教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

2/12 BSプレミアム 英雄たちの選択「"奥の細道"への道~松尾芭蕉 五・七・五の革命」

 現在の俳句の形を作ったといわれているのが松尾芭蕉。その松尾芭蕉について紹介。

 

俳諧を進化させて文学作品である俳句を産み出す

 農家の生まれである松尾芭蕉は藤堂家の一族である良忠の元に仕え、そこで俳諧に親しんだ。良忠の死後に江戸に向かった芭蕉は、日本橋に居を構えて俳諧師として活動を開始する。その一方で芭蕉は神田上水の工事の請負を行うなどの意外な業務も行っている。

 様々な家柄の多くの弟子を持つようになった芭蕉は俳諧師として成功していたわけだが、37才の時に突如として深川に隠棲する。そこで芭蕉は「古池や蛙飛びこむ水の音」という句を詠んでいる。これは今までの言葉遊び的な要素が強かった俳諧と異なる、全く新しいタイプの句だった。芭蕉はここで五・七・五の文学を確立したのだという。

 

芭蕉は隠密だったのか?

 その後の芭蕉は旅に出て、紀行文学を製作し始める。そしてその集大成となるのが奥の細道である。ただこの旅については奇妙な点が多く、芭蕉が幕府の隠密だったのではという説の根拠にもなっている。この頃の仙台伊達藩では幕府から命じられた東照宮普請に纏わる膨大な費用負担で幕府に対する藩士の不満が高まっており、一触即発の状態だったのだという。また芭蕉の旅の行程を見ても仙台藩の重要な港や金山のあった場所を訪れていたりなど、かなり不審な点が多いのだという。また芭蕉に同行した曾良は後に幕府の巡見使随員となっており、情報収集などに携わっているという。

 これについてはこの番組は明確な結論は出していない。ただやはり何らかの公務に携わっていたのではという解釈をしている。ただこのような歌人が現地の調査をすることはそう珍しいことではなかったとしている。なお彼の「奥の細道」については文学作品としてかなり練り直しをしており、実際には架空のシチュエーションなんかも加えてあるとのこと。

 

奥の細道が芭蕉の句に与えた影響

 この旅の間に芭蕉の歌も変遷をしているという。当初はやや重みを持っていた歌が、段々と軽やかになっていっているとのことで、この軽やかさこそが俳句が庶民に広がっていく要因ともなったとしている。

 

 今回の内容については「選択」は全く出てきませんし、ゲストは俳人や国文学者などで文学側面の話が中心でしたので、俳句マニアではなくて歴史マニアである私にとってはいささか眠い内容でした(笑)。そのために内容紹介がかなりあっさりとなってしまってますが、お許しを(笑)。

 

忙しい方のための今回の要点

・芭蕉はそれまで言葉遊び的な要素が強かった俳諧から、文学作品と言える俳句への転換を図った重要人物である。
・芭蕉が幕府の隠密だったという説が近年流行しているが、実際に何らかの公務を帯びていた可能性はあるという。
・芭蕉の句は段々と軽やかさを帯びるようになり、これが俳句が庶民に広がっていた要因となっているという。

 

忙しくない方のためのどうでもよい点

・私は俳句の趣味はない(というよりもほぼ興味がない)ですが、確かに彼の句に込められた想いとか、たった17文字から広がるビジュアルイメージというものには面白さは感じます。
・奥の細道は紀行文学というのはそうでしょう。私の「徒然草枕」だって紀行文学(?)ですから(笑)。もっとも私のは演出は入ってもフィクションは入っていないほぼドキュメンタリーです(笑)。

 

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