教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

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10/19 BS-TBS にっぽん!歴史鑑定「従順ならざる日本人 白州次郎」

 今回の主人公は実業家でありながら戦後の政治の世界でも活躍した白州次郎。彼独自の美学に貫かれた生涯を紹介。

     
白州次郎に関してはいろいろな本が出てます

 

イギリスで学んだブレない言動

 白州次郎は1902年に兵庫県で貿易商を営む白州家の次男として誕生、父の文平はアメリカのハーバード大学を卒業後に白州商店を設立、綿花貿易などで巨万の富を築いた豪放磊落な男だったという。自動車がまだ珍しかった時代に、旧制中学に通っていた次郎に外車を買い与えたという。また祖父が神戸女学院の創設に関わったことから、白州家には外国人教師が寄宿したので、次郎はネイティブの英語を身につけたという。旧制中学を卒業した次郎はイギリスに留学してケンブリッジ大学クレア・カレッジに入学したのだが、これも本人に言わせると「手の付けられない不良だったから島流しにされた」そうである。

 次郎はイギリスでも全く臆せず、イギリスの学生達と堂々と渡り合い、生涯の友である貴族出身のロビン・セシル・ビングとも出会う。次郎はロビンから紳士道を学んだという。その中には身分に関係なく互いに敬意を払うとか信念を貫くブレない言動なども含まれるという。

 

海外で活躍するうちに吉田茂や近衛文麿とのつながりが出来る

 イギリスでも使い切れないぐらいの仕送りを受けて車を乗り回していたという。その後大学院に進学するが、26才の時に父の白州商店が昭和金融恐慌の煽りで倒産し、留学を続けられなくなって帰国する。帰国後は英字新聞社で記者として働き、その時に樺山正子と出会って結婚する。家庭を持った次郎はケンブリッジ大学時代の友人が経営する商社に就職し、取締役に就任したという。サラリーマンの平均月給が80円の時代に500円という破格の月給を受け取っていた。35歳になると日本食品工業の取締役に就任して一年の半分ぐらいを商談で海外で暮らした。そしてイギリスに行った時に必ず立ち寄っていたのが駐イギリス全権大使の吉田茂の元だという。また近衛文麿の政策ブレーンにもなっていたという。

 しかし時代は戦争へと向かっていく。欧米の国力を知る次郎は、吉田らと共に戦争反対の立場をとっていた。そして1943年に突然に政治や実業の一線を退いて農業を始める。これは実は数年前から計画していたことで、次郎は「日米開戦は不可避で、そうしたら必ず日本は負ける。敗北の経験のない日本はあくまで交戦して東京は焼け野原になり、そうなると食糧不足になる」とそこまで読み切っていたんだという。戦争になったら負けるだろうとまで予想していた者は少なくないが、そこからさらに敗北を認められずにズルズルと壊滅するところまでいくだろうと予測していたのはかなりの鋭い読みである。次郎は育てた野菜などを友人や知人に配って回ったという。

 妻の正子は次郎は「カントリージェントルマン」になっていたのだという。田舎紳士と翻訳してしまうと田舎っぽいダサい貴族の意味になってしまうが、そうではなくて渦中の中央から離れた地方から中央の様子に目を光らせ、いざ鎌倉となれば中央に乗り込んでいくということらしい。

 

GHQと渡り合った唯一の日本人

 そしてその出番はいきなりやってくる。終戦の年の12月に吉田茂の要請で終戦連絡中央事務局(終連)の参与に就任する。次郎の語学力と鼻っ柱の強さが起用の理由だという。終連はGHQと日本政府の連絡調整を行うための部署である。次郎はここでGHQに対して臆することなく、納得いかないことには「どうして」としつこく食い下がったので、Mr.Whyとあだ名されたとか。次郎はビジネスマンとしての経験から、後で言った言わないにならないように全てを文書で出させたので、堂々と主張できたのだという。また自らミルクマン(イギリスで3時のお茶の時にクッキーなどを持ってくる御用聞きのことだとか)としてGHQに乗り込んで情報収集も行っていたという。

 さらにはマッカーサーに対して天皇からの贈り物を持ってきた時に、「その辺に置いといてくれ」と言われたのに激怒、贈り物を持って帰ろうとしてマッカーサーを慌てさせたこともあるという。次郎のマッカーサーに対しての態度には、その前に近衛がマッカーサーから切り捨てられる形で戦犯として処罰されることになり、そのために近衛が服毒自殺したことに対する怒りもあったのだろうという。とにかく次郎は「日本は敗戦したが、奴隷になったわけではない」という態度で一貫していたという。

