教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

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5/6 BSプレミアム 英雄たちの選択「明治維新 最期の攻防~西郷・大久保"革命"への賭け~」

 幕末の1867年、薩摩藩が中心となって御所を制圧して王政復古のクーデターを起こす。その25日後に新政府軍は鳥羽伏見の戦いで勝利して倒幕への道が開かれていく。すべては大久保や西郷のシナリオ通りと見えるのであるが、実はそうではなく、裏ではギリギリの攻防が繰り広げられていたという話。

 

実は慶喜の新政府参加が約束されていた

 まず王政復古のクーデターは流血無しですんなりと実行されている。それは薩摩だけでなく土佐や越前、尾張に芸州など五藩が参加しており、土佐の山内容堂や越前の松平春嶽は佐幕派であった。彼らは岩倉具視から新政権に徳川慶喜も参加させると言われて参加を決めたのである。結局は門を守っていた桑名藩や会津藩も戦わずして退却している。

 しかし西郷や大久保の思惑は異なっていた。彼らはあくまで慶喜を断罪して新政権からは排除することを目指していた。当初から彼らはその思惑だったのに、慶喜の大政奉還によってその大義名分を失ってしまっていたのだという。

 そのような思惑の違いがあったので、王政復古のクーデターが成功した後も、参加諸藩の意見は全くかみ合わず、岩倉具視は大久保らの意を受けて慶喜の排除を目指すのだが、山内容堂や松平春嶽は慶喜を参加させるのが筋だと主張した。身分的に発言権のない大久保は横でそれをイライラしながら見ているしかなかった。大久保は慶喜の行動力や能力を恐れており、慶喜が新政府に参加してしまうと自分自身の出る幕が全くなくなるということを恐れていたのだという。大久保は良く言えば「日本を変革したい」という意志であるが、正直なところ奥底には「自分自身がのし上がりたい」という強烈な動機があったのが覗える。

 

追い詰められていく大久保達

 大久保はたまらず口を挟む。「幕府の失政は重罪に当たり、慶喜の簡易を落として所領を没収しないといけない」、そしてそれに従わないと新政府に加えることなどあり得ないと主張した。ちなみに外で警護していた西郷は「短刀一本あれば片が付く」と言ったそうな(さすがにテロリストの言葉)。これに気を強くした岩倉は慶喜参加を拒絶するのだが、これに対して春嶽は「徹底して幕府を守る決意をした」という趣旨を書簡に残しているらしい。結局は慶喜の辞官納地(官位を辞して所領を返上する)は春嶽らが交渉して慶喜から申し出るという、いかにも日本らしい玉虫色の決着となってしまう。

 クーデターの4日後、慶喜は桑名藩や会津藩の大軍を率いて大阪に帰ってしまう。これで辞官納地が有耶無耶にされることを西郷と大久保は強く恐れることになる。

 そして16日後、今度は納地について全国の大名が話し合って新政府の財源のために領地を提供するという方針がまとまってしまう。こうなると徳川だけが領地を失うわけでなくなり、大久保が考えていた「徳川家に懲罰を与える」という意味がなくなってしまうことになる。そして20日後、春嶽から斡旋されたこの案を慶喜は受諾し、慶喜が新政府に加わる道が開けることになってしまう。

 風向きの変化で岩倉具視が日和ったのか、自分は倒幕派だったが大政奉還で慶喜公を見直した。新政府には不可欠な人物であると越前藩士に漏らしたという(この日和り具合はいかにもお公家らしい)。これは大久保と西郷を窮地に追い込むことになる。

 

薩摩藩邸焼き討ち事件から武力衝突の気運が高まる

 その時に江戸で薩摩藩邸焼き討ち事件が起こる。薩摩藩がテロリストをかくまったことから、治安部隊が薩摩藩邸に攻撃をかけたという事件である。これは従来は西郷らが幕府を挑発するための謀略とされていたのだが、西郷が残してた書簡には「大いに驚愕しており、残念千万の次第」と残しており、どうやら西郷は関与していなかったのではという。実際に薩摩が江戸で強盗紛いのことをしていたということで、薩摩の信頼自身を失う危険もあったという。

