教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

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2/5 BSプレミアム 英雄たちの選択「遠山の金さん 天保の改革に異議あり!」

 時代劇で有名な遠山の金さんには実在のモデルがいる。天保時代に北町奉行だった遠山金四郎である。彼は庶民のために天保の改革に異議を唱えた人物でもある。

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遠山金四郎晩年の肖像

 

天保の混乱の中で水野忠邦による改革が始まる

 天保時代、日本は内憂外患を抱えた状態だった。国内では天保の飢饉で多くの餓死者が出て、江戸では打ち壊しも発生した。農業生産は大きく低下し、幕領からの米の生産高は3割も低下するという危機的状態となっていた。一方、日本近海には開国を求めて外国船が訪れるようになっており不穏な雰囲気が漂い始めていた。

 この危機に老中首座となったのは水野忠邦である。彼は幕府の立て直しのために大胆な改革を始める。これがいわゆる天保の改革である。遠山は北町奉行として幕府評定所のメンバーであり、改革について審議する立場にあった。遠山は奉行として優秀で将軍家慶の評価も非常に高かった。

 

水野の奢侈禁止令のせいで江戸は不景気に

 水野が最初に出したのは奢侈取締である。それは豪華な着物や贅沢な食事、装飾を施した櫛や簪、挙げ句は初鰹まであらゆる贅沢品を事細かに禁止する法令であった。奢侈の取締は徹底しており、おとり捜査までなされたという。

 しかしその結果、江戸は深刻な不景気に陥ることになる(当たり前だ)。呉服屋の売り上げなどは前年同月比で越後屋は40%、白木屋は73%も減少したという。まさに経済的に壊滅状況になったのである。両国や浅草などの盛り場も寂れ、このままでは2,3年で貧民は生活できなくなるとの報告が上がってくる

 この事態に遠山は南町奉行の矢部定謙と共に伺書を提出、そこで身分不相応の奢侈はいけないが、江戸の繁栄を維持するための配慮は大事であると訴える。これに対して水野は激怒する。たとえ江戸が廃れて商人が離散するような事態になっても、それに頓着しないぐらいの姿勢で改革を進める必要があると主張したのである。ハッキリ言って経済音痴に過ぎるというか、商業という物自体の必要性を感じていない相当に時代遅れの考えであった。要するに水野は既に商業が社会の中心となってきている時代の背景からあえて目を背けていたのである。幕府のエリートであった庶民など眼中になかった水野と、若い頃には町でプラプラしていたという話のある庶民の暮らしに通じた遠山の考えの違いは大きかった。

 

さらにエスカレートする改革がさらに社会を混乱へ

 水野の統制はエスカレートしていく。水野は庶民の娯楽であった寄席を全廃する方針を打ち出す。これに遠山は寄席は庶民の労働の疲れを癒やす場であり、日々のささやかな楽しみを奪ってはならないと主張、このおかげで寄席の全廃は免れるが、233軒から24軒に激減することになる。さらに歌舞伎にも規制を加える。歌舞伎小屋を江戸の中心からはずれに移転させられ、絶大な人気を誇った五代目市川海老蔵を奢侈禁止令違反の咎で江戸から追放してしまう。

 さらに水野は株仲間の解散を打ち出す。株仲間は謂わば商売の同業者組合であった。しかしこれが新規参入を妨げる上に買い占めなどによる物価高騰につながっているとしたのである。しかし実際に株仲間を解散させることになると、それまで商人が運転資金を借りる場合の担保にしていた株札が効力を失うことになるので、運転資金に事欠いた商人は商売を抑えることになり、流通が大混乱を来すことになった上に、期待していた物価の低下もほとんどなかった。遠山と矢部は強硬に反対したのだが水野が強行、案の定大失敗することになってしまう。

 この件で遠山は同志であった矢部を失うことになる。矢部は与力の不正事件をもみ消したという容疑をかけられて罷免されたのだ。これは明らかに水野が仕組んだ冤罪だという(陰険だな)。矢部は抗議の絶食をして命を絶ったという。これは遠山にとって痛手であった。

 