 またこの頃、憲法改正案が日本政府で議論されていたが、それは大日本帝国憲法をほとんどそのままのもであり、これでは連合国は到底認めないということを次郎は伝えたらしいが、天皇の権限を制限することは無理だと聞き入れられなかったという。その案はGHQに拒絶され、逆に象徴天皇制、国民主権、戦争放棄が明記されたマッカーサー案を突きつけられる。しかし日本側がいきなりそれを飲み込むのは困難で、結局は次郎は時間稼ぎをさせられることになったという。結局何だかんだでマッカーサー案に沿った形の日本案が作成されることになり、日本国憲法が成立する。この時に次郎が徹底的にGHQに対抗したことから「従順ならざる唯一の日本人」と呼ばれることになったとか。次郎は「占領軍の言いなりになったのではないということを国民に見せるために、あえて極端に行動している」と言っていたらしい。

 

通産省設立の大技に吉田のトイレットペーバー

 次郎は戦後の日本経済発展の基礎も築いたという。1948年12月、第二次吉田内閣で商工省の外局として設置された貿易庁の長官に就任した次郎が奇手をくりだす。貿易庁を商工省に吸収させ、次に商工省を改変して外務省から英語の出来る役人を異動させて通商産業省を設立してしまう。商工省の大臣さえ知らない間にこれを進めてしまったというのだから剛腕である。しかしこのおかげで、日本は加工貿易によって経済を発展させる基礎が出来上がったのだという。

 そして最後が「吉田のトイレットペーパー」。これは吉田茂がサンフランシスコ講和会議で行った演説の原稿のことで、当初に用意されていた役人による原稿が、英語で書かれていた上にGHQに媚びを売り、挙げ句には沖縄や小笠原の返還について全く触れていない内容であったことに次郎が激怒、急遽全文を書き直した原稿を作り上げたのだという。次郎は「講和会議は戦勝国と敗戦国が対等の舞台に立つ場なのに、そこで英語の演説など問題外」として吉田に日本語による演説をさせたのだという。全長30メートルの原稿を丸めたのがトイレットペーパーのようだったことから、吉田のトイレットペーパーと呼ばれたとか。

 この後の次郎は政界進出なども期待されたらしいがそれを断って実業界でいくつかの企業に関与、その後は57才で引退して再びカントリージェントルマンに戻ったという。結局は地位には全く恋々としない人物であったという。

 

 以上、信念の人であった白州次郎について。役人が悉く植民地根性剥き出しでGHQに忖度しまくっていた中で、日本の立場を徹底して通そうとした硬骨漢ぶりは今時の日本の官僚には皆無の姿勢である。妻の正子は「所詮は平和な時には通じない人」というようなことを言っていたらしいが、確かに乱になるほど活躍するタイプの人間のようである。戦い甲斐のある敵を見つけた時が一番目が爛々としていたというから天性のケンカ屋と言えるだろう。しかも相手の力量を見定めて落としどころを考えながらケンカをしているのだから、プロのケンカ屋である。

 白州次郎は最近になって人気だが、ルックス面の影響も大きいだろう。イギリス帰りの誰が見てもダンディな親父ですから。

 

忙しい方のための今回の要点

・裕福な家庭に生まれてイギリス留学した白州次郎は、そこで英国貴族のブレない言動という紳士道を学ぶことになる。
・実家の倒産で帰国した次郎は、英字新聞社などを経て商社に勤務、商談のために海外で1年の半分を過ごすうちに、駐英大使の吉田茂の元に頻繁に出入りするようになり、また近衛文麿の政策ブレーンにもなる。
・日米開戦と日本の敗戦を予測した次郎は、1943年に農業を始める。
・戦後、再び中央政界から声がかかる。吉田の意向でGHQと日本政府の連絡調整を行う終戦連絡中央事務局(終連)の参与となった次郎は、GHQを相手にタフな交渉を重ねることになる。
・その後、憲法制定にも関与。あくまで日本の立場を通してハードな交渉をする次郎は「従順ならざる唯一の日本人」と言われるようになる。
・貿易庁の長官に指名された次郎は、日本が貿易立国が可能となるために、貿易庁を商工省に吸収させてから商工省を改変して通商産業省を設立するという大技を駆使、これが戦後の日本経済の方向を定めることになる。
・また吉田のサンフランシスコ講和会議での原稿も、当初のGHQに媚びたものを次郎が全面的に書き直して日本の立場を主張する物に変える。
・その後は政界入りの要請も断って財界で活躍、57で引退するとカントリージェントルマンとしての生活を全うする。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・まあ今の日本にはこういう信念の人ってタイプはいませんし、もしいたとしても抹殺されます。次郎が活躍できたのは引き立ててくれた吉田茂がいてこそです。忖度役人ばかり求めるような上の下では、真っ先に消されるタイプです。

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