 ここで大久保の選択としては武力倒幕をするか、一旦薩摩に引き揚げて時期を待つの二択があったという。実際に西郷は「京でうまくいかないから帰国したい」という書簡を送っていたらしい。そして慶喜は1万5千の幕府軍を京に向けて進軍させる。実力での薩摩藩の排除を目指したのである(とうとうぶち切れたのだろう)。

 

武力倒幕を選択した大久保の決断

 これに対しての大久保の決断だが、武力で衝突ということになった。戦力的に見れば劣勢だったのだが、概して革命家の類いは自分が失敗するということなんて考えないというのがゲストのコメント(要するに馬鹿しか革命は出来ないと言うことか?)。大久保は自分が負ける可能性なんて考えてもいなかっただろうとのこと。西郷も大久保に同意して薩摩軍は幕府軍に奇襲攻撃をかける。幕府軍は数で威圧したら薩摩は逃げるだろうぐらいの考えだったせいで、奇襲攻撃によって敗北を喫することになる。

 この戦いの勝利が大勢を決めてしまい、公家の多くは薩摩に靡き、世は一気に倒幕へと動くことになってしまい、ついには幕府軍は賊軍となってしまって体制は決まってしまうのだという。結局は大久保が大博打で勝利を収めたことになる。

 

 以上、幕末のスレスレのやりとりについて。こうして見てみると、慶喜の大政奉還というのは倒幕側からその口実を奪ってしまうなかなかの妙手だったらしい。本来は大久保らはここで幕府が抵抗するだろうから、それを口実に一気に武力討伐と考えていたのに、慶喜があっさりと政権を返上してしまったので、次の口実を作るのに四苦八苦する羽目になったのだとか。結局は慶喜の失策は京に向かって侵攻したことになるというのがゲストのコメント。あれがなかったら、最後まで決定的な口実を作られない大久保は妥協を余儀なくされただろうとのことで、そうなると新政権の様子はかなり変わっただろうという。結局は完全な中央集権にならず、封建制が残ったような形になり、まさに龍馬辺りが目指していた雄藩連合政権になったろう。もっともその体制が長続きするかどうかは難しいところであるが。

 まあ実際のところは何だかんだ言いながらも、実は慶喜は戦いを避けようとしていたようです。この時も一戦を構えると言うよりは脅しをかけるぐらいのつもりだったようだし(だから奇襲で敗北している)。結局はその後も徹底抗戦せずに江戸に逃走してしまって、江戸城は結果的には無血開城してます。どうも慶喜は徳川幕府の落としどころを探っていたような気がします。それに対して大久保やら西郷の野心満々のテロリスト気質の方がよほど危なさを感じます。フランス革命の後、ロペスピエールによる恐怖政治がありましたが、当然のようにテロリストが集まっての政府というのは当初は収まらないものです。結局は明治新政府も内部のゴタゴタがあって、さらに多量の血が流れた上でようやく落ち着いてくるのですが、どうも完全にテロリスト気質が一掃しきれなかったのか、その後は対外戦争にも突っ走ることになります。そういう意味でもここで政治的妥協による政権が成立していたら、その後の日本史は大分変わったでしょう。

 

忙しい方のための今回の要点

・王政復古のクーデターの後、倒幕まではスムーズに進んだように思われているが、実はそうではなかった。
・当初は慶喜を新政府に加える方向で土佐や越前を説得していたために、これらの藩から慶喜の排除には異論が相次ぎ、大久保らも妥協を余儀なくされる方向にあった。
・しかし江戸での薩摩藩邸焼き討ち事件などがあり、慶喜が軍勢を率いて京に向かって進軍したことから、大久保はこれに武力で対抗する道を選ぶ。
・結局は薩摩軍は奇襲で勝利し、これが武力倒幕への流れを作ることになる。

 

忙しくない方のためのどうでもよい点

・正直なところ、明治維新ってかなり血生臭い時代です。テロリスト同士が殺し合いやってたというのが実情ですから。要人暗殺とか横行してましたからね。そういう点ではあまり歴史のロマンなんて時代じゃないんですよね。まあ野心家にとってはチャンスではあるんですが。

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