無理難題を要求された遠山の選択

 さらに遠山は難題に直面していた。遠山は水野から人返しの法の実施案を要求されていた。これは地方から江戸に流れてきた者を地方に追い返すという政策である。この時代、地方から仕事を求めて江戸に多くの者が流れてきていた。そのために農村では人口減少で収穫が減っていた上に、江戸に流れてきた者の多くは「其日稼ぎ者」(つまりは日雇い労働者である)で低所得層となっていたため、天保の飢饉の際の打ち壊しも彼らが中心となっていた。この問題の解決のため、水野は彼らを強引に地方に追い返すことを考えたのである。

 そんなことが可能であるのか。遠山は江戸を実際に自ら視察することにする。その結果、其日稼ぎ者といっても一旦商人となれば稼ぎも安定して妻子も出来る。そんな彼らを故郷に追い返すなど到底不可能であるとの結論に至る(都市から農村にむりやり人間を追い返すというのは、後にも毛沢東やポルポトなどの独裁者が実行しているが、やはりことごとく大失敗している)。

 ここで遠山に決断が迫られる。あくまで人返しの法を実行するか、庶民の立場から反対するかである。これに対して意見が分かれたが、人返しの法を実行するという立場の者は一応水野の意向に従いつつも、内容を緩和するという考えであった。

 遠山の決断であるが、彼は頑として人返しの法に反対する。そして治安の悪化を防ぐために飢饉に備えるお救い米を百万石に増やすということを提案する。セーフティーネットを広げることで、いざという時の暴動を阻止することを訴えたのである。結局は遠山の働きもあって、人返しの法は比較的最近に流入した者で妻子のない者に限られることとなる。この後、遠山は大目付に任じられる。形の上では栄転であるが、幕府評定所からはずされたのである。

 

改革の失敗で水野が失脚の後、町奉行に復帰した遠山

 水野はさらに江戸近郊の大名や旗本の土地を幕府直轄として、他の土地を代わりに与えるという上知令を実行する。しかしこれは当然のように大名や旗本からの強烈な反発を呼ぶことになり、彼らの中に反水野派が結成されることになる。そしてついには水野忠邦は老中を罷免されることになる。

 その後、遠山は南町奉行に就任する。庶民のために働いた彼を江戸の民衆は慕って「遠山の金さん」と呼んだと資料に残っている。遠山は60才まで奉行を務めた後、63才でこの世を去る。


 最後まで庶民派だった遠山の金さんの話。彼はやはり庶民の生活をよく知っていたと言うことでしょう。それに比べると水野忠邦はいかにも幕府のエリート官僚で、現実を知らないという感じが非常に濃厚でした。時代劇の「遠山の金さん」の遊び人の金さんというのは、結構現実に近い線だったのかしれない気がしてきた。

 ところで江戸の三大改革なんて言われますが、吉宗の享保の改革はともかくとして、後の寛政の改革と天保の改革は完全に失敗してます。もう単に質素倹約で世の中を立て直せる時代ではなくなっていたということです(水野忠邦なんて逆に世の中の足を引っ張ってしまっている)。それに寛政の改革の松平定信も天保の改革の水野忠邦も知れば知るほど嫌になるほど陰険な奴なんですよね(松平定信も意見が対立する相手を謀略で陥れている)・・・。まあ今でも口先だけで改革を唱える陰険な奴はいますが。

 

忙しい方のための今回の要点

・遠山は幕府評定所のメンバーとして、水野忠邦の天保の改革に対して庶民の生活を苦しめるという観点から反対する場合が多く、水野と対立することになる。
・しかし水野の天保の改革は経済を混乱させるだけで失敗したものがほとんどである。
・遠山は水野から江戸に流入した者達を強制的に故郷に追い返す人返しの実行を要求されるが、江戸に既に根付いた彼らを追い返すのは不可能であると反対する。
・遠山は評定所からはずされることになるが、後に水野は改革に失敗して失脚、遠山は町奉行に復帰して庶民から慕われることになる。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・まあ庶民の生活を知らない者が権力を行使すると大抵ろくなことになりません。今がまさにそう。今までろくに苦労なんてしたことのない二世のバカボンが政治をするから、庶民に負担をかけるようなことばかりした上で、自分達は国庫を私物化してしたい放題なんてことになる。やはり権力構造を根本的に変える必要がある。

 

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