交を求めたものと言われているが、実はそうではないという。隋書に記してある使者の言葉では、隋の皇帝の煬帝を菩薩天子と持ち上げており、対等の立場を求めたというのはズレているという。とにかくこの使節は成功して隋からも使者の裴世清が送られることになる。これで倭国はようやく隋に認められたわけである。これに対しては口頭ではへりくだっていて、後に残りそうな文書には対等の称号を使っているのは結構したたかと言っているがこれは同感。


 以上、この番組で初めて扱ったという聖徳太子だが・・・ありゃ選択がなかったぞ、今回。いいのか? この番組はこれで?

 あの有名な「日出ずる国の天子」の前に実はもう一回遣隋使があったのだが、惨憺たる結果だったから闇に葬られたというのは、以前に何かの番組で見た記憶がある。「ヒストリア」だったか、「にっぽん!歴史鑑定」だったか? ただ私のページのバックナンバーを見てみましたが見つかりませんでした(笑)。

 ただ聖徳太子は実在だったかもしれないですが、エピソードにあまりに伝説の類いが多すぎるのは事実です。おかげでどこまでが本当かが分からない。

 

忙しい方のための今回の要点

・聖徳太子虚構説などもあるが、仏典などの漢字を集めたデータベースSATの分析によると、十七条憲法には太子の時代に特有の漢字などが用いられており、後世の創作の可能性はないと推測できる。
・また蘇我馬子による飛鳥寺と太子の斑鳩寺では同じ軒瓦が用いられていたことから、二人で組んで政務を司っていたと考えられる。
・倭国が隋に初めて送った使者は未開国と見なされて散々の失敗に終わる。そこで太子は国内の制度や都の整備に取りかかる。
・冠位十二階を定め、官人の服装を中国風にした上で、中国風の都の整備なども行い、満を持して二回目の遣隋使を派遣する。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・何にせよ、今のアメポチ外交に比べると、この頃の外交の方がよっぽどしたたかに国際情勢を観察して知恵を尽くしているように思えますよね。こういうところを見ていると、この国は進化したのだが、退化したのだが。

 

前回の英雄たちの選択

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